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朝日新聞書評 2011/7-9

山形浩生

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根本祐二『朽ちるインフラ―忍び寄るもうひとつの危機』(日本経済新聞社)

 上下水道、学校、道路――現代日本のインフラの多くは半世紀前の高度成長時代に作られた。その補修や交換のために今後数百兆円規模の莫大な費用が必要になるが、人口減少と高齢化、財政悪化に伴い、もはや全面維持は不可能だ。それを今後住民に納得させ、維持管理と資金捻出の新手法も含めた計画立案を、いまから進めなくてはならない。

 本書はこの面倒だが避けがたい事実を、ストレートに指摘した本だ。

 理念やお題目より数字と具体的な提案に物を言わせる本だが、読みやすく事例も豊富で説得力は高い。そして本書の根底にある、今後の日本が直面する大問題は市街地の秩序ある縮小なのだという認識は、都市計画や建築リノベーションの分野も共同で取り組むべき重要な課題だ。

 震災復興はそれを試すまたとない機会だが、その具体的な提案も本書には挙げられている。実務家はもとより、日本都市の未来に関心のある万人にお奨め。 (2011/07/03 掲載, 朝日新聞サイト)

(コメント:もとは別の本をやるつもりだったが、他紙で大きく採り上げられていたし、テーマ的にも類似なので間際にこっちに変更。)

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杉山昌広『気候工学入門』(日刊工業)

 現在なお大問題の原子力が推進されるにあたり、地球温暖化の緩和という名目も大きかったのはご存じのとおり。目下はさほど話題にならないものの、今後温暖化が一部の地域に何らかのコストをもたらすのも確実だし、その対策は必須だろう。

 これまでまじめに検討されていたのは、莫大な費用で効果はほとんどなく、実現はおろか国際的な合意すら絶望的な炭素排出削減、温暖化の影響に個別に対応する適応策、再生可能エネルギーの研究といったところだ。でも、気温上昇が問題なら、それを直接下げたらどうだろう?

 たとえば、空中に光る微粒子をまいて、太陽光を反射させ地球に入る熱を減らしたら? プランクトンを増やして大気中から二酸化炭素を除去したら?

 これまで、こうしたジオエンジニアリングと呼ばれる技術はまともに考慮もされなかった。でもそれが徐々に現実味を増し、いまや真剣な検討の俎上に乗りはじめている。本書はそうした各種の技術を紹介しつつ、その費用や社会的な枠組みまで簡潔にまとめ、素人でも十分に読める入門書なのにかなり包括的だ。

 個人的には微粒子散布や雲の増加が意外とお安いのにびっくり。それにかなり効く。とはいえ、その運用は悩むところ。いまの日本では、巨大技術とその運用に対する不信は大きい。本書はそうした懸念や批判論も手際よく紹介している。

 だが、もし温暖化が本当に重要な問題であるなら、使える手段は何であれ検討くらいはしておきたい。本書は、決してジオエンジニアリング万歳の本ではない。だが今後、こうした技術の重要性は確実に増す。温暖化問題に関心のある方はご一読を。有効性の疑わしい炭素排出削減に飛びつくより、社会としていろいろな選択肢を踏まえたうえでの合理的な選択がしやすくなるはずなのだから。 (2011/07/10 掲載, 朝日新聞サイト)

(コメント:個人的には、たぶんここまでやる必要はない、というよりいくつかの手法の合わせ技で解決するんじゃないかと思っている。再生可能に投資してどんどん安くするのがメイン、その仮定で少しジオエンジニアリング的な制御も、サブの補助くらいで使ってみるとか。特に局所的なコントロールに使えるとすごくいいと思う。でも、可能性としてはおもしろいので、もっともっといろいろ試してみるべき。ちなみに例によってラッダイトのグリーンピースは、実験や研究にすら反対しているとか。やれやれ。ますます既得権維持団体に堕してるわ。)

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スチュアート・ブランド『地球の論点』(英治出版)

