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: 五月十三日 : 一冊目 : 五月十一日   目次

五月十二日

日誌というものは、以前に試みた限りでは、単純に訓戒的なものになってしまう傾向がある。ここでは最初から筆まめになるよう心せねばならぬ。かの高遠なる獄中生活記録「死の家の記録」をお手本にして。ここでは些事にこだわることは容易なはずだ。身辺雑事にこれほど虐げられるのは実に子供の頃以来なり。毎日、夕食前の二時間は恐れと希望のゲッセマネの中で過ごす。あのいやらしいスパゲッティがまた出されはしないかという恐れ。シチューを配る柄杓にすてきな肉のかたまりが入っているかもしれない、デザートにリンゴが出るかもしれないという希望。"えさ"よりひどいのは巡察にそなえて毎朝やる気ちがいじみた房内の拭き掃除。房内はフィリップ・ジョンソンの夢(グランド・セントラル・バスルーム)みたいにピカピカだが、われわれ囚人は腐りかけて廃物化した自分の肉体の信じられないようなしみついた臭いと一緒にいるのだ。

しかし――。ここでの生活は徴兵に応じていた場合にわれわれが今この壁の外で送っているであろうものほどひどくはない。胸くそわるい牢獄ではあるけれど、それなりに利点はある――そんなに速やかに、そんなに高い確率で死に至ることがないという点だ。正義というはかり知れぬ強みについてはいうまでもない。

あ、そうだ。この "われわれ" というのは誰のことか? 私のほかにここは良心的徴兵拒否者は十人あまりしかいず、団結心の生じるのを避けるために用心深く引き離されている。囚人――本当の囚人たちはわれわれを軽蔑している。彼らには正義よりももっと長続きする強みがある――罪悪だ。こうしてわれわれの孤立、私の孤立はなおさら絶対的なものになっている。そして、おそらく私の自己憐欄も。RMが来て議論の相手になってくれないものかと願いながらここに坐っている晩もあるほどなのだ。

四か月! そして私の刑期は五年……これがわが全思考のゴルゴンなり。



T. M. ディッシュ『キャンプ収容』 野口幸夫訳     平成18年7月16日