最亜心の瞬間が来たのは『スキリマン』を書いた直後のこと。穏やかな発作があって、それが進行していく中で罹った、あれはヒステリー性の盲目状態だったに違いない。
私はいつも、盲になってしまうようなら自殺せねばなるまいと思っていたものだった。 光ならずして何を心が糧にできよう? 音楽は、たかだか、審美上のスープの如きものにすぎない。私はミルトンでもなければジョイスでもない、かつてヤンガーマンが書いたように――
眼は耳よりも強し
眼は見ることができる、愚かな耳は
聞くことしかできない
これに、願いをこめて、こうつけ加えた
盲であったなら、みつけたかもしれない
何かの用途を、耳のため
人の心というものは
おかしなことができるものだよ、皆の衆
ひどく加減が悪くて、何も考えられず、することもできない。まるで、ひとつひとつの思考の圧力が、疹く脳の縫合線に感じられるような気がする。たぶん、開頭手術こそが答だ!