 七〇年代米西海岸文化を支えた「全地球カタログ」。大企業と政府による消費と管理の枠組みに対抗し、個人の創意と自由に基づくエコライフスタイルを提案した雑誌だ。同誌の標語「ずっと無謀で」はアップル社のジョブズの座右の銘にもなった。

 その伝説的な編集発行人が、本書の著者スチュアート・ブランドだ。その後も電子コミュニティ初期の論客として、ネット社会の議論形成に貢献した。いまの環境保護論者の多くは彼の影響下にある。

 本書はそのブランドが地球温暖化を懸念し、対策を提案した本だ。その答は、都市化促進、気候工学、遺伝子工学、そして……原子力推進だ。

 ファンたちは仰天した。いずれもかつてのブランドが全否定した技術ばかり。だが本書は「転向」の根拠を反駁しがたい詳細さで説明する。

 さらに統計学者ロンボルグが地球温暖化否定論者として(誤って)批判されるが、実は彼の支持する温暖化対策はブランドとまったく同じ。立場に依らない結論の一貫性は、利権や党派的な歪みの不在を図らずも示している。

 温暖化にもっと気長な取り組みを主張する声もある。その場合も本書の技術は、他の面で人類の将来に大きな意味を持つ。今の日本では、多くの読者は本書に反発するだろう。目下の原発事故で著者の見解も変わるかもしれない。だが脱原発を訴える人こそ本書を読んでほしい。本書でも指摘の通り、原発といっても様々だ。重要なのは長期的な可能性を理解した上での選択なのだから。

 「全地球」を看板に個人の自由とミクロな技術の意義を訴えてきたブランドが、本当の全地球問題で巨大システムと大規模科学に救いを求めるとは皮肉。だが結論に同意せずとも、その選択を直視した著者の誠実さは尊重すべきだろう。また敢えてこの時期に本書を出した版元の蛮勇にも脱帽。 (2011/07/24 掲載, 朝日新聞サイト)

(コメント:Stay Hungry, stay foolish の訳を「ずっと無謀で」にしてみた。それにしても英治出版は、これ以外にも「パワーハングリー」を出したり、エネルギー収支考えたら原発もやっぱ検討しないとダメよ、という主張の本をそろえているようでおもしろい。あと、同社の「笑顔の国、ツバル」は、温暖化危機をあおるために扇情的な描き方をされるツバルの実情を描いた本で、恫喝エコロジストなら反温暖化本だと解釈するんじゃないかな。ところがそれを書いたのが……枝廣淳子??!! あのゴアのインチキ本 (失礼。でもそうなんだもん) の訳者? びっくり。と同時にお見それしました。)

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ニコラス・ファレル『ムッソリーニ』(白水社)

 驚くなかれ、本書はなんと、ファシズムは決して悪い政治体制ではなく、ムッソリーニは優れた政治家だったと主張する本だ。

 即座に反発して短絡的に軍靴の音を懸念する人もいるだろう。だが罵倒語として濫用されるファシズムの、具体的中身やムッソリーニの活動をどこまでご存じだろうか。ナチスの仲間だから、右翼全体主義の悪い連中のはず、という程度の理解も多い。

 本書はそうした無知と偏見につけこむ。既存のムッソリーニ像は左翼プロパガンダで歪んでいた、と著者は語る。伊ファシストの実際の活動を見よう。対外侵略は(すぐ負けたし)大したことない。ナチスとの同盟は、侵略回避の緊急措置だ。産業面などで成果もあったし、政策は社会主義的な面も強い。独裁強権的な弾圧はあれ、ユダヤ虐殺のような悪逆非道はわずか。欠点は認めても、悪の権化扱いは不当だ、という。

 記述は実に詳細で、しかも小ネタ満載。派手な女性遍歴談義など爆笑もの(手も早いが果てるのもお早かったとか)。退屈しないことは請け合いなのだが……

 読者として気になるのは、その肯定的評価の妥当性だ。本書の立場は歴史修正主義と呼ばれ、批判されつつもイタリアでは有力だ。その背景には、既存の定説が羮に懲りすぎ、ファシストといえば長所皆無のゴロツキ集団と決めつけすぎて逆に嘘くさくなったこともある。脅しと偽装だけで内外から長期的な支持を得られるか? 本書の議論では、当時彼らの持っていた長所や魅力は理解しやすい。

