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マインド

『アンビエントファインダビリティ』:軽薄ながらも一貫性あるネット未来像の提示

モービル『アンビエント・ファインダビリティ』(オライリー, 2006)
(『論座』2006 年 7 月号)

山形浩生

要約: 『アンビエントファインダビリティ』は、ネット翼賛本特有の楽観主義に貫かれてはいるものの、この語の方向性として何が重要かを明確に打ち出せているのが手柄である。いつでもどこでも、という昔ながらの理想が実現される世界は、あまりよいと思えないところもあるが、きちんと魅力をうちだせているのはすばらしい。



 軽薄な本だ。本書を楽しめるか――さらには役にたてられるか――は、ひとえにあなたがこの軽薄さをどう受け止めるかにかかっている。

 本書の漂わせる軽薄さは、この手のネット翼賛本に共通な「あの」雰囲気そのものではある。そう言われてピンとこないあなたは幸せものだ。ネット! 自由なコミュニケーションと知識の共有! 知識と情報の民主化、いつでもどこでもアクセスがもたらすユートピア! 象牙の塔とトップダウンのコントロールの時代は終わりだ! これからは民主的な情報供給に基づく創発秩序だ! この手の多幸症じみたお題目を背景に、RFIDだRSSだ、メタデータだオントロジーだフォークソノミーといった目新しげで新技術っぽい用語が(往々にしてあまり意味なく)乱舞する、そういう感じだ。

 本書のテーマは、題名通りアンビエント・ファインダビリティ。アンビエントというのは、少し前に流行ったユビキタスと同じ意味だ。それに見つけやすさという意味のファインダビリティを組み合わせ、いつでもどこでも、求めるものが見つけられるという状況を指している。ブログなどのメタデータと相互参照に基づくデータ、その相互参照を利用したグーグルなどの検索技術、ケータイや RFID、GPSの普及に伴う、どこでも必要な情報がすぐに見つかるネットと現実世界のシームレスな融合世界へのトレンドを、明確に説明するというよりは漠然と描き出した本だ。最近一部で流行の、ウェブ2.0といった議論とも大きく重なっている。

 そしてその中身の描き方も、よくできている。技術的な基本はしっかりおさえているし、それが そして議論を補強するために援用される分野も幅広い。現代都市設計の先駆ケヴィン・リンチによる、都市のわかりやすさの分析を情報探索のモデルにするなど、それが成功しているケースでは非常に有効で、本としての視野の広さをもたらしている。ただし失敗すると、「性質」といえばすむところでわざわざ「アフォーダンス」と言いたがるような一知半解の衒学趣味に堕してはいるが。  だが、その視野の広さは必ずしも深さにはつながっていない。そしてそれは著者のイデオロギー的な偏向からくる軽薄さのためでもある。著者は「新しい」グーグル検索や情報共有に基づく各種のトレンドを無批判によいとし、それ以前の情報探索手法を安易に否定する。そして、それ以上つっこんだ検討をしない。

 たとえばグーグルの検索は便利で、かなりの確率で有用な情報にアクセスさせてくれるのはなぜか? 実はそれは、本書でかなり否定的な描き方をされている「ライブラリアン」、つまり旧来の情報分類法を信奉する古くさい図書館の司書たち(およびそうした知識体系を身につけた人々)が、その知識に基づいたページやリンクを構築しているからだ。世の中の人すべてがライブラリアン的な情報整理をやめてグーグルに頼るようになったとき、グーグルはもはや使い物にならなくなるだろう。アマゾンなどで人気投票だって、その投票を行う人の一定部分が、切れっ端程度とはいえ伝統的な知識教養体系に基づいた評価を下しているからこそ機能する。本書は新しさを強調したいばかりに、そうした依存関係を見ようとしないのだ。

 では本書は無視して投げ捨てればいいのか? そうはいかないのが困ったところ。というのも、本書の見通しは、短期的には非常に有用だからだ。これまで「ユビキタス」等のキャッチフレーズでは、単にネットや情報へのアクセスに重点がおかれており、このためブロードバンド接続が実現した後では何をしていいのかわからないとまどいがここ数年続いていた。本書が指摘するファインダビリティという概念は、単なるアクセスにとどまらない、今後しばらくネットで重要となる方向性として大変に役にたつものだ。そしてそこから派生する新しいサービスやビジネスの事例や考え方の説明は、非常に示唆に富んでいる。

 なぜ深みのない分析でそんなことがあり得るのか? 予測屋ならだれでも知っていることだが、きちんとした理論的裏付けを持つモデルよりも、何も理屈なしに単純にトレンドをのばすカーブフィッティングのほうが、短期的には予測精度が高かったりする。本書も同じだ。深いきちんとした理論的洞察はないが、著者は最近流行しているサービスや商品をよく見ており、その技術的ポイントや相互関係のトレンドをかなりきちんとおさえている。それは今後数年、確実に続くトレンドなのだ。だいたいこの分野は元来が変化と進歩がはやいため、深く本質的な議論をしている暇がない/してもしょうがないというのも事実ではある。

 で、問題は、ネットに関心ある読者諸賢がその有用な部分にたどりつけるかだ。たとえば本書の冒頭で、著者は美しいビーチにいるんだが、著者にとってはそこでチマチマとケータイで情報検索するのが何やらすばらしいことらしい。山に登っておいて、そこから母親にケータイで電話するのがナウっちいらしい。が、評者にとって、そして多くの読者にとって、これはおそらくはっきり軽薄で不愉快な行為だ。本書が持つそうした軽薄な不愉快さを我慢して読み進められれば、本書から浅くも鋭い洞察をいろいろ得られる。評者としては、それはその我慢に見合う価値があるものだと考える。一方、これが不愉快だと思わない読者は……迷うことは何もあるまい。

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YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>
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