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五月十五日

まさに Nel mezzo del camin di nostra vita (わがいのち半ばに至れり)! 三十五回日の誕生日、そして些かおぞましい。今朝、数瞬のあいだ、ひげそり用の鏡の前にもう一人の私、ルイ二世が立ち現われた。彼は下品な言動で嘲笑し、あたりちらし、忠誠の旗を汚した。希望についてはいうまでもない(最近ではすっかり汚れきっている)。十五歳の時の暗欝な夏を思い出した。ルイ二世が私の魂を単独支配した夏。暗鬱? 実のところ、Non serviam(服従せず)をいったときにはとても愉快だった。この浮きたつような気分はいまも私の最初のセックスの記憶と人り混じっている。

現在の状況がそれと大きく異なっているだろうか? ただ、今は慎ましくも、神にではなくカエサルに"服従せず"といっている。

教戒師が告解を聞きにきたときはこんな心の咎めのことは話さなかった。無邪気にも彼 は冷笑的なルイ二世の側を受けいれようとしたものだ。だが彼も今では知恵がついて、私に対してとぼしい一般論の蓄えを動員しようとはせず(こいつもうしろ向きのアイルランドの聖トマス派だ)私の道徳観を受けいれるふりをしている。「だが気をつけよ、ルイス」 と彼は私の罪を許す前に助言した。「知の驕りに気をつけよ」つまり知性に用心しろということだなと私はいつも思っている。

徳義と我意をどう区別すればよいのか? 二人のルイを? ひとたび己を委ねてしまった疑問を、どうすればとめることができるのか? (それが疑問だ。)RMらはこんな疑問を抱いているか? 彼は生涯において一度も疑問を持ったことがないかの如き印象がある――そしてモルモン教徒たちはそれだけになお多くの疑うべきものがあるようだ。

私は慈悲の心にはほど遠い。この井戸も干あがりかけている。



T. M. ディッシュ『キャンプ収容』 野口幸夫訳     平成18年7月16日