朝日新聞書評しなかった本 2004/10-12

ゴンブロヴィッチ『トランスアトランティック』
 中原昌也の小説を太宰治がうろうろして、コンプレックスをさらしつつスラップスティックをやってみせる小説。つまんなーい。こんなの読むくらいなら、中原昌也と太宰治をそのまま読めばいい。訳者は、この訳が原文の乱雑さを反映した酷い日本語にしてあると自慢するけど、どこがぁ? 舞城王太郎や高橋源一郎と比べてもずっと上品な程度。むかし、おブンガクが上品だった頃にはこんなので衝撃を受ける人もいただろうけど、いまどきこの程度で何騒いでんの? 小説そのものは全体の半分くらいで、あとはゴンブロヴィッチの日記抜粋となにやらアルゼンチン人の先生による、ポーランド語をスペイン語に訳したことがどうのこうのという大仰なお話。

レイコフ『肉中の哲学』
 心身二元論はもう古い、心は肉体の中にあるんだ、そしてこの認識はこれまで心身二元論に依存してきた西洋哲学を一変させる、というのを分厚い本でしつこく述べたもの。いろいろ自己だメタファーだという精緻なんだろうけど必然性がよくわからない概念の遊びみたいなものが果てしなく続いて、さらにそれを訳者の変なやたらにカタカナで残す処理にカナクギ流直訳が加わった訳文が一層読みづらくしている。そのうえ訳者は著者の意図がきちんとわかってるのかな。原著副題がThe Embodied Mind and its Challenge to Western Thoughtなんだけど、その訳が「肉体を具有したマインドが西洋の思考に挑戦する」っていう、ほとんど心身二元論を採用しているかのような訳。

石田衣良『アキハバラ@DEEP』
 この人がなんで珍重されてるのかわからん。ヒッキーおたくたちが異能を発揮してなにやら陰謀に対抗して人工知能を解き放つという、どっかできいたようなお話。

山崎ナオコーラ『人のセックスを笑うな』
 同じくこの人がなんで珍重されてるのかわからん。書評委員たちの多くは、自分がいかに短時間にこれを読んでしまったかで笑っていたけど、まあそんな本ですねえ。上手だとは思うけど、それだけ。

ランサム『フェア・トレードとは何か』
 第三世界は大企業にサクシュされているので、大企業を通さずにモノを買って第三世界に現地の価値基準から乖離したバカ高いお金を払いましょうというバカな運動のお題目本。スタバの買い付け人は、「生産者がコーヒーの味を知らないと生産品質に問題が起きる」と言って生産者教育に力を入れていて、これはわかる。でもこいつらは貧乏だかわいそうだという施し気分でやってるだけ。逝ってよし。

室田武『地域・並行通貨の経済学』
 室田武まで地域通貨ですか。なんでみんなあんなもんに期待してるんだか。特に目新しい発見無し。

梅竿忠夫他『ITと文明―サルからユビキタス社会へ』
 梅棹忠夫おべんちゃら本、と言うと言い過ぎかもしれないけれど、本当にそんな感じ。サルから文明へと言いつつ、サルから20世紀までは長谷川寿一の話がちょろっとあるだけ。各種論者がちょろっと自分の関連分野の話をして座談するが、目新しいものは何もないし、それをまとめあげる強い視点も問題意識もない。最初と最後の梅棹の放談は、単にこれまでの自分の業績自慢で、さらに「たとえばホームページに私の談話などが平気で盗まれているかも知れない(中略)それこそ情報機器の危機です。恐ろしいことです。これを下手に野放図にしたら、情報産業そのものまで崩壊しかねない」(p.47) と電波なことを得意げに言い立てているさまは、ほとんど頭痛もの。だれか止めてやれよ。結果として、全体として散漫で、新しい発見も方向性もないゆるい本になっています。

