スキリマンのカリスマ性。
今は否応なくチームワークの時代である。次の世代には、とスキリマンは唱える、サイバネーションがうんと進んで単独の天才が再流行するであろう――彼に必要となる夥しいセルフ・プログラミング・コンピュータを都合できるだけの補助金が得られるならば。
スキリマンは他人が嫌いだが、自分にとって必要なため、他人を利用することを修得している――ちょうど、以前にしぶしぷながら私が車の運転を独習したように。どういうわけか私には、彼はあの「対人テクニック」を心理学のテキストから学んだのであり、部下の一人にヒステリックに小言をいいはじめる時、こんなふうに自分にいっているのだというような気がする――「さあ、これはちょっとしたネガティブな補強のためだぞ」同様に賞賛するときにはニンジンを思い浮べる。彼のままになる最良のニンジンは、自分と話し合う機会を与えることにほかならない。ただもう凄じい荒廃のご面相ゆえに、彼は近寄り難いのである。
だが彼の最大の強みは、過たず他人の弱点を見抜く力にある。彼が十二人の偲偏をこうも見事に操っているのは、操縦されることを望むような者を念人りに選んだからだ。あらゆる独裁者が知っているように、そうした人間には事欠かないものなのである。