朝日新聞書評 2004/10-12

 

根岸康雄『万国「家計簿」博覧会―これだけ稼いだ!こうして使った!』(小学館)

 かわいらしくも勉強になる一冊。世界13カ国の中流世帯の家計簿をネタに日々の生活の話をきくだけの、シンプルな本だが、それが各国の経済事情のみならず、社会状況から人生観まで描き出せているのは著者の才能のなせる技か、はたまた自宅の家計をさらして同情を誘った作戦勝ちか。

 各種の生活実態レポート的な本の中で本書のよさは、お金という客観データ重視と、そしてあからさまなイデオロギー的意図の不在だ。この種の本の多くは記述が定性的にすぎ、生活苦を強調して経済格差を糾弾等の政治的な魂胆が露骨だ。本書はそれがないし、おきれいでない部分もきちんと描く。愛人を囲って費用捻出にヒイヒイ言うお父さんを見ても、道徳的に糾弾したりはしない(が経済的な苦労は描く)。それがかえって記述の信頼度を高める。データも詳しくて大学のレポート一本くらいは書けそうだし、気軽で楽しい読み物的な記述が無味乾燥なデータに深みを与えている。

(コメント:あと、こういう調査の場合、通貨の換算には為替レートを使っちゃだめだよ。PPP を使わないと。)
 

ピンカー『人間の本性を考える』(NHK選書)

 人は最初は白紙状態で、環境や努力ですべてが決まるという思想は、ここ数世紀の不合理な差別撤廃や教育整備などに大きな役割を果たしてきた。でもこの思想には大きな問題がある。まちがってるんだもの。人間の相当部分は遺伝的に決まる――それがこの本の主張だ。

 著者のピンカーは人間進化の観点から言語や視覚を分析するハーバード大学の俊英で、科学解説書の名手としても高名だ。遺伝の重要性ならお手のもの。でも本書のすごさは「人は最初は白紙」という過度の環境重視的な思いこみが有害だと明言し、その提唱者たちをなで切りにしたことだ。かれらの議論は真実から目を背け、問題の真の解決を遅らせてしまう、と。

 たとえば暴力。人間は本来は平和的だという説がある。暴力や戦争は文明の病であり、幼児体験や暴力的なメディアのせいで広まる、と。でも先住民族は実はどれもえらく暴力的だし、メディアと暴力もほとんど無関係だ。テレビやマンガなんか規制したって何にもならない。人は暴力的なのが自然で、文明社会はむしろその傾向を抑えて発達してきたんだから。

 あるいは男女の性差。男と女は遺伝的にちがうし、それは嗜好にも出る。男女の職業的な偏りは、社会の洗脳のせいだけでなく遺伝的な部分も大きい。だから女の政治家や重役が少ない等の結果平等を求める悪しきフェミニズムはまちがいだし、「男の子/女の子らしい」遊びを弾圧し、性的役割分担をすべて否定する昨今のジェンダーフリー思想は、子供の本能的な感覚を混乱させるだけだ、と本書は述べる。

 本書の批判は多岐にわたる。子育ての議論は、子供の言語獲得を専門とするピンカーならではの鋭さだし(育児に悩む親御さんが読むとホッとします)、他にも政治、芸術等カバーされていない分野はないほど。日本での各種議論にも直結したものばかりだ。「進歩的」とされる発想や論者をまっこうから否定する結論も多く、だれが読んでも必ず驚く部分があるはずだ。だが記述は実に軽妙ながらとても実証的で説得力があるし、この邦訳は削除されがちな注や参考文献まできちんと残し、議論の根拠をすべて検証可能にしてくれた。

 遺伝要因を指摘した本の多くは、欧米では反動差別文書として大迫害を受けてきた。本書でピンカーは、社会生命を断たれる危険さえ冒しているのだ。本書は進化に根ざした人間理解を示し、それに対応した教育や社会像まで描きだす。人が進化で得た遺伝特性を補う望ましい社会とは――本書はそれを提案し、来るべき総合学問体系すらうかがわせる。むろんそれが実現するのは、優に五十年は先だ。だが半世紀先の社会への整合性ある見通しを示した本が何冊あるだろう。恐るべきパワーと射程を持った、知的な自信にあふれる一冊だ。

