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: 二冊目
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目次
どのように喋るのか?
かすかに余分な鼻声を伴って。カリフォルニアで修正されたテキサス流。鼻声は私と話すとき強まる。彼にとって私が偉大な〈東部エスタブリッシュメント〉の代表だからだと思う遠い昔、ハーバードやスワースモアヘの彼の奨学生待遇申請をはねつけた、あの悪意あるりベラリズムの秘密結社の。
しかし、あなたは本当は彼は何をいうのか?――と仰有りたかったのではありませんかな?
そこで、彼の会話を分類することにしましょう――
- A.
- 自己または他人の研究への関心を示す言辞。(実例一「われわれは古い点描派的な爆撃の観念個々の、分離的な『爆弾』
から脱却せねばならん、むしろ今はもっと概括的な、『種の霊気、爆性の観念を求めねばならんのだ。私はそれを日の出のようなものとして思い描く」)
- B.
- みつけたならどこであれ破壊してしま
いたいという願望のかなり率直な自認を伴う佳きものへの侮蔑を示す言辞。(これの最上の実例はナチの青年隊の指導者、ハンス・ヨ;ストかちの引用で、それを彼は松材の飾り板に焼きつけて机の上に吊していた一「教養という単語を耳にすればいつでも自分はブローニングの安全装置をはずす」)
- C.
- 同僚や知人への侮蔑を示す二.一・辞。(先に私はスキリマンのハースト観を引用した。忠誠このうえないクワットたちにさえ、当人のいないところでは酷評するーそして彼らが出過ぎた真似をしようものなら、面と向って。
一度、若いプログラマーのスキパンスキーが、失敗を情状酌量してもらおうとしてこういったことがある、「試みました、ほんとにやってみたんです」スキリマンは答えた、「ところがどうしても芽が出ませんか、え?」まったく他愛のない冷かしなのだが、ただスキパンスキーの場合にはおそらくあまりにもそれが的確すぎるのだろう。実際、スキリマンに悲劇的な欠陥があろうものなら、それこそド・サドのように、傷つけたい衝動に抵抗できないことになってしまう)
- D.
- および自分のものであれ他人の
ものであれおかまいなしの、肉体への憎悪を示す言辞。(例:彼がパリジンの「体細胞のルーブ・ゴールドバーグ的メカニズム」に対する効果についていったジョータ。もっといい例.彼のスカトロジー的メタファ好き、以前、食べることと排便することとの違いをいっしょくたにしてしまったふりをして、食堂中を笑いが止まらなくしてしまったことがあった)
- E.
- 奔放で広汎に亘る知性の所産である言辞や観念。どう解釈してみても、私は彼のいうことすべてを彼に刃向わせることはできない・(まったく公正に口、取後の例を。彼は湖や貯水池など、大量の静止した水の持つ奇妙な魅力を分析しようと努めていた。彼は、こうしたものの中にのみ自然はわれわれに、みた目には果しなく広がるユークリッド平面の景観を与えてくれるのだと述べた。それは、常にわれわれの細胞組織に働きかけている重力の法則への、あの最終的な服従を象徴するものなのだ。ここから彼はさらに進んで、建築学の偉大な業績はユークリッド平面の概念をとらえてそれをぎりぎりの縁に立たせることにほかならないと述べた。壁というものがかくも印象的な現象であるのは、それが水塊……を横向きに立たせだものだからなのだ)
T. M. ディッシュ『キャンプ収容』 野口幸夫訳
平成18年7月16日