朽木 昭文『貧困削減と世界銀行』
 世界銀行が、9.11テロを境に貧困削減を重視する政策に切り替えた、という珍説を主張した変な本。貧困削減は、ウォルフェンソンが親玉になったときからずっと主張してた話だし、それが9.11テロで特に変わったということもないんだけど。むしろ9.11以前は、ウォルフェンソン流の「経済成長か貧困削減か」というトンデモ二者択一でやってたのを、やっぱ貧困削減には経済成長しないとダメなんじゃないの、という常識が(本書で紹介されているダラーやイースタリーのおかげで)復活してきた、くらいのことで、それも9.11のせいではないはず。途中で紹介されている政策の優先順位づけも、まあ穏当だとは思うけどよく読むと単なる著者のアイデア。全体に、著者のかなり偏った思いこみ(この人、世銀で働いていたはずなのに……)や思いつきを並べただけ、という印象を免れない。

高杉晋吾『土壌汚染リスク』
 工場跡地に住宅が建ったりすると、土壌が汚染されていることがある、というのはその通り。アメリカにはそれをマークして処理するためのファンドもある。でも一方で、それがそんなにでかい問題か、というのはある。別に食べるわけじゃないんだし。環境系の本の常として、それをあいまいにして大騒ぎする態度は疑問で、一般性もないと思う。

杉浦日向子『ごくらくちんみ』
 杉浦日向子の、のほほーんとしたとっても楽しい本なんだが……他の本とのかねあいで、書評してる余裕がない。読んでにっこりして「いいねえ」と言うくらいしか言うことがない本だってのもあるし。

松浦+白石『資産選択と日本経済』
 日本人の資産選択は、別に言われてるほどリスク回避的ではないよ、他の国と同じくらいの合理的な選択をしているよ、という本。おもしろいんだけど、松原隆一郎が取りあげたいというので譲った。

小林『コンクリートの文明誌』
 うひー、むかし材料工学の単位落としましたー、小林先生。で、コンクリートの話なんだが、最初にセメントが使われたローマ時代の話から、それが再発見されてポルトランドセメントになった時代、さらにはセメントの品質隠しが明治以来横行していたことへの怒り、というような話をあれこれ書いていて、まあおもしろいんだけれどいまいちまとまりに欠ける。結局はエンジニアたちがしっかりしろ! もっと誇りをもってきちんと仕事をして、手抜き工事なんかするな、という話で、それはその通りなんだけれど、かけ声だけでは屁のつっぱりにもならない、というのも事実なんだよなー。

武田暁『脳は物理学をいかに創るのか』
 物理学の先生が、脳科学に興味をもってとってもおもしろがっている様子はよくわかる。でも、題名に偽りあり。物理法則は脳が作り出したものだ! という、悪しき文化相対主義者の言いそうなことが帯にも序文の冒頭にも述べられているので、大いに警戒しつつ読み進んで行ったのだけれど、なーんだ。内容は脳科学についての比較的新しい知見をまとめただけで、ニューロンとは何か、「モノ」はどのように認識されているか、そこでの情報処理はどんな形で行われていて、抽象概念はどんなふうにできあがるか、といった内容がそこそこ説明されているのはいいでしょ(でもディテールの羅列気味で、全体のテーマに貢献しない部分が多いのは日本人の著作にありがちな点)。でもそれをもって「脳は物理法則を作っている!」と主張するのはあまりにミスリーディング。そして結局、それ以上の話はまだまだわかりません、と書いておしまい。これではタイトルに偽りありまくり。結局タイトルの問題提起は何ら答を見ない。そしてピンカーの本のように、その新しい成果の整理をもとにおもしろい知見や洞察があるわけでもない。素材はあるのに、残念。

エバハート『ものが壊れるわけ』
 化学的に、ものが壊れるというのはなぜ、どうしてなのか、というのをまとめた本で、ふーんという感じだけれど特に書評したい感じではない。

渡辺保『近松物語』
 近松は、世話物ばかりが有名だけれど本領はもっと歴史物にあるんだよー、という本。で、いくつか選んでそのあらすじを述べている。バリ夫妻のシェイクスピア物語にならって、ということなんだが……ノベライズするならそれに徹すればいいのを、途中に変な批評やヨイショコメントが入りすぎ。演出の話もしすぎ。おかげで中途半端に終わっていて、おもしろそうだから実物を読もうという気にもならない。



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YAMAGATA Hiroo (hiyori13@alum.mit.edu)