(コメント:なんかものすごく細かい直しをあれこれ受けました。これを書いたときには、名古屋にいたのかな。ホテルにファックスがたくさんきたことです。中身が不適当ってことじゃなくて、ピンカーの何たるかがわかるようにしろ、とかその手の話。トップ 1,200 字だとすごく気にするなあ。そういう要望に全部応えた自分もすごいとは思うけど。ちなみに、一番最初の原稿はこんな感じでした。)
 

中西準子『環境リスク学』(日本評論社)

 中西準子は、日本では常に時代の半歩先を歩いていた環境工学者だ。この本は彼女の退官講義と、環境問題をめぐる雑文を集めたもので、彼女のリスク論の優れた解説書にもなっている。

 彼女のリスク論は、実は結構単純な話だ。環境問題でもコストやリスクをきちんと考えよう。あらゆる危険や害をゼロにするのは無理だから、処理にかかるお金と発生するリスクとを比べて妥協点を考えましょう。それだけ。

 当たり前の常識に思える。でも環境問題の世界では、この常識がなかなか通用しない。一方では、お役所や業界の思惑で効率の悪い下水道整備が推奨され、一方では一切のリスクを排除せよと目をつり上げる(善意とはいえ)環境保護屋さんが跋扈する。

 中西はそういう双方の議論と一貫して戦い続けてきた。本書はその現在進行形の記録だ。前半は、上下水道をめぐる議論。最初は汚染物質規制や特定の処理方式の是非を考えていた中西が、だんだんリスクとコストや便益とのバランス重視に変わるプロセスは実に腑に落ちる。

 そしてその発想に基づく後半のダイオキシン研究(実はダイオキシンの主発生源は焼却炉じゃない!)に始まる論考は、環境問題の現状についての厳しい批判となっている。環境ホルモン「問題」の虚構性。牛海綿状脳症 (BSE) がらみの全頭検査の無意味さ。いずれも微少なリスクが大仰に取りあげられ、マスコミが不安を煽り、それが政治的に利用され、大量の無駄遣いにつながっている。きちんとしたデータと冷静な分析に基づき批判がわかりやすく展開されるこの部分は、コミュニケーションの道具としてのリスク論の有効性を示すものでもある。

 最近になってようやく彼女の発想がじわじわとあちこちに浸透しはじめてきた。でもまだまだ足りない。もっともっと多くの人に本書を読んでほしい。不毛な極論はやめよう。煽りに踊らされず心穏やかに生きよう。バランスのとれた常識論に戻ろう。この単純なメッセージを、本書は楽しく穏やかに、でも力強く伝えてくれるのだ。

(コメント:松原隆一郎放出を救出。これはやっぱコメントしておくべき本でしょう。もともと狂牛病となっていたのが、むずかしい表記に改められたくらいですね、こいつは。)
 

ランド『肩をすくめるアトラス』(ビジネス社)800 字ボツバージョン

 この小説は単純明快。世の中には二種類の人がいて、片方は有能で頭脳明晰、正義にあふれ、美男美女揃いで運動万能の産業家。かれらは世界を背負って立つアトラスたちだ。そして「その他」の人がいる。無能で愚かで、アトラスたちの成果に寄生するだけの、ねたみ深く醜い凡人ども。ところが現代は無償の愛だの譲り合いだのという低劣なお題目の下、愚鈍で下劣な凡人どもが税金だの規制だの国有化だのでアトラスたちを搾取しほうだい。本書はそれに耐えて頑張っていたアトラスたちが、福祉や民主主義の欺瞞に目覚めた偉大な指導者の下で一斉ストに入り、腐った社会の寄生虫どもを崩壊させるまでの物語だ。

 そう、これはなんと、人民による資本家の搾取を糾弾するお話なのだ。たいがいの人にとって、本書は冗談でしかない(「そのアイン・ランド節はしまっといてくれ」というのがレッシグ『CODE』にも出てくる)。世の中はすべて損得勘定の白と黒で割り切れる、という哲学のために爆笑もののトンデモ場面満載だし(無償の愛は割り切らないからダメ! 計算ずくの有償の愛こそすばらしい!)、小説としても下手。やたらに描写が大仰で、登場人物みんな演説ばっか。

