れはごく普通の 旅客便として始まった。ニューヨークのJFK空港で、200人以上の老若男女がボーイング747への搭乗のために行列していた。向かう先は韓国の首都ソウルだ、だが、だれ一人として目的地に到着しなかった。日本の北を高度35000フィートで飛行中に、撃墜されたからだ。

 大韓航空007便の撃墜は1983年9月1日に起きたもので、冷戦時代の最も衝撃的な出来事の一つだった。同機は進路をはずれ、一時的にソ連領空に入り込んだ。ドリンスク=ソコール空軍基地で、ソ連司令官は戦闘機を二機発進させ、「侵入者破壊」命令を下した。大韓航空機は空対空ミサイルの一撃を受けて海に墜落、乗客および乗員は全員死亡した。ロナルド・レーガン大統領はこれを「人類に対する犯罪」と宣言し、これが米ソ関係の新時代の幕開けとなった。間もなく両国の緊張関係は、20年前に世界を核戦争寸前にまでもたらしたキューバ危機以来の水準にまでエスカレートする。

大韓航空007便が、1983年9月2日にソウルに向かう間に撃墜されたのが「ほぼ確実」という韓国当局の発表を聞いて、乗客Lee Chul-Kyu,の姉妹が泣いた。 (AP Photo/Kim Chon-Kil)

大韓航空007便が、1983年9月2日にソウルに向かう間に撃墜されたのが「ほぼ確実」という韓国当局の発表を聞いて、乗客の姉妹が泣いた。

Photo: Kim Chon-Kil/AP

 官僚的なかけひきがしばらく展開されてから、日本ややっと提供に合意して、このきわめて機密性の高い録音はワシントンに送られた。そこから録音はニューヨークに送られ、アメリカの国連代表ジーン・カークパトリックがそれをマンハッタン国連本部に持ち込んだ。撃墜からわずか5日後の9月6日、カークパトリックは国連安全保障理事会に出席し、ソ連が撃墜への関与について「ウソ、でたらめ、弁解」を述べたと糾弾した。そして傍受した通話の録音を再生し、この証拠は「日本政府との協力で」提示されていると述べた。

 カークパトリックがソ連につきつけた主張は反論の余地のないものだった。だが日本のスパイ能力もいまや明らかになってしまった——そして日本当局は、これを快くは思わなかった。G2 Annex は、アメリカとの協力を抑えろという新しい指令を受けた。これはNSAと日本当局との関係に十年近く、少なくとも1990年代初頭の冷戦終結までは影響を与えた。

 大韓航空機事件の詳細はInterceptが内部告発者エドワード・スノーデンから得たNSA機密文書で 明らかとなったNHKと共同で月曜日に公表されたこの文書は、60年以上にわたりNSAが日本と結んできた複雑な関係をあらわにするものだ。日本はNSAが自国内に、少なくとも3ヶ所の拠点を維持するのを許し、NSAの設備や運用の資金として5億ドル以上を拠出している。見返りにNSAは日本のスパイたちに強力な監視ツールを提供し、諜報を共有してきた。しかしこの協力関係には裏の要素もある。NSAは日本側と協力関係を保ち、その資金提供の恩恵を受けているのに、同時にこっそり日本の高官や機関に対するスパイ活動も行ってきたのだ。

 NSA はこの記事の内容についてのコメントを拒否した。

1945年8月9日、9.6km離れた長崎県香焼島で撮影された、長崎市原爆の放射性プルーム。アメリカの空飛ぶ要塞ボックスカー US B-29機が「ファットマン」とあだなされた原爆を投下し、これが午前11時直後に長崎市北部上空で爆発した (写真は Hiromichi Matsuda/Handout from Nagasaki Atomic Bomb Museum/Getty Images)

1945年8月9日、9.6km離れた長崎県香焼島で撮影された、長崎市原爆の放射性プルーム

Photo: Hiromichi Matsuda/Nagasaki Atomic Bomb Museum/Getty Images

1945年8月14日アメリカ空軍機が長崎と広島に原子爆弾を落として10万人以上を殺してからほんの数日で、日本は無条件降伏を発表した。戦争は終わったが、講和合意の一部として日本は米軍占領に合意した。マッカーサー元帥率いる米軍は新しい日本憲法を起草し、国会制度も改革した。1952年4月、日本は独立主権を回復したが、米軍の駐留は続いた——そしてNSAの物語もそこから始まる。