 その一方で本書の擁護論も弁解がましい。「他国もやってる」「仕方なかった」。ナチ便乗のユダヤ排斥は、民族ではなく生き様が対象だという逃げ口上には唖然。幸い悪質な歪曲は訳注で指摘されている。訳に凡ミスや過度の直訳が多いのは残念だが、おかげで苦しい主張をレトリックでごまかす著者の手口が時に不発なのは、けがの功名か。

 だがだれが正しいのか? ムッソリーニの社会党離反は、金目当ての転向か、当時の無能な社会党に対する信念の反旗か? どちらもある。また本書は国民的支持の高さを正当性の証とする。だがそれが当てにならないのは、最近の北アフリカ動乱が示す通り。

 結局、一方的に悪と決めつけるのは無益ながら、本書の議論も鵜呑みにはできない。だが本書の情報量は豊富だし、重要な部分では既存の定説も批判的に対比され、争点は明確。下世話な楽しさもあり、眉への大量ツバつけは必須ながら、読者なりの評価を下せる材料はある本だ。そして多くの人がそれを実践することこそ、本当に必要なことではないか。  (2011/07/24 掲載, 朝日新聞サイト)

(コメント:ただでさえ分厚い本なのに、土地勘のあまりない分野なので、Denis Mack Smith のムッソリーニ伝とかいろいろ読んで(これもまた分厚いのよ)バランスを取ろうとする。どれも完璧にはほど遠い感じ。しかし本家アマゾンのコメントを見ても分かれるなあ。何をもって完璧とい思うかは、ホントにその人の立場次第で、文中にも書いたがムッソリーニが社会党系の新聞「アヴァンティ!」編集長をやめて、お金を集めて新しい新聞を作ったときに、社会党の人は資本家に金もらって転向した資本家の走狗、と言うし、社会党きらいだった人は、当時の口先だけの行動しない社会党に愛想をつかして信念を貫こうとしたんだと言うし、どっちも一理ある。
 あと、ここの「歴史修正主義」が、ホロコーストはなかった式トンデモ修正主義とはちがう(が、これまた人によっては同じだという)のも触れておきたかったが字数不足。
 翻訳は、腹立つくらいへたくそでまちがいだらけ。読みながら気になった部分をマークしたら増えすぎた。英語的な問題以外にも、現代イタリア史の専門家のはずなのに、その重要な植民地たるエチオピアの主要民族をまちがえるって何なの? 一部を表にしたのがこれなので、白水社は参考にしてください。正直いって、全面的に見直して手を入れるべき水準。
 あと、最初に送った原稿で「三こすり半」という表現つかったら、ダメって言われた。「行為がお早かった」に直したけど。前は巨乳がだめで殺人的ナイスバディがオッケーだったし、へーんなの。あと、同日に毎日新聞に掲載された同書の短評は、たぶん自分で何を言っているのかわかっていないゴミクズ水準。なんですの、戦争に向いていて残虐なほうがよかったとでも?)

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タイラー・コーエン『創造的破壊』(作品社)

 グローバリズムは地域文化を破壊し、低俗なハリウッド映画とマクドナルドで世界を画一化する陰謀だ、といった議論は多い。だから外国文化の侵入を規制し、自国文化の衰退を防げ、と。

 本書は経済学の概念も援用し、そうした見方を実証的に否定する。文化は常に混合し変化する。「弱い」文化が「強い」文化につぶされる一方なんてことはない。大衆に迎合して低俗化の一途でもない。多くの文化保護論はむしろ不自由の強制。総合的はグローバリズムは多様化を促進しがちだ。そして自国文化保護の規制は、成功したためしがない。

