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alc2014年12号
マガジンアルク 2014/12

山形浩生の:世界を見るレッスン』 連載 98回

格差か経済成長か:ピケティ『21世紀の資本』の衝撃

月刊『アルコムワールド』 2014/12号

山形浩生

要約:ピケティ『21世紀の資本』は、超長期の格差推移を示し、20世紀が格差低下の希有な時代だったこと、それが近年は逆転して格差増大を見せていると示した。そして経済成長で自然に格差が解消される可能性についても否定的だ。これを受けて、援助は何を目指すべきだろうか。


 みなさんがこれをお読みの頃にはすでに店頭に並んでいるはずだけれど、このたびトマ・ピケティ『21世紀の資本』(みすず書房)という本を翻訳した。かなり地味な経済学の本で、しかもなんと原著600ページ超(翻訳で700ページを超える)。重要な本ではあるけれど、普通はそんなに売れるとは期待できない本なんだけれど、驚いたことに大ヒットとなった。日本でも、すでに雑誌で特集されたりして、かなりの話題だ。

 この本は、世界各国での経済格差についての本だ。どんな国でも、お金持ちはいるし貧乏人もいる。これは、毎年の稼ぎで見た所得の差もあるし、また保有している財産(資本)の差という意味での差もある。でも、いずれで見ても、格差は似た動きを示している。

 第一次大戦前は、ものすごい格差社会で、社会のトップ層が所得でも保有財産でも、経済全体の7割、8割を平気で独占していた。でもそれが、両世界大戦を期に大きく変わり、社会は一気に平等化された。ところが、1980年代くらいから、その格差が再び開きだして、いまでは第一次世界大戦前と同じくらいにまで戻っている。これを、十数年にわたるデータ集めから初めて定量的に示したのがこの本のすごいところ。

 もし格差が拡大しすぎると、資本からの収益(土地持ちなら地代や家賃、金融資産を持つ人なら利息や配当)のほうが圧倒的に多くなる。するとみんな、真面目に働くなんてばからしくなってしまう。努力が報われるとは思えなくなる。すると現代社会の基礎となる価値観が壊れるよ——それがピケティの警告だ。

 そしてもう一つ。これまでの経済学では、経済が発展すると格差は自然になくなる、というのが定説になっていた。最初は生産性の低い農業社会から、工業技術をいちはやく導入した人々が急激に金持ちになって格差は広がる。でもその後、人々はそれを見て真似するので、その生産性の差は急速に縮まり、おかげで格差も下がる。社会は自然に平等になるんだ、というわけ。そしてこの理論が確立された1950年代は、まさにその通りに社会がすすんでいた。だからみんなそういうもんだと思ってしまった。

 でも本書は、戦後の格差低下が決して「自然」に起きたものではないことも示した。戦争でヨーロッパでは大量の資本が破壊されたし、その後インフレでいろんな財産も目減りした。だから金持ちと貧乏人の格差は減った。そして所得でも、戦費捻出のために厳しい累進課税が導入され、これで所得の格差も縮まった。格差低下はそうした人為的な介入のせいだし、それが各種規制緩和で弱まった1980年代以降に格差が拡大しているのも説明がつく。

 うーん。

 この本、まだ原著が出て一年で、疑問点や反論などはまだこれからというところ。日本でもこれをきっかけに、重要な格差をめぐる議論が深まってほしいのだけれど、ぼくは本書を訳して別の悩みがいま頭をもたげているのだ。

 基本、ぼくのやっている途上国の援助では、その国の経済発展を助けるというのが大きな狙いだ。そしてその根拠というのは、それが(一時的には格差を増しても)長期的には社会全体の平等化につながるということだ。でもそれが必ずしも成り立たないとなると、援助の正当性をどうやって根拠づけようか? 格差はあんたの国内問題だから、パイの拡大は手伝うけれどその後は自分でやれ、というのか、それとも国内での再分配にまで口を出すのか? でもそれはかなり内政干渉になるし。

 こうしたいろんな点で、これはかなり多方面に影響がある本だと言えそう。ヘタをするとぼくの仕事もそれだけ面倒になるわけで……



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YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>