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『シティライフ』

バーセルミ『シティライフ』 訳者あとガキ

ドナルド・バーセルミ『シティライフ』(白水社, 1995)

山形浩生

 『シティ・ライフ』。ドン・B黄金期の一冊。表紙をめくると、フワッと足下の地面がなくなって、ぼくらはドンちゃんや小説たちと宙に浮いちゃうのだ。みてごらん。眼下一面にマンハッタン。あの見慣れたマンハッタンとはちょっとちがってて、貴族が馬車で走り回ったりガラスの山が生えたりしてるけど、気にしない。「文」は一つながりのおぼろな紐状になって、カゲロウみたいにゆらゆらたち登ってる。さっきまで泣いてたお父さんも、今じゃニコニコしながら宙返りを披露したりなんかして。「あそこ」とドンちゃんが指さすのはル・コルビジェの有名な白い伽藍、というより昔は白かった伽藍で、いまは落書きだらけで白さのかけらもない。ぼくらも降りていって、意味ありげな黒い四角をいっぱい描いて、大笑いする向こうでは、レノン眼鏡の気取ったコルビュ先生がプンスカ怒っちゃってる。それを無視して「ちょっと奥ゆきが」と二人で消失点のほうに軽くパース線や寸法線なんか入れると、これがなかなか。おたがい建築畑の出身だから、0.1ミリの線の入れ方も、結構堂に入ってるんだ。「うん、これはおもしろいからそのまま使っちゃおう」とドンちゃんが指指すと、そいつらもいっしょに舞い上がって、あちこちの小説に組み込まれてく。

 消失点の向こうは、コロンビア大の電算センター。「コンピュータも小説がわかるくらい頭よくなったかな」と空き端末からドンちゃんの小説をそのまま叩っこんで、コンパイルをかけた。リターンキーをおした瞬間に山のようなエラーメッセージがスクリーンを埋め尽くし、ドンちゃん喜ぶことしきり。「『小説がつまらん』と言われたことはあるけど、『まちがってる』と言われたのは始めて! キャラクターの宣言が不適当ってあたり、結構読めてるかも!」とドンちゃんは、これもそのまま小説にブチこむつもりらしく、スクリーンをキャプチャーして、するとそれも即座に舞い上がって、さっきの四角と戯れてる。

 「こんないい加減でいいんでしょうか」と尋ねると、ドンちゃんはフッと笑みを浮かべた。「見てよ。みんな、ああやって軽々と飛んでるじゃないか。見てて(読んでて)気持ちいいじゃないか。それで不足? たかが小説。要は遊びなんだよ。でも、遊ぶ/飛ぶんだって、いろいろやりかたがある。見てごらん。頭でっかちに飛ぶやつ。目で飛ぶやつ。抽象的に飛ぶのもあれば、具体的に飛ぶのもある。嫌みで飛んだり他人の尻馬で飛んだり。でも、みんなすてきだと思わない? 思ったから訳そうとしたんでしょ? それともきみも、あの手合い?」

 見ると地面のゴミの中を、変なオヤジが這いずってた。MITのロゴ入りの「さいばね・ふぃくしょん」とかいうボロ旗をかかげて、さっきぼくらが戯れに描いた四角の寸法をはかってる。コンピュータのエラーメッセージを、深読みして賢いふりをしようとしてる。「ブラックボックスは究極のソフトマシーンである」「言語の不完全なメカニズムを使って小説を創造する行為をも表している」ぅ? 「すべてが読みとられ、ゆえに何も読みとられないというような小説の潜在的可能性を象徴している」だとぉ? そっかぁ? そんなの何の一般性もない、あんた一人のこじつけじゃん。だいたい……とぼくがわめきだすのを、ドンちゃんが制した。「いいんだよ。あの人たちは、あんなものしか見えないんだから。あんなことしかできないんだから。それにしてもこの人は、天下の MIT の看板しょってるのに、理数系の話がどうも付け焼き刃なのはどうしてかな」

 「はあ、MIT でも、キーボードにさわったこともない、半田付けしたこともない、因数分解もできないしペンチも使えないし、図面もひけない子たちはいくらもいます。この二年で、それは思い知らされてきました(自慢)。しかしそれはさておき、なぜあの手の文学屋さんたちは、ああもうっとうしいのでしょうか」

 「うーん、それはかれらが、小説を通じて小説でないものを見ようとするからじゃない? 時代背景だとか、テクノロジーの影響だとかさ。それはそれで、まちがいじゃない。どんな小説だって、時代や社会の背景を持ってる。それを掘り出すことで、新しいものが見えてくることもあるだろう。大室幹雄が、古代支那の小説なんかから、すっごい世界を読みとるけど、あの域まで達すれば見事だよね。