 文化保護議論の根底にあるのは、明確な効用判断よりは価値観なのだ、と著者は指摘する。何が望ましいかは、読者の判断だ。だが文化排外主義談義や文化帝国主義批判に走る前に、是非本書をご一読を。文化はみんなの思うほど脆弱ではないのだから。また解説は大風呂敷ながら本書の議論の可能性を縦横に論じて刺激的。  (2011/08/07 掲載, 朝日新聞サイト)

(コメント:コーエンの主張はよくわかる。その一方で、いろんな国で中流階級の人はみんな、アパート住まいでDVDと液晶テレビとパソコンもって、というような感じで、それを核に少しローカルな風俗(日本で言えば仏壇だのお箸だの風鈴だの)が加わっている感じになっているのは、なんだか寂しい気がするのも事実なんだよね。こう、ミクロレベルでの選択は増えているんだけれど、結局マクロな結果はだんだん似通ってきている、という感じ。まあそれは、日本人がチョンマゲ帯刀してない、西洋化して堕落した、とかいうファランのグチに等しいのはわかってるんだけど。)

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フラウエンフェルダー『Made By Hand』(オライリー)

 最近のビジネス書を見ると、パソコンやインターネットの世界はマイクロソフト、アップルやグーグルなどの企業活動だけしかないかのようだ。でも実際にそれを支えたのは多くのアマチュアハッカーたちだ。かれらが自由闊達にプログラムを書き、付属機器を組み立て、ウェブページを作る中で、応用範囲が広がり、産業としても成立するようになった。

 が、目新しさも薄れてるにつれ、そうしたホビイストたちが目を向けつつあるのが、物作り工作の分野だ。シンプルなコンピュータをスイッチ代わりに使った各種の小物やロボットから、いまや料理や編み物裁縫まで含む一大運動となっている。

 本書は、そうした流れの一環として様々な自作活動に挑戦してきた著者の DIY 経験を綴った本だ。

 挑戦の幅は実に広い。野菜作り、養鶏や養蜂から子供の自家教育、コーヒーマシンから手製ギターに紅茶キノコ。それぞれの経験談も楽しいのだが、本書を何より興味深いものにしているのは、その哲学だ。自作は、世界の仕組みを理解し、世界との関わりを深めるための手段でもあるのだ。失敗してもかまわない。いや、失敗しなくてはならない。そこにこそ、工夫と学習の余地があるのだから。

 首をかしげたくなる試みもある。が、著者がなぜそれに関心を持ち、どう失敗を重ね、そこから何を引き出したかというのは明確。多くの試みは失敗したまま。でもだからこそ、成功しておしまいというお話にとどまらず、著者の得た世界の理解が見えてくる。

 本書を読むと、自分でも何か新しいことを試してみたくなるはず。そしていま急成長しつつあるこの分野の醍醐味もわかるだろう。いまのうちに、本書で是非それを味わっておこう。意外とここから、インターネットに続く明日の一大産業も生まれるかもしれませんぞ。 (2011/08/21 掲載, 朝日新聞サイト)

(コメント:オライリーの MAKE 系の本は、どこかで採りあげないと、と思っていたので悲願達成。「50の危険なこと」にしようかと思っていたが時間切れ、その後あれやこれやと考えたが、これに落ち着く。オライリーの本は、通常はプログラミング専門書の棚にあって朝日新聞文化部のレーダーには入ってこないので、こっちで選んでおすすめに入れないといけないんだよね。もう少し Arduino っぽいほうがいいかな、と思ったけれど(個人的に本書に頻出する生物系はそんなに興味ない)、まあこういうのもあり。広がりを知る意味ではおもしろい。
 とはいえ、紅茶キノコをおすすめしてるけど、あれって雑菌繁殖とかトラブルもあったんじゃなかったっけ? あと自分の子供の教育法で実験というのは、アメリカ人はすげーなー、と思う。そこまで書きたかったが入らなかった!)