 NSA文書によると、NSAと日本との関係は1950年代に遡る。日本でのNSAの活動は長年にわたり、東京都港区にある「ヘンリー兵舎」という軍事拠点の「覆面オフィス」から統括されていた。ここからNSAは日本の「信号諜報(SIGINT) 局」と呼ぶものと密接な関係を保ってきた。

 当初、NSAは日本であまり目立たないようにして、その存在と活動を秘密にしていた。だが日本との関係が深まる中で、それが変わった。2007年になると、NSAは「秘密活動はもはや必要ない」と決断し、その本部を東京のアメリカ大使館内に移転した。「日本とNSAの協力関係の重要性は高まった」とNSAは2007年10月の機密報告で述べ、日本を「アメリカとの諜報パートナーとして次のレベルに引き上げる」計画があるとつけ加えている。

 東京以外にも、NSAは日本国内に数カ所拠点を持つ。中でも最も重要なものは、東京から600キロほど離れた三沢空軍基地だ。「三沢安全保障作戦センター」と呼ばれるもので、NSAはLADYLOVEなるコードネームで任務を展開している。巨大なゴルフボール型の白いドームに覆われた、1ダースほどの強力なアンテナを使い、ここではアジア太平洋地域の人工衛星で送信される、各種の通信が吸い上げられている——通話、ファックス、インターネットデータなどだ。

007年5月1日、キース・アレキサンダー陸軍中将が、ワシントン議事堂での乗員諜報委員会での証言中にメモを見直す。 (AP Photo/Haraz N. Ghanbari)

2007年5月1日、キース・アレキサンダー陸軍中将が、ワシントン議事堂での乗員諜報委員会での証言中にメモを見直す

Photo: Haraz N. Ghanbari/AP

 2009年3月時点で、三沢基地は「16の標的となる人工衛星からの、8000以上の信号」をモニタリングするのに使われていた、とあるNSA文書は述べる。同時に、NSAはスパイハブの強化に取り組んでいた。当時の長官キース・アレキサンダーによる「すべてを収集」という課題に応えるためだった。これはつまり、できる限り多くの通信を拾えということだ。三沢基地にいるNSA職員は、この呼びかけに対して自動的に人工衛星信号をスキャンし処理する技術を開発した。「可能性は果てしない」と 三沢基地のある職員は述べ、この基地がやがて「『すべて収集』に一歩近づく」と予想している。

 戦略的には、日本はNSAの最も大切なパートナーだ。中国やロシアといったアメリカの大ライバルに近いため、こうした国々に対するスパイ活動の踏み台になってきた。だが日本国内でのNSA活動は、近隣の敵国の通信モニタリングにとどまらない。三沢基地で、NSAは APPARITION と GHOSTHUNTERというプログラムを使っている。これは中東と北アフリカにおける人々のインターネットアクセスをピンポイントでつきとめる。 NSAのイギリス拠点メンウィズヒルでのGHOSTHUNTER使用を詳述した資料によれば、このプログラムは殺害攻撃の支援に使われ、テロリストとされる人々に対する「大量の捕獲殺害」を可能にした。2008年11月の文書では、三沢基地がアフガニスタンとパキスタンのテロ容疑者追跡にきわめて有用だったと述べており、またインドネシアの標的同定にも使われているという。

 過去10年にわたり、NSAの戦術は大幅な進歩を遂げた——そして新しく議論のわかれる手法も採用しつつある。インターネットの人気が高まってきた2010年には、NSAは相変わらず電話盗聴といった古くからのスパイ戦術を使いつつ、ますます標的のコンピュータをハッキングして入り込むといった強引な手法を使うようになってきた。

 三沢基地でNSAは各種技能にハッキングを採り入れ始めた。同基地で使われる手法の一つは “Quantum Insert” 攻撃と呼ばれる。これは監視対象の人々のインターネット閲覧習慣を監視し、かれらをコッソリと不正ウェブサイトやサーバーへとリダイレクトして、監視対象者のコンピュータに「インプラント」を植えつけるものだ。このインプラントは感染したコンピュータからの情報を集め、それをNSAに送り返して分析させる。「何らかのウェブブラウザでこちらを訪問させられたら、たぶん支配できる」とハッキング技術を説明した文書であるNSA職員は述べる。「唯一の制約は、どうやってこちらにアクセスさせるか、ということだ」