 でも、それは小説を見てることにはならない。小説のおもしろさってむしろ、社会や時代の制約条件をベースにして、そっからどう遊ぶか、という部分だと思う。ぼくの小説は、この『シティ・ライフ』なんか特に、現代ニューヨークを舞台に云々、ということになってる。でも小説としての力学さえ抽出できれば、これを古代バビロンに移植して、まったく同じ小説的効果を発揮するような小説ってのはできるんじゃないか。
 でもさ、あの子たちは制約条件だけ見て喜んでる。特に現代小説の場合、かれらが見つけてくるものの多くって、現代人ならみんな大なり小なりとっくに知ってることか、知ったってどってことないことなんだ。で、その先の本当のおもしろさに一向に近づかない、見ようともしてない、そういういたらなさとか、手抜かりとか、そこらへんがもどかしい……ということでどうだろう。

 ああ、それともう一つ。さっきのポラッシュくんもそうだけど、聞いたふうな口をきく割にはあんましものを知らないね。テクノロジーがどうしたって言いつつ、自分で構造計算したりとか、コンピュータをバラしたりとか、デバイスドライバを書いたりとかフラスコ振ったりとか、手を汚してる形跡がないよね。理論を基礎から勉強したりもしてないし、表面的なレベルより深く没頭したことないんだろう。自分でおもしろいと思ったわけじゃなくて、流行りっぽいから尻馬に乗ってるだけ。受け売りばっかで知ったかぶりして、表面的な相似や語呂合わせばかりに大騒ぎして、しかもそういう連中がお互いに受け売りしあうから、気がつくとあたり一面そんなのだらけ。こりゃうっとうしいよね。日本でもそうだって? ご愁傷さま。

 が、まあそれは気にしてもしょうがないじゃないか。とはいえ、ぼくの小説はどうして飛べるのかとか、飛ぶときにどうしてこう、ふわっという感じで飛ぶのかとか、バックの白い、余白の多い感じは何なのかとか、そういうちょっとした言い回しへの気分の引っかかりかたを、もっときちんと詰めて欲しいんだけどね。でも評論家なんか無視して、わかる読者がそういう感覚の存在さえ読みとってくれれば、小説たちとしては本望だろう。ぼくはそれで満足だな。

 それとこの『シティ・ライフ』から五、六年後に、ぼくの小説から決定的に失われたのは何だったのか、今すでに萌芽のみられる、この小ささの感覚は何なのかを突き止めてもらえたらいいのにね。そしたらぼくも、人生最後の十三年半をやりなおせるかもしれない」

 「やりなおしたいですか?」

 「いや別に。でも、きみはそうして欲しいんだろう」

 「ええまあ……先の評価はともかく、今の、この『シティ・ライフ』でのあなたは、ある種の完璧さっつーか、自由さっつーか、変幻自在さの頂点っつーか、そーゆーものに達してましたから。『口に出せない習慣、不自然な行為』『罪深き愉しみ』(いずれも彩流社)と『雪白姫』(白水社)も同じ時期の、負けず劣らずの(ひょっとして本書を上回る)傑作ですよね。訳もすごいし」

 と話していると、確かに七人の小人をひきつれた雪白姫日本語版も、いっしょにそこらをふらふらしていて、ドンちゃんは何も言わずにニコニコしてうなずくのだった。

 「で、どうでしょうか、この邦訳はいかがです? 日本語がおわかりにならないのは承知の上ですけど」

 「まあ、四の五の言うより飛ばしてごらん」とドンちゃんは本書を手に取った。「ただその前に、きみのこのあとがきは、ちょいと愚痴が多くて性根が卑しいね。あんまり作者に(それも会ったこともないのに)ウダウダしゃべらせるもんじゃないぜ。言いたいことは自分でいわなきゃ。『罪深き愉しみ』と『雪白姫』の訳者あとがきをごらん。この余裕たっぷりの洒落っけ。これだけおちょくって遊んでもらえると、ぼくも笑うしかないよね。大傑作。こうでなくっちゃ。それにひきかえこいつはねえ……削除!」

 と、破り捨てられたページは、確かにすぐに重力につかまって、あっさり宙を沈んでいった。本文だけになった本書を、ドンちゃんはぼくに渡した。

「さて、あとは仕上げをごろうじろ」

 そのことばにつられ、ぼくは本書を閉じて両手に持ってさしのべ、放す。

 * * * * * * * * *

 本書はDonald Barthelme City Life (New York, Farrar, Straus & Giroux, 1970) 全訳である。訳の底本には Pocket Books のペーパーバックを使用。特に深い書誌的な理由はない。翻訳環境としては、Amiga4000 + Emplant によるマッキントッシュのエミュレーションと Quadra630 上で Katana4/ATOK8+マックライトII v.1.5 を使用、辞書は『リーダース新英和辞典』(松田徳一郎監修、研究社、1984)をおもに使用。

 一部作品の訳では、森本正史氏と杉浦仁美氏の協力を得た。ありがとう。また、編集は藤波健氏が担当された。

平成七年夏、ボストン/東京にて

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YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>
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