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ハーバート・ギンタス『ゲーム理論による社会科学の統合』(NTT出版)

 社会科学の統合とは何と強気な。アシモフの未来SFには人類史の将来を予測する、歴史心理学なる統合人間科学が登場するが、ついにそれが実現……とまではいかない。が、著者はゲーム理論がその基盤となると断言するのだ。

 すごいぜ、と本文を開くと、いきなり細かい式や証明がずらずら並んで涙目だが、とりあえずは飛ばしても大丈夫。基本的に著者は、合理的個人の相互作用を描くゲーム理論モデルを使えば、各種の基本的概念が基礎付けられることを示す。後半の章でそれを組み合わせた複雑な社会事象の説明を例示。そして十二章以下で、統合に向けての大きな道筋をいくつか素描してみせる。

 統合対象分野は、生物学、心理学、経済学、社会学等とやたらに広い。読む側にとってもハードルは高めだが、その大胆な構想力は爽快だ。著者がそこに見る共通の枠組みは明確で説得力があるし、その可能性は胸躍るものがある。

 一方で著者は、多くの学問分野がときに事実の観察と説明を軽視し、教条主義や理論的美しさにとらわれて無力化していると著者は批判する(特に社会学には手厳しい)。また偏狭な縄張り根性も蔓延しているのは、ぼくたちも日々目にする通り。だが著者は、少なくとも理論的な可能性については楽観的だ。

 既存知識を教えるだけの本や夢物語をふりまくだけ本は多いが、おぼろげとはいえ未知の理論体系を具体的に描き出してくれる本は貴重。著者の夢見る統合が実現するか、皮肉屋の評者は少々懐疑的ながら、まずはお手並み拝見だ。ごく一部でも実現したらすごい。ただしそれを享受するには、前半の数式にも挑まないと……が、その点は訳者解説にも勉強の指針があって親切。翻訳はきまじめだが正確だし、著者の書評をコラム的に入れた読者サービスも嬉しい。 (2011/09/04 掲載, 朝日新聞サイト)

(コメント:書評は絶賛だけで終わってしまったので少し悪口。まず翻訳はひねった表現が十分理解できておらず、またきまじめすぎるため、ときどき(特に軽口や皮肉部分は)まちがっているのが残念(ありがたいことにそんなに頻出はしない)。たとえばp.373 で、With a friend like Coleman, Rationality needs no enemies と題された Amazon 書評が載っているけれど、訳者はこの題の意味がわかってない。「コールマンのような友だちとともに、合理性に敵は必要なし」と訳している。でもこの書評を読めばわかるけれど、これはコールマンが経済合理性のいちばん偏狭でまちがったバージョンを社会学理論の基礎にしようとして、合理性についての偏見をさらに強化してしまった、と批判する書評だ。文章の意味としては、コールマンみたいに、合理性を支持する友達のような顔をしつつ、その悪いところばかり見ているやつはかえって合理性という発想にとって有害、こんなやつが増えると、合理性の敵(反対者)なんかいなくても合理性は滅びちゃうよ、困ったやつだ」と言いたいのだ。「コールマンみたいな合理性支持は、下手な敵よりかえって有害」というくらいに訳してほしいんだが。また、原題「Bounds of Rationality」は、青木昌彦が正しい意味を序文で指摘していて、本文最後と訳者あとがきの訳はちがうんじゃないか。
 その他、単に英語では主語がないとすわりが悪いので仮置きしてあるだけの we をいちいち「われわれ」と訳すので変になっている部分も散見(p.17 下から 6-3 行目など) 。
 著者は人間の不合理な行動(行動経済学)を重要といいつつも、それを最終的にはけっぽって、合理性と最大化を統合理論の基礎に置こうとする。いまのはやりに背を向けて、割り切るところは潔い。あと、著者は「利己的」というのを、完全に身勝手で他人とあらゆる協力を拒む、という意味で使う。ぼくは自分の利益を重視することと他人と協力しないというのとは相反しないと思っているので、この主張には少し首をかしげる。さらに訳者は、合理的という発想にまでケチをつけているんだが、そんなに気になるかね。
 個人的には、これで統合できるのは各分野のごく一部だとは思う。が、ほんとお手並み拝見。歴史心理学が実現するといいなあ。