 が、一方で本書は、原著刊行後半世紀近くたった今もカルト的な信奉者を持つ。それは一つには多くの人が、自分は有能なアトラスなのに世間にじゃまされてると思っていて、本書がそれを正当化してくれるからだ。でもそれだけじゃない。本書の言い分は完全にはまちがっていない。確かに過度の規制は社会の活力をそぎ、過度の福祉は人々に依存心を起こさせ、やる気を失わせてしまう。本書にはこの理屈を極限まで推し進めた、極論の魅力がある。

 だから本書は通俗的な自由放任主義論のバイブルでもある。現代米国思想の一端を知るためにも必読の一冊。下手だけれど(いやそれだからこそ)本書の熱っぽい記述には読者をぐいぐい引き込む力がある。ただそれだからこそ、読むときには眉にツバをたっぷりつけて、あまりその気になりすぎぬよう忠告はしておこう。あなたホントに自分が、世界を背負って立てる万能のアトラスだと思いますか?

(コメント:宮崎哲弥とも話したんだけど、こういうフツーの(ちょっと鈍い)アメリカ人の思想書みたいなのはもうちょっと注目すべきではないかなーと。そう思ってこれを書いたら、どうしても 800 字にしたいですかという打診がきて、なんでかというとまあ刊行時期と、あと本があまりに高くて、一般読者においそれと買えと言えないのが問題なんだって。新聞読む過半の人が、7,000 円近く払って買って読んで「よかったー!」と思える本とかそのくらい価値があると言えるなら 800 でいくが、一般性の低い特殊な関心に基づく部分が大きければ 800 字を使う必要があるか、とのこと。うーん、そう言われると困るところ。かなり特殊なカルト本ではあるし。かといって、存在はもっと認知されるべきだと思うしうーん、というところでボツに同意(あと出版社も気にくわないところだしぃ)。松原隆一郎がどっかよそで書くというし。400 で書き直しました。)
 

ランド『肩をすくめるアトラス』(ビジネス社)400 字バージョン

 資本家による民衆搾取を糾弾する小説は多いが、本書はなんと、愚鈍で醜悪で無能な人民が、福祉とか公平とか弱者救済とかいうお題目をかさに、有能で美男美女ぞろいの資本家たちを弾圧して搾取していると糾弾するお話だ。登場人物は会話のたびに延々と演説を展開し、描写も大仰でくどく(おかげで二段組み千ページ超の卒倒しそうな長さ)、小説としては下手。だが(いやそれ故に)主張は実にわかりやすく、原著刊行後半世紀近い今もアメリカでカルト的な人気を持つ。それは凡人に、自分は実は有能なのに社会に弾圧されているから芽が出ないと責任転嫁させてくれる便利な仕掛けのせいが大きいけれど、一方で過度の規制が経済の活力を殺ぐという点で本書が半面の真実をついているためもある。このため本書は通俗的な自由放任主義論のバイブルでもあり、現代米国思想の一端を知るために一度(眉にツバをつけながら)読んでおいて損はない。

(コメント:なんか書いてみたらそこそこまとまって、めでたしめでたし。)
 

2004 年今年の3冊

 ピンカーは従来のジェンダー論や教育論の根底にある「人間は何にでもなれる」というまちがった想定を批判しつくした驚愕の書。内容の広がりとバッシングを恐れぬ知的勇気は感涙もので、しかも読んで楽しい神業。クルーグマンはブッシュ政権の問題を、一介の経済学教授が公開情報と冷静な分析だけで指摘し続けた名コラム集。分析欠如の「スクープ」合戦に堕した現代マスコミ批判としても強力。またネットと著作権まわりの動きが活発だった今年のまとめとして津田は優秀。他には確率で人間や社会の本質に迫る小島寛之『確率的発想法』、未来の社会形態や倫理体系を奔放に展開してSFの面目躍如たるイーガン『万物理論』、社会学と投資についておふざけに高度な内容をつめこんだマッツアリーノ『反社会学入門』と山本一郎『投資情報のカラクリ』は今年の大きな収穫。

(コメント:万物理論は、きちんと書きたかったがなにせ時間切れ。ここに押し込みました。津田本は、やっぱ出たときに触れておくべきだったかも。見直して見ると、今年の動きという意味じゃいちばんよくまとまってる。)



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YAMAGATA Hiroo (hiyori13@alum.mit.edu)