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alc2013年04月号
マガジンアルク 2013/04

山形浩生の:世界を見るレッスン』 連載 86回

アルジェリア邦人襲撃をめぐる世論の違和感

月刊『アルコムワールド』 2013/04号

山形浩生

要約:2013年にアルジェリアのプラント開発現場がイスラム武装集団に襲われ、人質事件に発展した。日揮の邦人もいて様々な意見が出たが、こうした偏狭での活動で完全な安全確保は不可能に近い。みんなそれはある程度承知で行っているし、最終的には祈るしかないのだ。


 アルジェリアのテロリストによる人質事件は最悪の結果に終わってしまい、もうぼくなどが何を言う余地もない。こうしたプラント事業は、必然的にこうしたリスクを持っている。天然資源の呪い、と呼ばれるものがあるのだ。貧困国の天然資源は収益源として天の恵みと思われがちだが、実際はむしろそれをめぐって争いが起こりやすく、また資源に伴う利権が発生して政治がゆがみ、かえって貧困国の足を引っ張る場合のほうが多いのだ。今回のようなプラントはまさに、貧しい国の資源開発だ。そこには必ず政治的な争いが伴うことになる。

 実はかつてぼくの父親は、イランへの石油化学プラント建設国家プロジェクトだったIJPCに加わっていた。それがホメイニ革命で破綻し、テレビで何やら騒乱の様子が報道される中、不安な思いで待っていると、父親は最後近くの飛行機で帰ってきた。そのときに父は、パーレビ元国王時代の紙幣を大量に持って帰ってきた。「もうこれは今では紙くずになってしまったんだ。道ばたにいっぱい捨ててある」といって。今にして思えば、これはつまりは動乱が本格化してパーレビ体制が完全に崩壊していたかなりギリギリのところまで現地にいた、ということだ。よく脱出できたものだと思う。このときは、日本人であることがプラスに働いたはずなんだが、アルジェリアでは……

 このときの記憶は、ぼくが開発援助などというものに関わるようになった要因の一つくらいにはなっているんだろうと思う。そして当時小学生だったぼくにはまったく想像もつかなかったことだけれど、今回の一件を見ると実は父親もすごいリスクを背負って仕事をしていたことが今更ながらにわかる。世界中でこうしたプラント系の仕事をしている無数の日本人エンジニアたちだってそうだ。そして彼らはみんな、身につまされる思いで今回の報道を見ていることだろう。

 一方で、ネットを通じて日本での報道を見ていると(ぼくはいまベトナムなのだ)、死者たちが浮かばれないな、と思うような我田引水もたくさん見かける。今回の一件は日本がなめられているせいだ、だから自衛隊を正式な軍に、とか。その軍はアルジェリアに戦争しにいくんですか? もっと国が情報収集して安全確保を、とか。現地で仕事をしている人々よりも精度の高い情報を、国が手に入れられるわけがないじゃないか。国が情報収集してプラントの人たちに「襲撃がきそうですよ」なんてことを教えられると思うんだろうか? ありえない。この手の意見を口走っている人々は、地政学がどうしたとか諜報がどうした利いた風な口をきいて売り出している人が多いけれど、本当にこういう現実の事件を前にすると、見事なまでに馬脚が出るなと思ってしまうのだ。

 むろん、ぼくがそういう人より何かわかっているというわけではない。開発援助の仕事は、日本で普通にサラリーマンをやっているよりはリスクは高い。このぼくですら、改革反対の労働者に取り囲まれてちびりそうになったり、目の前でクーデターもどきが起きて身動きが取れなくなったりすることはある。でも、それだからといってそうした事態について、何か言えるわけでもない。どうすれば今回のような状況を避けられたのかなんて、まったくわからない。

 そしてぼくは、避けようはないと思う。どうしても確率的に起こってしまうことなのだ、と。ああすれば、こうすれば、と言っても仕方ないのだ、と。

 もちろん、そもそもそういう国では仕事をしない、という考え方もあるだろう。やばい国は避けろ、と。でもそこで、冒頭で述べた天然資源の呪いが効いてくる。そういう危険な国でないと、この手のプラント事業はできない可能性が高いのだ。

 だから解決策はないのだと思う。唯一できるのは、ときどき日本のみんなのために(特に原発反対とか言ってる人々のために)そういう危険なところへ敢えて赴いている人々がいるのだ、ということを、たまにでもいいから思い出してあげることだと思うのだけれど。



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YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>