2015年5月19日、沖縄県の過密な住宅地に囲まれたアメリカ海兵隊普天間基地にepa04756429 アメリカ海兵隊 MV-22 オスプレイが駐機中。日本政府は、アメリカ空軍横田基地にCV-22オスプレイが配備されると5月12日に発表したばかりだった。 CV-22 オスプレイは特殊作戦部隊用であり、低空夜間飛行を行う。海兵隊MV-22オスプレイの三倍の事故率となっている。横田米空軍基地を取り巻く地元都市の市長四人は、2017年にCV-22オスプレイ配備について深い懸念を表明した。アメリカ国防総省は、ハワイでCV-22オスプレイが墜落し、一人死亡、21人が負傷したにもかかわらず、日本でのオスプレイ配備を見直さないと5月18日に発表していた。EPA/HITOSHI MAESHIRO

2015年5月19日、沖縄県の過密な住宅地に囲まれたアメリカ海兵隊普天間基地にアメリカ海兵隊 MV-22 オスプレイが駐機中

Photo: Hitoshi Maeshiro/EPA/Redux

田空軍基地もまた、福生市近くの奥多摩山麓にある米軍施設だ。この基地は東京都心から車で90分ほどであり、3400人以上が駐留している。アメリカ空軍によると、横田基地の役目は「アメリカの抑止体勢を促進し、必要ならば航空攻撃作戦における戦闘機および軍用機支援を提供すること」だという。だがここは別の秘密の役割を果たしている。

 横田基地には、NSAが「エンジニアリング支援施設」と呼ぶものがあり 、世界中の監視作戦に使われる装備を供給している。2004年にNSAは、この場所に新しい3200㎡の建物を建設した——フットボール場の半分にもなる規模だ。これはアフガニスタン、韓国、タイ、バルカン諸国、イラク、中南米、キプロスなどで使うという監視アンテナの修理製造を行う使節だ。建設費は660万ドルであり、そのほぼ全額を日本政府が負担した、と2004年7月のNSA報告は述べている。日本はこの設備の職員の人件費も負担する。設計者7人、機械技術者などの専門家で構成され、全員の給料をあわせると $375,000になる。

 横田基地の南西2千キロほどのところに、日本で最も僻地にあるNSAのスパイ拠点がある。沖縄の巨大なアメリカ海兵隊基地、キャンプ・ハンセンの中に位置したこの施設は、やはり日本が大量に資金を提供している。2000年代初頭に、NSAは最先端の監視施設を沖縄に建設したが、、その5億ドルほどの費用は日本が全額負担したとNSA文書は述べる。このサイトは海兵隊員がこれまでジャングル教練に使ってきた、オストリッチ降下ゾーンという「うっそうとした丘陵地」につくられた。この施設はスパイ作戦用の「アンテナ場」も含むものだが、低層の風景に溶け込む建築となっている。以前のNSAスパイ拠点を置きかえるものだ。以前の施設は地元住民から、醜いという苦情が出ていた。この遠隔盗聴拠点の役目は高周波数通信信号の収集であり、 STAKECLAIMという任務の一環となる。NSA は沖縄にあまり多くの職員を配備しているようには見えない。むしろ沖縄施設の運用はハワイにある「24時間収集作戦センター」から遠隔でおこなっている。

 日本の元政府データ保護職員だった宮下紘は本誌に対し、日本がアメリカの諜報活動に資金提供していることは、秘密保護法(彼はこれを批判している)により公開されていないと述べた。「私たちのお金です——日本の納税者のお金なんです。日本での諜報活動にいくら使われたか報されるべきです」。現在中央大学准教授の宮下は、NSAはアメリカの軍事施設に治外法権を与える合意により日本の管轄外になっているのだ、と述べる。「監督メカニズムはありません。基地の中での活動についてはほとんどわかりません」

那覇市 -2011年1月12日、キャンプ・ハンセンでアメリカ海兵隊員がM110ライフルを試射。  (Kyodo)

