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25.

HHからメモ。「それでよい」恥知らずめ。

さあてしからば――小説を:

スキリマン

または

人口爆発

物語

 

          ルイス・サケッティ
赤ん坊が蹴るのもものかは、彼は小さな両脚をカンバス車椅子のしかるべき穴にどうにかさし込んでいた。チンパンジーがいつも知能テストで解くことを求められるような、何か格別に難しい嵌め合せ問題を思い起した。

「忌々しいのが多すぎる」とスキリマンはぶ つぶついった。

ミナ、右手の側から始めて、彼を手伝って自分たちの四人目の子供、赤ちゃんビルを背負い紐で固定する。吊紐はよだれかけと交叉し、手の届かない尻支えの下で留め具をかけられる。「何が多すぎるって?」と彼女は無関心に訊いた。

「赤ん坊さ」と彼はいった、「くそったれな赤ん坊が多すぎる」

「もちろんよ」と彼女。「でもそれは中国でのことなんでしょ?」

彼は身重の妻を気づかうように微笑みかける。そもそもの最初から、スキリマンにとっての彼女の特別な魅力は、何をいっても確実に理解しそこなうという点だった。それは単に彼女が無知だということではない、もっとも彼女は素晴しく無知なのだが。それよりもむしろ、彼女が彼を、あるいは何であれ今すぐ直接に鈍牛の如き安楽に役立たないようなことを、認識しようとしないということなのである。わがイオ、と彼女のことを彼は呼んだ。

いつかは、と彼は期待していた、彼女はまさしくダッハウでの彼女の母親のようになるだろう――あの人からは人間特有のあらゆるもの――知性、慈愛、美質、意志――が、あたかも誰かがどこかから栓を引抜いたかのように、澗れ果てていた。くたばりぞこないのフラウ・キルシュマイヤー。

「ドアを閉じて」と彼はいう、彼女はドアを閉じた。

赤いマーキュリーはガレージから出て、スキリマン自身の設計になる無線装置がメカニズムの引金をひいてガレージの扉が閉じた。ミナ、と彼はこのささやかな考案物を呼んだ。高速道路に出ると彼女の手は自動的にラジオのノブに伸びた。

彼の手が彼女の骨太の手首を掴んだ。「ラジオはつけたくない」と彼はいった。

みせびらかしのジルコンの指環で重たい手は引込んだ。「わたしはラジオをつけようとしていただけなのよ」と彼女はおだやかに弁明した。

「おまえはロボットだよ」と彼はいうとフロントシート上で身を横に傾けて彼女のやわらかな頬にキスした。アメリカに来て四年になるいまも彼女の英語はまだ初歩的なもので、「ロボット」というような単語は理解しない。

「わたしにはひとつの仮説がある」と彼はいった。「わたしの仮説というのは、こうしたもの不足が、政府がわれわれに思わせたがっているように、なにもかも戦争のせいなのではないということだ。もちろん、戦争は事態を悪化させるがな」

「悪化させる……?」と彼女は夢みるようにおうむがえしする。白い線が次々と車に飲み込まれていくのをみつめているどんどん速くなっていき、やがて個々の線を見分けることはできなくなるただ一筋の線、もうそんなに白くはない。

彼は自動操縦に切換え、すると車は再び加速しはじめる。ぎっしり混みあった第三市線に割込んでいく。

「そうではなくて、もの不足は人口爆発の必然的な結果にすぎんのだ」

「また轡ぎこんだりしないでね、ジミー」

「人々は、ほれ、こんなふうに考えたものだ、いずれは横這いになる、カーブはS字型になる、とな」

「人々」とミナは憂欝にいった。「どんな人々?」

「たとえばリースマンだ」と彼はいった。「しかしあの連中は間違っていた。カーブはただただ上昇し続けるのだ。指数的にな」

「まあ」と彼女はいった。おぼろげながら、彼が彼女を批判しているらしいと感じはじめていた。

「八十億」と彼はいった。「二百八十億。五百四十億。一兆九百億。二兆五千億。五兆。今ではいつ十兆になるかもしれん。レインジャー・ロケットのようにグラフ上を急上昇して突抜けていくのだ」

オフィスでの仕事だわ、と彼女は思った。オフィスでの仕事をうちに持帰ってほしくないものだわ。

「くそ忌々しい双曲線だ!」

「ジミー、お願い」

「すまん」

「赤ちゃんビルのことなのよ。この子が父親がそんなふうに話すのを聞くべきじゃないと思うの。それに、ねえ、そんなに悩むことはないわよ。水不足は来春で終るってテレビで聞いたわ」

「それで、魚不足は? 鉄鋼不足は?」

「そんなこと、わたしたちの問題ではないんじゃないかしら?」

「おまえはいつも、どういえばわたしの気分がよくなるかを知っているんだな」と彼はいった。赤ちゃんビルの上を越えるように身を伸ばしてもう一度彼女にキスする。赤ちゃんビルが泣きだした。

