next up previous contents
: 追記―― : 一冊目 : 追追記――   目次

六月四日

しらふの二日酔。

ハーストのリクエストどおり、移行期の出来事を記述することにする。願わくは彼への反証とならんことを。

「蚕の唄」の翌日――五月二十日になるはずだ――まだ加減が悪くて房に残り、ドニイとピーター(もう仲直りしていた)とマフィアは作業に出ていた。スミードの部屋へ呼び出され、身の回りの品の人った包みを受けとった。彼は私にそれを入所した日に作った目録と一つ一つ突き合わさせた。やけどしそうなほどに沸きあがる希望。抗議の世論か法の良心か、何かの奇跡が私を解放したのではないかと想像した。スミードが私と握手し、喜び狂った私は彼に感謝した。目に涙をうかべて。

あの野郎、さぞかし面白かったにちがいない。

彼はそれから私を、囚われの肉体と同じ病的な黄色の封筒(サケッティ身上調書というやつだろう)と一緒に二人の衛守に引き渡した。黒い制服に銀のふちどりがあってとてもドイツ的で、言い慣わしに従うなら、ごっつい。膝までのブーツ、なめし革製の本物の装具、ミラーサングラス、揃い一式。ピーターなら羨望の、ドニイなら欲情の、うめき声をもらしただろう。一言も口をきかず、職務一直線。手錠。カーテン付のリムジン。私は二人にはさまれて坐り、石のような顔とおおいのかけられた眼を不審に思った。飛行機。鎮静化。かくして、パン屑の道しるべさえもないルートを経てこのキャンプ・アルキメデスの結構な小独房へ。ここでは魔法使が極上の食事をふるまってくれる(ベルを鳴らすだけでルームサーヴィスのご入来)。

ここへ着いたのは二十二日だとのこと。HHの最初の接見がその翌日。あたたかい励ましと頑強なはぐらかし。ご承知のように私は六月二日までコミュニケーション不能状態だった。そんな九日間がパラノイアの最高天で過ぎたわけだが、あらゆる熱情の例にもれず、衰え、弱まってありきたりの月並な恐怖になり、そして不安まじりの好奇心に変わってきた。告自すべきだろうか、どんな状況でもそれなりのたのしみは得られるものであり、どうせなら不思議なお城のほうが昔なじみの地下牢よりはやはり興味深いのだと? しかし誰に告白するのか? HHに? 今ではほとんど毎日、鏡で対決せねばならないルイ二世にか?

いや、あくまでもこの日誌は私だけのものだというふりをすべきだ。私の日誌なのだ。

ハーストがコピーを欲しいのなら、ハーストはカーボン紙を支給せねばなるまい。




T. M. ディッシュ『キャンプ収容』 野口幸夫訳     平成18年7月16日