朝日新聞書評 2003/04-06

 

小塩隆士『教育を経済学で考える』(日本評論社)

 こと教育についての議論となると、変な理念ばかりが先走る。多くの人は自分 の個人的な教育体験を、何の疑問もなく一般化したがる。教育現場も世間も、教 師は聖職だの教育は神聖だのと舞い上がり、世間的な評価や考察をなにかと排除 したがる一方で、やれ「真の実力」だの愛国心だの「生きる力」だの、これまた 得体のしれないお題目をふりまわして悦に入っている。

 でも、お題目だけじゃ何も解決しない。しょせん教育だって、人間のいろんな 期待と打算の結果の一つでしかない。だったら、その期待と打算をもとに教育を 考え直そう。そもそも人は、何のために教育を受け、または子供に受けさせるん だろう。それはどういう効用を持つんだろうか。それをおさえれば、実際の教育 問題についても、もっと生産的に考えられるだろう。

 本書はそれをやっている。そこで使われるツールは、もちろんタイトルでわか るように経済学だ。

 教育に経済学! 神聖な教育を銭金の話におとしめるとは何事か! そういき りたつ人もいるだろう。でも、経済というのはお金の話じゃない。希少な資源の 適正な配分を考えるのが経済学だ。教育だって、人間の限られたリソースの一つ の配分先なんだから、そこに必要とされるのはまさに経済学的な枠組みだ。さら に教育について意外な洞察も本書の魅力だ。たとえば教育はデリバティブと似て いて、不確実性が需要を作り出すとか。

 その理論的な枠組みや洞察から、実際の各種教育問題に対してすっきりした見 通しが得られるのは爽快だ。三流大学の存在意義。塾や予備校の意味。ゆとり教 育の失敗。エリート教育の是非。著者自身が大学の教官なので、実際の教育の現 状ともうまく接点を保っているのもポイントが高い。声高なお題目に流されない 教育を冷静に考えてみたいあなたに。そしてできれば、学生諸君(およびその出 資者たる保護者諸賢)も一読を。教育をどのように(どの程度)受けるべきか?  その戦略を考えるためにも、参考になるかもしれませんぞ。

(コメント:これは本気でなかなか勉強になりました。特に、デリバティブとの類似性は確かにおもしろい。それにしても、日本評論社はずいぶん最近がんばっているように思う。ダイオキシン本とか。)
 

ジョン・エンタイン『黒人アスリートはなぜ強いのか?』(創元社)

 スポーツ界での黒人選手の活躍ぶりは目覚ましい。短距離走でも長距離走でも、バスケットボールでも。それを見れば、黒人選手のほうが生まれつき肉体的に優れていると誰しも思うだろう。でもそれを口に出すことは、欧米では大きなタブーとなっていた。

 本書はそのタブーに正面切って取り組んだ勇気ある力作だ。そもそも黒人のほうがスポーツ向きというのは事実か? 事実だ、と著者は述べる。いくつかの運動能力に優れた選手の出身をたどると、短距離は西アフリカ、長距離は東アフリカと北アフリカという具合に、きわめて狭い地域にその血筋をたどれるのだ。そして遺伝進化論的に見ても、この議論の妥当性が高いことが示される。

 では、なぜそれがタブーだったのか?

 「黒人は肉体的に優れている分、知的に劣っている」という差別的な偏見を助長するという声が強かったからだ。スポーツ界で活躍する黒人選手は、黒人の社会進出の象徴であり、人種平等の証しでもあったのに。また人間は生まれたときは平等で、環境と努力ですべてが決まるのだ、というプロパガンダが支配的だったために、遺伝からくる能力差に言及すること自体が優生学的な差別として非難される時代が長い間続いていたことも大きい。

 本書はこのタブーに苦しめられた人々を描きつつ問う。現実に差があるのなら、それを思いこみで弾圧するのはかえって有害ではないか。むしろそれは人の多様性として肯定すべきではないか?

 著者の主張は強力で納得のいくものだ。だが本書を読んだ人はだれもが思うだろう。スポーツ能力に生得的な差があるなら、知的能力には? また人種で差があるなら、性差は? こうした分野ではタブーは健在だ。が、ヒトゲノムの解析が進んで遺伝についての理解が進むにつれて、そのタブーと科学との乖離は大きな問題となる。生得的な能力差を認めた上で、社会的平等を実現するにはどうすればよいのか? これまで人々が見ることすら避けてきたこの難問を、本書は否応なくぼくたちにつきつけてくれる。

(コメント:かつて、CUTに書いた原書のレビューの要約版みたいなもんですな。まああっさりまとまったのではないかしら。)
 

伊藤嘉昭『楽しき挑戦 型破り生態学50年』(海游舎)

