cc-by-sa-licese
alc2013年06号
マガジンアルク 2013/06

山形浩生の:世界を見るレッスン』 連載 88回

有用性の追求は、経済発展に資するのか、それともその逆?

月刊『アルコムワールド』 2013/06号

山形浩生

要約:途上国が発展して成長がとまり、中進国の罠に陥ったとき、一般に言われるのは高等教育に力を入れて役に立つイノベーションを、という話だ。しかしイノベーションは、そういう有用性をまったく考えない自由な考察から生まれるのだという説も非常に有力だ。さてどちらを重視すべきだろうか?


 中進国の罠、と呼ばれる現象がある。最初のうち発展途上国は、安い労働力を武器にたくさん工場を誘致して、加工輸出を中心に発展する。ちょうど、しばらく前の中国みたいな状態だ。それがしばらく続くうちに、だんだん人々の労働生産性も上がる。すると賃金の水準が上がってくる。後続の発展途上国とは、コストの面では張り合えなくなる。すると、それまでの安かろう悪かろうの製品では売れなくなるので、品質を上げたりしなくてはならない。さらに、安い労働力だけだと、しょせんは下請け止まりで、価格決定力もなく、市場の気まぐれに左右される。だからブランド力のある商品を作り、下請けの地位を脱し、少し高くてもみんなが勝ってくれるようにしなくてはならない。

 ところが……中進国はそれができない。マレーシアなどが典型的だ。国はそこそこ発展している。だけれど、安い労働力に代わる新しいビジネスモデルがない。安い労働力に頼った状態から、次の段階になかなか発展できないのだ。一方で、先進国側も安価な製品で小金持ちになった中進国の市場に攻めてくる。この、もはや安い労働力による輸出加工では勝負できないのに、次の段階となる産業モデルが作れず、途上国の追い上げと先進国の進出の板挟み状態が、中進国の罠だ。

 この説は実にもっともしごくだし、多くの中進国の状況をうまく言い当てているようにも見える。実際に調べて見ると、実はこれは言われるほどひどいわけではないらしい。が、それでも実情の一部は言い当てているし、みんなこれを何とかしなければ、と言う。言うんだが……

 どうすればいいでしょ。ブランド力を通じた価格支配力をつけ、労働付加価値を高めるには、まあ教育水準を上げましょう、というのが最も一般的だ。それも、どんな教育でもいいというわけじゃない。言われた通りのことをするだけでなく、自分でいろいろ工夫をして製造プロセスや製品自体の核心を進めてくれる労働力。ついでにそれをベースにした起業。そのためには、特に工業高校や理工系大学、あるいは経営や会計といった即戦力になる技能を拡充し、さらに起業を進めさせるようにしなければならない。役立たずな文学部だの哲学だの、基礎科学だのは後でいいから……という話になる。

 だけど……最近、現代のコンピュータから歴史学からミサイル工学から経済学から、ありとあらゆる分野に影響を与えまくった、20世紀初頭の驚異の研究所、プリンストン高等研究所の創設者が書いた文を読む機会があった。彼は、そういう実用性を考えてはいけないという。当時驚異の大発明だった電信や無線の開発をもたらしたのは、二世紀前の人々が実用性を一切無視して、好奇心だけで研究していた電磁気学だ。有用性を無視した活動こそが本当に大きな有用性をもたらす。いや、それすら考えてはいけない。無駄を承知で無駄金を使え。役に立たないこと自体が、人間を有用性という足かせから解き放つ自由のあらわれなのだ、と。

 すごい。これを言えること自体が、本当の意味での豊かさのあらわれではあるし、これが真理をついていることは否定しようがない。その一方で、これをどう人に納得させたものか。まだ必ずしも余裕のない中進国に、「だから無駄なことをたくさんやって、人材を好きに遊ばせなさい」と言うのはむずかしい。難しいんだけれど、確かにそれをやらないと中進国の罠からは逃れられない。

 実はこれを可能にする方法が一つある。独裁制だ。物好きな王さまがパトロンになって、変な研究者を支援すればいい。世界各地の文化や料理が発達し、文化大国となったところの多くは、数世紀前の王さまの道楽のおかげだったりする。オペラをごらん。インドのタージマハールをごらん。でもそれを公然と推奨するわけにもいかない。でもそれなら、みんなが納得する無駄をどう正当化するか——これが実は、世界にとっての大きな問題だったりするのだ。



前号 次号 マガジン ALC コラム一覧 山形日本語トップ


YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>