cc-by-sa-licese
alc2012年12月号
マガジンアルク 2012/12

山形浩生の:世界を見るレッスン』 連載 82回

ガウディはバブル建築:美意識の変わり身の早さ

月刊『アルコムワールド』 2012/12号

山形浩生

要約:バルセロナのガウディ建築は、いまでこそ名建築扱いされているがまちがいなく変なバブル建築で、かつてはバカにされただろうし近所からも苦情が出ただろう。人の美意識はすぐ代わってしまう。


 みなさんいかがお過ごしでしょうか。この夏休み、バルセロナに休暇ででかけてきたのだけれど、いや楽しゅうございました。やっぱり停電せず、車が車線を守って走っていて、公共交通が整備されているだけで「おお、この国はすごいぜ」と思ってしまうのは、ホント職業病だなあとは思うのだけれど、やはり先進国(相対的に)はすばらしいし、なんといっても仕事をしなくていいというのはありがたい限り。

 ぼくは一応、建築系の出身なので、バルセロナといえばガウディの各種建築を見物にいくのは、まあほとんど義務のようなものだ。そしてもちろん写真を見ただけでだれでも何となく思うことだが、実物に足を踏み入れた瞬間に、これがとうてい正気の沙汰ではないのは革新できる。特に聖家族教会(サグラダファミリア)は、これは直視したらこっちにまで狂気が伝染するんじゃないかと思ったほど。ときどき宗教に入れあげてしまった人が、そこらのゴミを使って変な神の国を自分の庭に場当たり的に築いたりするんだけれど、昔初めて聖家族教会の写真を見たときには、これもその一つだと思ったっけ。だから、あれに図面があると知って、ぼくはのけぞった。その場の思いつきで作ってるんだと思ってたんだよね。

 が、ぼくはガウディの建築が周辺には当時どんな受け入れられかたをしていたのかな、というのにちょっと興味があるのだ。ガウディ(そしてあまり知られていないけれど彼の同時代のライバルたち)の建築は、基本的にはバブル建築だ。二十世紀の初頭に、バルセロナが好景気に沸いたときに成金たちが、当時の新市街だったエシャンプレ地区に競って目立つ建物を建てた。ガウディの建築も、本人は常軌を逸したビジョンの実現のために設計したわけだけれど、施主から見れば成金の見栄張り競争の手段だ。

 ガウディのパトロンはグエル家で、繊維産業で財をなした実業家だった。たぶんグエル氏自身は、ガウディが気に入っていたので別荘、工場の教会、変な公園、自宅とあれこれ建てさせている。たぶん彼はおそらくは屋上にブドウやトカゲや、サイロン人兵士みたいなのが並んでいる変な家に住んで、本当にご満悦だったと思う。

 でも、やっぱり実際に中に入ると、ちょっと異様な空間ではあるんだよね。奥さんや子どもたちは父親のバブル道楽をどう思っていたんだろうか。世界各地、旦那さんだけが気に入っていて、家族はみんな嫌がっていた変な建築というのは結構あるのだ。グエル家も、奥さんとしては「え、あなた、自宅までガウディさんに頼んじゃったのぉ??! 別荘くらいならまあお遊びでああいうのもありだと思うけど、ちょっと普段住まいの自宅までやるとは思わなかったわ! ちょっと明らかにご近所から浮いてるわよねえ、どうしましょう?」とか思ったんじゃないかと思うし、また子供が学校に行ったら、「へっへっへ、グエルんちって、ブドウがのっかっててバカみたい、お前の頭にもブドウを載せてやる!」とかいっていじめられたんじゃないかとも思うのだ。

 そしてまたバブル建築は、建設当時はご近所が顔をしかめるものと相場が決まっている。日本でも先日、梅津かずおが赤い自宅を建てようとしたら、ご近所が訴訟まで始めて大騒ぎになった。当時のご近所たちもどうだったんだろうか。「え、グエル邸ったらちょっとまわりから浮きすぎだろう! ちょっとは周辺との調和を考えてくれよ! 派手に奇をてらって目立てばいいと思ってる成金はこれだから嫌だよ」とかいって、地元の新聞に投書なんかもしたんじゃないかと思うのだ。ガウディ関連文献を見ていると、執筆者はみんなガウディの心酔者ばかりなのでそういう話はほとんど見られなくて残念なんだが。

 でも、そうしたものが百年もたたないうちに観光資源となり、町の誇りとなるというというのは、人間の美意識がいかに無根拠でいい加減かという証拠でもある。日本の一九八〇年代のバブル建築も、今にして思えばかわいいものだった。ガウディ並に人が呼べる狂気に満ちたバブル建築をもっと生み出してくれればよかったんだけれど……



前号 次号 マガジン ALC コラム一覧 山形日本語トップ


YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>