「こいつを黙らせられんのか?」としばらくして彼は訊いた。

ミナはただ一人の息子(それまでの子供は三人とも女の子だった。ミナにティナにデスピナ)をあやすように喉の奥を鳴らすと、ばたばたと振りまわしているネルで包まれた腕を愛撫しようとした。最後に、気をおとした彼女は、無理やり黄色い(二歳までの幼児用の)精神安定剤をのませた。

「まったくマルサスそのものだ」と彼は再開した。「おまえやわたしは等比級数的にふえていく、ところがわれわれの資源は等差級数的にしか増加せんのだ。テクノロジイはなしうることだけをなす、ところが人間という動物はそれ以上のことをなしうるのだ」

「まだ中国のあの赤ちゃんたちのことを話してらっしゃるの?」と彼女は訊いた、

「それじゃおまえは聞いていたのか」と彼は驚いていった。

「ねえ、あそこで必要なのは産児制限なのよ、わたしたちがしているような。ピルを使うことを学ばなきゃいけないわ。それとホモよーあちらじゃホモを合法化しようとしているそうよ!ニュースで聞いたの、そんなこと想像できる?」

「二十年まえならそれは妙案だったろう」と彼はいった。「だが今では、MITのビッグ・コンピュータによれば、何をしようとあのカーブを平らにすることはできない。二〇〇三年には二十兆になる、あとに来るのは地獄か高潮か。そこでわたしの理論が登場するわけだ」

ミナはため息をついた。「あなたの理論を話してちょうだい」

「うん、解決策が満さねばならん二つの条件がある。解決策は、問題にいま生きている十兆の人問に、見合ったものでなくてはならん。そしてそれはあらゆるところで同時に効果がなくてはならん。オーストリアで不妊化されたあの一万人の女たちのような、テスト・プログラムに向ける時間はもうないのだ。あれではなんにもならん」

「わたしが一緒に学校へ通ってた女の子の一人が不妊化されたの知ってた? イルザ・シュトラウスよ。彼女いってたわ、全然痛くないし、楽しみは……わかるでしょ…まったく変りないって。ただ、あの……ほら……出血がないのね」

「わたしの解決策を聞きたくないのか?」

「もうおっしゃったと思ったけど」

「このアイデアが浮んだのは六十年代初めのある日のこと、民問防空のサイレンが消えていくのを聞いたときだった」

「民間防空のサイレンってなあに?」と彼女はいった。

「ドイツでサイレンを聞いたことがないなどとはいってくれるなよ!」と彼はいう。

「ありますとも」と彼女。「子供の頃はしょっちゅう。ジミー、あなた、わたしたちはまずモハメッドの店に寄るっておっしゃったと思うんだけど」

「ほんとにそんなにひどくサンデーが欲しいのか?」

「あの病院の食事はそれは凄じいものよ。これはわたしのラスト・チャンスなの」

「よし、わかった」と彼はいった。車を低速車線に戻すと手動に切換え、パセイック大通り出口にまわった。モハメッド高級アイスクリーム店は短くて急な丘のてっぺんの小さな横通りにひっこんだところにある。スキリマンはこの店を子供の頃から憶えている。ときおりは品不足のせいでアイスクリームの質が落ちたけれども、ここは三十年前から変っていない数少いもののひとつだった。

「赤ちゃんを連れていくべぎかしら?」と彼女がいう。

「ここで機嫌よくしてるじゃないか」と彼。

「長居はできないわね」と彼女はいった。苦しげな声をもらしながら車から出ると、ふくれたおなかに片手を添える。「また動いているわ」と犠いた。

「もう遠いことではないな」と彼はいう。「ドアを閉じろよ、ミナ」

ミナは右手のドアを閉じた。彼はハンドブレーキを見、そして車椅子の飾りのオレンジ色のプラスチックのまがいのハンドルを穏かにみつめている赤ちゃんビルを見る。

「じゃあな、ぼうず」とスキリマンは息子に囁いた。

ちょうど二人がガラス張りのドアを抜けて人りかけた時、店員が二人に叫んだ。「おたくの車が! お客さん、おたくの車が!」狂ったように皿ぶきんを動いているマーキュリーのほうに振った。

「何だね?」スキリマンはわからないふりをした。

「おたくのマーキュリーですよ」と店員は絶叫した。

赤いマーキュリーは、ギアがニュートラルに入ったまま、ゆるやかな下りのカーブ上を滑走して、小さな横通りを下って交通の激しいパセイック大通りへと向っていた。一台のドッジが右正面にぷつかり、ボンネットの上にのしかかりはじめた。ドッジのうしろにいたコルヴェアが左にそれて、マーキュリーの後尾に衝突し、マーキュリーは衝撃でアコーディオンのように捩じまがった。

スキリマンはアイスクリーム・パーラーの外に立ったまま妻にいった、「あれがまあ、わたしのいおうとしていたことだよ」

彼女はいった、「何ですの?」

彼はいった、「解決策について話していた際のことさ」

 

おわり



T. M. ディッシュ『キャンプ収容』 野口幸夫訳     平成18年7月16日