2011年1月12日、キャンプ・ハンセンでアメリカ海兵隊員がM110ライフルを試射

Photo: Kyodo/AP

 2013年の時点でも、NSAは日本側と「しっかりした」協働関係を維持していると主張していた。NSAは日本で二つの監視パートナーを持っている。信号諜報本部と、警察庁だ。日本は近隣国の通信モニタリングでNSAと密接な協力を行ってきた。また北朝鮮のミサイル発射については、アメリカが提供する諜報に大きく依存してきたらしい。2013年2月時点で、NSAはますます日本側とサイバーセキュリティ問題で協力を深めてきた。そして2012年9月、日本はハッカーが使う特定の不正ソフトを同定するのに使える情報を、NSAと共有し始めた。日本がこうしたデータを共有したのはこれが初めてであり、NSAはこれをきわめて価値の高いものとして、「重要なアメリカ企業情報システム」にタイするハッキング攻撃の予防につながりそうだと考えている。

「日本市民は日本政府の監視についてほとんど何も知りません。極秘なのです」

 お返しにNSAは日本のスパイに対し研修をほどこし、さらに手持ちの最も強力なスパイツールをいくつか渡している。2013年4月のNSA文書 によると、NSAは日本の信号諜報本部に対して XKEYSCOREを一式提供している。これはNSAが「インターネット上で通常の利用者が行うほとんどあらゆる活動」をモニタリングする、コンピュータネットワークからの情報吸い上げを行う「広範な」大量監視システムだ。

 市民権問題を専門とする井桁大介弁護士は、XKEYSCORE が明らかになったことが日本にとって「きわめて重要」と述べる。日本政府がこのシステムを利用すれば、プライバシーを保護する日本国憲法違反になりかねない、と井桁は本誌に語った。さらに、日本では監視問題を扱う法的な枠組みが限られていると言う。これは政府のスパイ活動の範囲がこれまで一度も開示、議論、裁判官による判決を受けてこなかったからだという。「日本市民は日本政府の監視についてほとんど何も知りません。極秘なのです」

 日本の監視能力を司る防衛省は、コメントをしなかった。

東京の日本銀行、2006年7月14日。日本が五年にわたるゼロ金利を終えると広く期待された朝、日本の株価は急落した。 AFP PHOTO/Kazuhiro NOGI  (Photo credit should read KAZUHIRO NOGI/AFP/Getty Images)

東京の日本銀行、2006年7月14日

Photo: Kazuhiro Nogi/AFP/Getty Images

NSAは、イギリスからスウェーデン、サウジアラビア、エチオピアなど世界中の様々な国々と協力関係を持っている。だが日本との関係は中でも最も複雑なものであり、かなりの不信感に彩られているようだ。これは1983年大韓航空機事件の後のドラマチックな動きからも明らかだ。

 2008 年11月の文書で、当時の日本におけるNSA最高位の人物の一人が、両国の関係について述べている。日本は信号諜報において「高い能力を持つ」が、秘密主義すぎると彼は文句を述べた。日本のスパイは「いまだに冷戦時代のやり方にとらわれている」という。「SIGINTを特別アクセスプログラムとして扱っている——自分たちが持つ最も機密性の高いプログラムというわけだ。結果として情報がいささか分断されており、10年前のNSAと似たような状態だ」

 NSAは「SIGINT Seniors Pacific」というグループに参加している。これはオーストラリア、カナダ、イギリス、フランス、インド、ニュージーランド、タイ、韓国、シンガポールが参加している。このグループはアジア太平洋地域における安全保障問題を扱っている——これは地理的な条件のため、日本が大いに関心を持つ課題だ。だが日本はこの会合に参加を拒否している。「日本は招待を受けながらそれを断った唯一の国だ」とあるNSA職員は2007年3月付けの文書で書いている。「当時、日本はこのグループへの参加がうっかり漏れたら、リスクが高いと述べた。それ以外にも理由があるようだった」

 そうした困難の一部は、NSAの活動に直接関係している。NSA文書によれば、長年にわたり日本はCROSSHAIRという監視プログラムに参加してきた。これは高周波数信号から得られた諜報を共有するためのものだ。だが2009年に日本は突然、このプログラムから離脱した。

