彼のモノローグ、つづき。
「神が遂に死んで、それで結構。彼はあんなやかまし屋だったんだ。古典学者の中には、ミルトンの共感が彼の悪鬼に向けられていて、神に寄せられなかったことを奇異に思うと称している連中がいるが、とやかくいうほどのことはない。福音書の書き手でさえ、その火を天国よりも地獄から.拝借していることのほうが多いんだ。彼はきっとそちらのほうにずっと細心の注意を向けているよ。そのほうが、適切だとはいわないまでも、うんと興味深いというまでのことさ。地獄のほうが、われわれの知る事実に近いんだよ。
われわれの正直さをもうちょいとばかり押し進めようじゃないか。地獄は、単に天国よりもましだというだけではない――来世について(つまり、それに向って努力するだけの値打のある目標にっいて)人間の想像力が考り案できた唯一の明瞭な概念なのだ。エジフト人、ギリシャ人、ローマ人たちは、われわれの文明を創建し、そこに彼らの神々を住まわせ、そしてその冥界の知恵のもとに、足の下の天国を形造った。一部の異端的なユダヤ人がその文明を承け継いで、その神々を悪霊に変え、天国を地獄と呼んだ。ああ、彼らは屋根裏のどこかに新たな天国があると装おうとしたが、それはなんとも説得力のない欺瞞だった、われわれが屋根裏への階段をみつけた今、その住むものもなく無窮の虚空のどこであれ、好きなところをぶんぷん飛びまわれる今、ゲームは終っているのだ、完全に、あの天国についてはね。ヴァチカンが今世紀の末まで生き延びるかどうかは疑問だね、といっても決して無知の力を過小評価すべきではないがね.ああ、ヴァチカンの無知じゃないよ、滅相もない! 彼らはカードがどう仕組まれているか、いつだって知っていたさ。
天国はもう沢山、神などもう沢山だ! どっちも存在しやしない。われわれがいま聞きたいのは地獄と悪魔のことだ。力や知や愛じゃない――無力と無知と憎悪、サタンの三つの顔だ。私の率直さに驚いているかね? 私が手の内をあかすと思うかね?全然ちがうね。すべての価値はいつのまにか融けて正反対のものになってしまう、ちょっと出来るへーゲル学徒なら誰でも知っているよ。戦争は平和、無知は強み、そして自由は隷属だ。 おまけに、愛は憎悪だとね、フロイトがあますところなく証明してみせたように。知識についていえば、われらの時代のスキャンダルだよ、哲学が削ぎけずられて骨ばかりの認識論に、それからもっと貧相なアグノイオロジーにされてしまったとは。私はきみの知らない単語をみつけたんじゃないかな、ルイス? アグノイオロジーとは無知の哲学、哲学者のための哲学のことさ。
無力については、きみに、チータ、語ってもらってはどうかな? おや、こいつの赤面ぶりを見てくれよ。どんなに彼が私を憎んでいるか、その憎悪を表現するのにどんなに力がないか。むくれるなよ、チータこれが、根底に於て、われわれの共通の状況なのだ。 遂に、あらゆる事物の窮極に於て、各原子はそれのみで存在するのだ――冷たく、不動で、孤立して、他の微粒子と接触せず、いかなるモーメントをも分与せずに、独立市民というわけだな。
そしてこいつはなんとも恐しい宿命じゃないかね、まったく? かの大いなる日来たらば、宇宙はうんと秩序あるものとなるだろうね、ごく控え目にいって。万物が均質化され――等距離にあって、静穏になるのだよ。これは私に死を想起させ、私はこれが気にいっている。
ところで、リストに含めるのを忘れていた価値がある死だよ、なるほど、われわれがあのうんざりする古い日常から脱出するのに役立つものがあるよ。存在を信じるのが困難でない来世があるよ。
それこそ、私がきみに、チータ、そしてきみにも、サケッティ、さしだす価値だよ、受けとる度胸があればのことだがね。死だよ! きみ自身の個々の、そしてことによると取るに足りない死にすぎないものではなくて、字宙的な次元での死だ。ああ、たぶん時の終りの熱死じゃないな――そいつは注文が多すぎるよ――それでもかなりその線に近い死だよ。
終らせるのだよ、サケッティ、くそったれな全人類をね。意見はどうだね、きみ――これを買うかね?
それとも、私の提案は唐突すぎますかね? 百科事典セットのご購入をお考えになったことはおありですか、そうですか? まあ、時間をかけることですね、得心のいくまで。一週間後にまたお伺いしましょうか、奥さんととっくりお話し合いになったあとで。
しかし、結びにいわせてくれ、ほんのちょっぴりでもおのれを知る者なら誰しも、自分が 仲間はずれになることほど強く願っているものはほかにはないと、知っているものだ、存分に仲間はずれになることをね。われわれは、フロイトの雄弁なことばでいえば、死者たらんと願っているのだよ。
或は、きみ自身のものを引用すれば――おお悪の傀儡よ、滅却せよ。すべてを滅却せよ、そしてわれらを。
エキサイティングなのはね、ほら、それがまったく可能だということだ。完全に神の如き力を持つ兵器を作ることが可能なのだよ。 爆竹でトマトを破裂させるのに使った方法で、この小さな世界をこっぱ微塵に吹き飛ばすことができるのだよ。われわれとしては、兵器を作ってそれをわれらの親愛なる諸政府に与えれば、それだけでいい。そこから先は、彼らが引受けてくれると、あてにしていいよ。
われわれに手を貸すといってくれないか? せめても、精神的な支援を与えてくれるとだけでも?
おや――まだ黙んまりかね? まったく話相手として面白くない人間だな、サケッティ、さっぱりだよ。彼の何がきみを楽しませたのか、疑問に思うよ、チータ。さてと、きみの支度ができているなら。何か為すべき仕事があると私は信じるんだがね」