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alc2016年04号
マガジンアルク 2016/02

山形浩生の:世界を見るレッスン』 連載 106回

冷蔵庫は五台まで:バングラデシュ税関での衝撃

月刊『アルコムワールド』 2016/04号

山形浩生

要約:根回しは世界中で行われていることで、一部の人が思っているような日本特有のことではない。が、ときにはそれをやりすぎる人もいて、想定問答内でしか会議を進めたがらないのには驚いた。


 ぼくが初めて援助関係の仕事で海外出張した先はバングラデシュだった。そして……それはもうすごい異文化体験だった。  もちろんぼくは、バックパッカーもどきだったこともあり、そこそこ発展途上国には出かけていたつもりだった。貧困もスラムも犯罪も、汚い空港も賄賂を要求する役人も、それなりに体験していて、見るべきものはもう見尽くしたつもりでいた。けれど、バングラデシュはその水準をはるかに超えていた。

 空港の出口の金網にしがみつくように群がる人々の姿も衝撃だったし、また空港を出ようとする車に向かうぼくたちを通すために、警備員や警官たちがその群集を棍棒で容赦なくなぐりつけて道を開けさせているのも、ぼくの想像をはるかに超えていた。ぼくはそれを見て縮み上がったんだけれど、無表情に人々を殴りつけている警備員たちは、こっちに向き直った瞬間にもうニコニコで、「さあさあどうぞお通りください」と実に愛想よくふるまう。そして、縮み上がって立ち尽くすぼくたちを見て、その警備員さんたちは「あ、まだ邪魔でしたか」と、さらにに棍棒を振り回しはじめた。

 もうまだその空港すら出ていない段階で、ぼくは自分の世間知らずぶりを思い知らされた。バックパッカー旅行なんて苦労自慢みたいなところもあるし、自分ではちょっと厳しい体験も積んだような自負があったのだ。でも、世の中には価値観のまったくちがう人々がいる。少なくとも、暴力や階級をめぐる規範がまったくちがう世界がある――ぼくはそれを、かなり苦々しい思いでかみしめつつ空港を出ると――そこはジンリキシャの洪水だった。

 が、その話はまたいずれ。そこに達する前、空港の税関を出る前のところで、ぼくはまったく別の衝撃にあった。税関のところに「国内には冷蔵庫2台、テレビは3台以内しか持ち込めない」という注意書きが張ってあったのだ。

 えーと、冷蔵庫、ですか?飛行機で冷蔵庫を運んでくるXXがいるんですか?それも3台も4台も?ぼくは、吹き出しそうになった。それが明らかに何か翻訳や編集などのミスにちがいないと思い、ある雑誌でやっていた「外国で見かけた間抜けな看板」というコラムに投稿しようと思って写真を撮ったほど。

 が、二度目にやってきたとき、それが冗談でもなんでもなく、大まじめだというのに気がついた。日本だと、空港について飛行機を降りたら、あとは入国審査と手荷物受け取りと税関があるだけ。出口に達するまで店は基本的にない。欧米の空港では、空港の中で搭乗客と飛行機を降りた客との動線が分かれておらず、降りたときにも免税店の前を通るところもあるけれど、おおむね免税店は、これから飛行機に乗る客用だ。買うときに搭乗券をチェックされるし、降りた客は普通はそのまま空港の出口を目指す。

 でもバングラデシュでは(そしてその後訪れたいくつかの途上国では)、空港を降りて入国審査を経て、預け荷物受け取り場に行くまでの間に、数軒電気屋があった。そしてそこには大型冷蔵庫もテレビも売っている。それも免税価格で。人々がそこで冷蔵庫やテレビなど家電製品を買いこんでいる。そして税関を出て、外でそれを売りさばくのだ(あるいは自分や身内へのおみやげにする場合もあるだろう)。だから、本気で冷蔵庫を三台も四台も持ち込むことがあり得るわけだ!

 こう言うと悪いんだけれど、バングラデシュは今でも決して好きな国ではない。出張しろと言われると、大喜びするよりは、内心ため息をついてしまう。でも、そこにいきなり行かされたことで、ぼくの世界の認識はかなり変わった。今回挙げた、暴力をめぐるコードの面でも、本当に悲惨な貧困の面でも、宗教と政治との関わりの面でも。その意味では、感謝はしている国ではある。そして空港を出ると今度は――



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YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>