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: 50. : 二冊目 : 48.   目次

49.

輪転機をとめろ! 埋め合わせる特色を発見したぞ!

彼がきょう告白したのだ、恰もそう認めることを恥じるかのように――「ぼくは音楽が好きです」彼は、自分の自由時間のすべてが、言及に価するこの熱中に捧げられているという事実に気づかぬまま、身の上のあらゆることを物語ってきていた。嗜好(メシアン、ブーレ、シュトックハウゼン et al) の範囲内では、Sはよく知っているし識別力もあるが、ただ(いかにも彼らしく)それらの作品を体験したのはすべて録音版を通じてのこと。一度もなまのコンサートやオペラに行ったことがないのだ! スキパンスキーはわれわれ社会的動物の一員ではないよ、ほんと! ところが私が Et expecto resurrectionem mortuorum に馴染みがないと認めると、なんとも伝道者的な熱情を示して、それを聴かせに私をライブラリーへひきずっていったの である。

そしてこの曲はなんと素晴しい、耳の新たな効用であることか! Et expecto のあと、 Couleurs de la Cité Celeste と Chronchromie と ept Hailais を聞いた。どこで私は生気に漲ったことがあるか?(バイロイトで、そう、あそこでなら。)メシアンはジョイスが文学にとってそうであったように音楽にとって決定的だ。ただこれだけをいわせてもらおう――わお。

(こう書いたのは私だったのか――音楽は、たかだか、審美上のスープの如きものにすぎない? メシアンはまさに感謝祭の正餐だ。)

一方、折伏の営みも進捗。Sは、マルローが Et expecto を二度の世界大戦の死者を祀るために製作依頼したことに言及、この曲は実にそれにそぐわしい作品であるため、何を記念しているかに触れずにこれを論じるのは不都合となる。大半の同時代人と同様、Sの歴史に対する態度も、やきもきしたじれったさ。その賂しい非合理さには戒めとしての力はまるでないわけだ。だが、そこまで完壁な事なかれ主義者たりつづけることは、ことに血管の中にパリジンの黄金があるとあっては、容易でない。



T. M. ディッシュ『キャンプ収容』 野口幸夫訳     平成18年7月16日