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42.

私は試しを受けている。キャンプAは遂に逃走中のバスクの後釜をみつけたロバート(「ボビー」)・フレッドグレン、快活なカリフォルニア流の産業心理学者だ。籠一杯の八月の漿果さながら、「ボビー」には純粋な陽光がぎっしり詰まっているようだ而日焼けして、輝き、非の打ちどころなく若い彼は、ハーストが夢の中で思いえがいている自画像そのものだ。この日焼けがわれらの幽明のホールの中で色あせていくのを眺めるのは楽しみとなるだろう。

だが、私が忌み嫌うのは彼の美貌ばかりではない。むしろ(それにも増して)、ディスクジョッキーと歯科医の中間にあるような、彼の態度だ。DJと同様、彼は微笑と口あたりのいいおしゃべりのかたまりで、次から次へと身震いするようなアンチ不安の歌を、青空と陽光のケーキの皿を繰り出してくる。歯科医と同様、こちらが悲鳴を上げようとも、本当は痛くないのだと言い張る。彼の不正直さはどんなに精力的な攻撃にも耐え、英雄的ともいえそうなほどだ。たとえば、きのうのこんなやりとり――

ボビー:さあ、ぼくが始めといったら、ぺージをめくって問題にとりかかってください。始め。

私:頭痛がするんだけど。

ボビー:ルイ、きみは協力的じゃないね。きみが心を向けさえすれば見事にこのテストができるのはわかっているよ。

私:でもそのぼくの心が痛いんだよ! ぼくは病気なんだ、こんちきしょうめ。こんな気分の悪いときは、おたくのくそったれテストを受けなくていいんだ。それが決まりなんだよ。

ボビー:ぼくがきのう言ったことをおぼえているかい、ルイ――心の抑圧についてなんだけど?

私:あんたは、ぼくの病気は自分で思っているだけのものだと言ったんだよ。

ボビー:おや、そのほうがいいよ! さあ、始めといったら、ぺージをめくって問題にとりかかって。オーケイ?(でっかく愛想のいいペプソデントの微笑を涯べて。)始め。

私:ファック・ユー。

ボビー:(ストップウォッチから眼をそらさずに。)もう一度やってみようじゃないか? 始め。



T. M. ディッシュ『キャンプ収容』 野口幸夫訳     平成18年7月16日