 その後四年たっても、これはいまだにNSAの頭痛の種だ。2013年2月、NSAは日本の信号諜報本部副長官と面会を行ったが、それに先だってCROSSHAIR問題の説明資料を作成し、この面会が持つ「潜在的な地雷」について警告している。そのメモによれば「これまでパートナーは、NSAが[日本に対して]自分たちの技術ソリューションをやめさせ自分たちのものを押しつけようとしているのだと誤解した。これが起こると、相手方は極度の拒絶反応を示した」

 だがNSA職員は、対面会合では日本に対してきわめて気を使ってはいるものの、秘密裏にはまったく別の行動に出ている。2006年5月のNSA文書を見ると、NSAの一部門——「西ヨーロッパ及び戦略パートナーシップ」と呼ばれる——は日本の外交政策と通商活動についての情報収集のため、日本に対してスパイ活動を行っていたという。さらに2010年7月、NSAはアメリカ国内で、日本の職員や、ワシントンとニューヨークに事務所を持つ日本銀行に対し、監視を行うための国内令状を取得している。

 NSAの秘密盗聴作戦は、日本政府の秘密裏の交渉や取引についての情報を与えるものとなっている。これは2007年5月における、アラスカ州アンカレッジの豪華ホテル、キャプテンクックでの秘密会合の場合にも見られたものだ。

Dアラスカのアンカレッジで2007年5月29日に開かれた、国際捕鯨委委員会会合で、70ヶ国以上の代表が議事に耳を傾ける。クジラたちの運命は、75ヶ国の代表が商業捕鯨禁止を撤回せよという、日本を筆頭とする国々からの圧力の下で行われる討議次第となった。   AFP PHOTO/Michael CONTI (Photo credit should read Michael Conti/AFP/Getty Images)

アラスカのアンカレッジで2007年5月29日に開かれた、国際捕鯨委委員会会合で、70ヶ国以上の代表が議事に耳を傾ける

Photo: Michael Conti/AFP/Getty Images

 国際捕鯨委員会の第59回年次会合がこのホテルで開催されていた——そして日本は商業捕鯨のモラトリアムを終わらせようとロビイング活動をしていた。アメリカの高官はモラトリアムの継続を支持しており、NSAに対して決定的な投票に先立ち日本の動きについてのスパイ支援を要請した。NSAはニュージーランド当局と協力し、監視を行った。「ニュージーランドは標的に対するアクセスを持っており、日本のロビイング活動と、日本の渇望する票を持った国々の反応を示す、洞察に満ちたSIGINTをを収集提供した」と作戦活動の概要を示す2007年7月のNSA文書は述べる。

 4日の会合のある朝7時、NSA職員がホテルから車で20分のところにある、アラスカ作戦運用センターからやってきた。彼女は日本の通信から得た諜報を印刷していた。そしてその情報を、鍵のかかった袋に入れてホテルにくると、ホテルのプライベート会議室に持参した。そこで諜報はアメリカ商務省からの代表二人、国務省職員二人、ニュージーランドの代表二人、オーストラリアの代表一人に提示された。高官たちはだまってうなずきながら資料を読んでいた。

 77ヶ国から成る委員会は、会合の最後に投票をして、アメリカ、ロシア、グリーンランドの土着民による伝統捕鯨を容認した。日本は、同様の理由からミンククジラの捕鯨を認められるべきだと提案した。捕鯨は何千年にもわたり日本文化の一部だったから、ということだ。だがその試みは失敗した。モラトリアムは維持され、日本は特別な例外措置を受けられなかった。

 日本代表は激怒して、委員会の脱退をちらつかせた。「このような偽善があるようなら、日本がこの対話に参加しつづける意義を本気で疑問視せざるを得ない」と日本副代表の森下丈二は述べた。だがNSAからすれば、これは大成功だった。会合の中でNSAがどんな諜報を収集したにせよ——具体的な内容は文書には書かれていない——明らかに票を動かして日本の計画を潰すのに役立ったようだ。この秘密作戦に参加したNSA職員はこう述べる。「結果は努力に見合うものだったか? オーストラリア、ニュージーランド、アメリカの代表はみんな『イエス』と応えるはずだ。たぶん鯨たちも同意するだろう」

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