 その後多くの方から、「歴史心理学ではなく、心理歴史学じゃボケ!」とおしかりをいただいた。ふ、ふん、そんなの知ってたんだからね! でもハリセルダンせんせい、ごめんなさい)

hiddenreality

ブライアン・グリーン『隠れていた宇宙』(早川書房)

 あのとき別の選択をしていれば――人生は常に後悔に満ち、人は常にあり得たかもしれない別の世界を夢想する。そして星の彼方や次元のひだの向こうに、その別世界が実在してほしいと願う。無数の小説や映画のテーマとなったそんな夢が、本書の第一テーマだ。  本書の描く最先端の物理学モデルによれば、無限の変奏を繰り広げる無限の宇宙がある――それも九通りほど。が、ぼくたちがそこにでかけることはおろか、その様子を見ることも通信もできない。モデルの数式が「ある」と言うだけだ。さて、それは本当に「ある」のか? それが本書第二のテーマとなる。

 著者グリーンは現役物理学者で名科学ライター。これまで超ひも理論や時空論の発展を活写する無謀な試みを成功させてきたが、本書でも常識はずれの先端物理理論を、比喩に比喩をかさねて描き出す手腕は健在だ。現代物理学の様々な側面が、様々な多元宇宙論を軸に目前をかけめぐる。光速の壁の彼方にある別の宇宙、量子の干渉縞にかいま見える別宇宙、おぼろな情報の投影としての宇宙……

 そうしたイメージには想像をかきたてられる。だが、いずれもあくまで理論的可能性だし、観測も通信も無理。ならそれを、あるとかないとか論じることに意味はあるのか? 観測できないものは物理学の対象ではないのでは?

 著者は、下巻の半分をこの議論に充てる。モデルを信じよ、理論様があると言えばあるのだ、と言って。ぼくは納得できなかったけれど、これまた「存在」とは何か、というえらく哲学的な思索にぼくたちを導いてくれる。それが先端物理の奇妙な世界観と混ざって、頭の次元が三つくらいよじれそうな、不思議な感覚が味わえること必定。邦訳は原著の読みやすさをうまく再現しており、監修者のグチ以外は見事にその読書体験を支えてくれる。

 なお今年はこの手の本の当たり年。本書の分厚さに尻込みする向きは、村山斉『宇宙は本当にひとつなのか』(講談社)が類似の内容を新書に押し込めて驚異的。また「観測できなくても、ある」という本書に対し「観測できても、観測しなければ、ない」という異様な話に、素粒子の自由意志という異常な理論を紹介した筒井泉『量子力学の反常識と素粒子の自由意志』(岩波書店)も、さらなる頭のよじれを楽しみたい方は是非。

 中秋の名月も間近だ。本書を読んで月空を見上げ、あるかもわからない並行宇宙の自分にも思いをはせよう。向こうの自分は幸せだろうか? その思いが届くことはないのだけれど――でも手をふれば、案外量子もつれか何かで、くしゃみくらいはしてくれるかもしれない。(2011/09/13 掲載, 朝日新聞サイト)

(コメント:この本以外にもあれこれ紹介できたので満足。各種の並行宇宙論をあまり詳しくはかけないのが残念だが、それを書評でやらんでもいいか。グリーンには『エレガントな宇宙』で、万物の本質が 11 次元を折りたたんだ亀の子ダワシのおばけだと言われて、いまだにトラウマではある。あと日経の佐藤書評で、外国のテレビドラマとかをネタにした比喩はだれる、という指摘があって、それはその通り。ただ佐藤は類似テーマで最近本を出していて、そこで「日本の科学解説書はやっぱ国産で」というのは我田引水と取られても仕方ないと思う。
 監修者は小学校の先輩ではあるので、もっと厳しくしようかと思ったが、本体とはあまり関係ないのでこの程度。でもかれがVOICEで載せていた、殺処分されるペットちゃんがかわいそうとか、ホントどうしようもない話ばかりの連載とか99%とか、後輩としては大変に不満。
 ちなみに中秋の名月は、掲載翌日だったのです。)



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