 昔の人のほうが、ずいぶんと密度の濃いエキサイティングな人生を送っていたような気がして引け目を感じてしまうときがある。たとえば本書を読むと、いやあこの人は、よくまあ疲れもせずにこういろいろやるもんだね、と呆れるというか爽快というか。ぼくのような安定志向のリーマンなら一発でめげるような大変な目にも結構あっているのに、本書の楽しそうなこと。大学も出ずに農業試験場に入って研究を重ね、メーデー事件で起訴され休職扱い、しかしその間にも独学でバリバリと研究を続け、独自にウィルソン的な社会生物学的発想を編み出し、その一方で世界各地の現場における害虫駆除作業にも大活躍、後進の育成にも手を尽くす、というたたき上げ実力派生物学者、伊藤嘉昭の一代記がこの一冊だ。

 帯には「唯我独尊こそわが人生?」とある。ありとあらゆる面で、自分が正しいと思えば他は無視してその道を貫いた話ばかり。自画自賛にありがちな妙な自己弁護や、陰湿なほのめかしによる陰口はない(あっけらかんとした実名罵倒はたくさんあるけど)。共産主義についての見解の推移についても弁解しないし、また筋金入りの左翼でありながらスターリン政権下のトンデモ生物学のルイセンコ主義を否定する科学者としての良心も見どころ。

 さらに身辺雑記だけでなく研究内容について詳しいのも嬉しい。それが各種の自然保護や農業政策に関する提言にまっすぐ続き、巻末の世界の現状批判にも直接的につながる。研究と、その応用、そしてそれが社会に与える影響を通じた政治社会的な行動――それらが有機的にからみあった、実に正統的な人生だなあ。しかもそれが隠居の呆けた回想ではなく、今なお活発に続く伊藤の各種活動にも直結しているのは、かっこよすぎる気がしなくもないので、浮いた話があまりに少ないのは残念至極、とケチをつけておこうか。が、それはないものねだりですな。高校生、大学生あたりにぜひとも読ませたいけれど、もっと年配の人(たとえばぼく)が読んでも元気が出る痛快な一冊だ。

(コメント:この人がどういう人物か、読むまではまったく知らなかったのだけれど。新妻昭夫氏に譲ろうと思ったけれど「なまじ知らない人が書いた方がいい」ということで、純粋に感想文でいくことにしました。)
 

ルドルフ・ジュリアーニ『リーダーシップ』(講談社)

   「ジュリアーニは裏切り者だ!」と知り合いのニューヨーカーは叫んだのだっ た。「ここは昔、きたなくて、殺伐として危険で、いつ殺しあいが始まってもお かしくない緊張感に満ちていた。それが一瞬で、きれいで安全でフレンドリーな 街になってしまった! あいつはニューヨークを観光客に売り渡しやがった!」

 というわけで、ひねくれニューヨーカーの敵、ジュリアーニ前市長の自伝であ る。確かにかれの手腕は見事で、ニューヨークは本当に見違えるほ ど変わった。9.11テロの事後処理でも、非常に優れたリスク対応手腕を発揮した のはまちがいない。かれがそうした各種の改革をいかに実現したかを細かく説明したのが この本だ。

 全体として、変な精神論に頼ることなく、各種の施策とその成果が非常に具体 的にあげられていて、説得力も高い(この具体性も、成功条件の一つだそうな)。 とはいえこの手のリーダーシップ本は、どれも当たり前の条件(それも時に矛盾 する)の羅列になってしまう。本書も例外ではない。他人に謙虚に耳を傾けました/他人に耳を貸さず 信念を貫きました、権限委譲を進めました/権限を集中して責任所在を明確にし ました、規則を厳格に運用しました/規則を曲げて柔軟に運用しました。たぶん、 実際のリーダーシップの優劣というのは、こういう相反する方針を、どういう時 に使い分けるか、という点にあって、その勘所は本を読むだけでは絶対に身につ かないのだろう。が、早朝会議、直接的なPRの活用、成果の発表方針など個別の 戦術は、いろいろ応用もきくんじゃないか。

 また本書が類書とちがうのは、これが企業経営ではなく、自治体経営に関する 本だという点だ。なるべく外部の人間を使い、ビジネス的な考えを導入する各種 の手法と考え方は、今後我が国でも有効性を持つのではないか。アメリカ人の自 伝にありがちな、鼻につく自画自賛ぶりも抑えめだし、実際に挙げた成果は文句のつけようがないよう 数字手きっちり示されている。だれもが(まあ冒頭のひ ねくれ者は除くが)認める、サクセスストーリーとして示唆に富む一冊だ。

(コメント:これは書評委員会でだれも取る人がいなくて、「じゃあまあ読んでやろうか」 というわけで読むことにしたのだ。朝日の書評委員会は、学者っぽい人や作家が多いせいで、なかなかビジネス書に手を出そうという人がいないのね。でもいざ読んでみると、いや結構おもしろい。自分が何度かニューヨークに行って、その変化をまのあたりにしているから、というのもあるんだろう。)



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