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: 80. : 二冊目 : 78.   目次

79.

彼が私を見守っているかどうか、まるでわからない。彼がそうしているとすれば、私はおそらくこの項を最後まで見届けることはできないだろう。

隔てのある同意者であり、愚痴の自発的な聴き手であった〈忠僕〉が、私の拷問者になった。日毎へ彼はその残酷さを実験精神(滴定法)で少しずつ押し進める。最初のうち私は努めてパブリックな場所、図書館、食堂、etcへ出入りしようとしたのだが、そのような場面が助長の要因となったのだと――仄めかし、押しころした笑い、フォークの行方不明から――明らかになった。きょう、朝の紅茶のために腰をおろそうとしたところ、忠僕が椅子を引き離した。それから大きな笑い声。背中が傷ついたと思う。医師たちに訴えたのだが、恐れが彼らをオートマトンにしてしまっている。彼らは今では、症状を問う以外にはいっさい私に話しかけないことを旨としている。

ハーストに会わせろというと、忙しいといわれる。衛守たちは、私がもう実験に関連性 がないと見て、スキリマンを見倣い、彼は公然と私のふがいなさを嘲り、私をサムソンと呼んで髪をひっぱる。私が食べ物を保っておけずにいるのを知っていながら、彼は問う――「自分がどんな糞を食っていると思っているんだ、サムソン? 彼らがきみの皿にどんな糞を盛っていると?」

忠僕は、部屋にいないか、さもなければ、私のタイプするものを読んでいないに違いない。彼を追っぱらうため、一日の大半を、フランス語で詩をタイプ打ちして過した。この同じ愚痴を他の諸言語でも表わしてみたが、何の反応もないところをみると、HHはもう私の書くものをわざわざ翻訳させたりはしていないと推測せざるをえない。或は、私がどうなろうと、もう気にかけてはいないのだ、と。

妙なものだ――ハーストが殆ど友人のように思えるようになっていたとは。


T. M. ディッシュ『キャンプ収容』 野口幸夫訳     平成18年7月16日