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六月十二日

徹夜――書きなぐり、書きなぐり、書きなぐり。例によって、モルデカイの真相暴露に対する私の反応は、しりごみし、あとずさりし、頭を砂に突込むことそして書くことで、いやはや神様、書いたの何の! マーローの五歩格が昏い宙空にまだ韻々と響き渡っていて、無韻詩以外は到底不可能に思えた。ハイスクール以来、これに眈ったことはなかった。燃料を費い果してしまった今、字句をただただタイプ打ちし、逞しい 隊列としてぺージに配していくというのは、毛皮を愛撫するのにも似て、放恣な贅の趣きがある――

籠の鳩の如く肥え  賃貸しされた子は

かわらけの破片を  一足毎に鳴らしながら

安もの香油の匂い放ち  ゴートに跨り……

何のことやらさっぱりわけがわからない(霧が濃い)が、題は(定かならずも) "The Hierodule" となっている。ヒエロドゥールというのは、先週OEDをあたっていて発見したのだが、神殿に供えられる奴隷のこと。

今は、呪われたコールリッジのような、また喪神状態から叩き出しにポーロックから訪ねてきてくれる人もなかった者のような、そんな心境。これが無邪気にも始まったのは、一年前に流産した"セレモニー"詩を蘇生させた時のことだが、あのあっぱれ敬慶なる断章群との関連といえばただひとつ、冒頭、祭司が神殿の迷宮に入っていく際のイメージ――

……左に曲り、右に折れ、とらえんとする眼差

神の目の如く愛しく。血の舞い翻りて池に……

このあと十行たらずでこれは退嬰化(それとも昇華?)して、分析はおろか、要約の力さえもまったく寄せつけないものになってしまう。異教的であるのはまず間違いない上に、異端的でもあるらしい。これを私の名のもとに世に出すような不敵さはとてもない。世に出す! 私はまだひどくうわついていて、はたしてこの代物が韻律の合っているものなのか、ましてや公表しうるものかどうかなどは知るべくもない。

けれども私には、よき詩のあとにやってくる、自分がこれまでになした他のすべてのものはこれに較べたら滓なのだという感覚がある。それは、たとえば――偶像の描写

視よ! 視よ  黒き  肌目なき肉を

顎は  宝石を鎮めた蝶番  それをわれらはようやくにして垣間見るを得

 

かかるうち  内部では  毒されしヒエロドゥールが

死に瀕し  囁くは  神の意図せしこと  それは……

それを私に囁いてくれたらと思うのだけれど。

百十行!

きのうの午後、これにとりかかるために腰をおろしてから、まるで一週間が過ぎたような、そんな気がする。



T. M. ディッシュ『キャンプ収容』 野口幸夫訳     平成18年7月16日