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alc2012年05月号
マガジンアルク 2012/05

『山形浩生の:世界を見るレッスン』 連載 75 回

貧乏人の経済学:中途半端は意外といいかも?

月刊『アルコムワールド』 2012/05号

要約:主体性を重視するか、徹底して援助をするかで議論はわかれるが、実際の現場はどっちかの極端はあまりなく、結局中途半端なところになる。でもバナジーデュフロの研究からすると、それでいいってことになるのかな?


 先日、拙訳の出た『貧乏人の経済学』という、開発援助に興味のある人ならとてもおもしろい本がある。あらゆることをちゃんと実験して検証しようという経済学の新しい動きを応用して、本当にうまくいく援助のあり方を考えた本で、原著はものすごく評判が高い。そして、その中で指摘されているのが、援助をめぐる両極端の考え方だ。援助は人々のやる気をそいで、クレクレ乞食にしてしまうからよくない、という発想と、もっとどーんと大規模にやらないと援助は効果が出ない、という発想だ。

 そしてぼくもその本の訳者後書きでも書いたとおり、この発想は援助の現場にもしょっちゅう出てくる。

 たとえばある国で、公営企業の組織能力改善をやろうとしていたことがある。当方の提言は簡単なことで、目標と実績を表にして毎週みんなに配り、改善案を話し合いましょう、というもの。みんな納得してくれたし、事前のワークショップではみんな改善案も積極的に出す。で、これなら大丈夫だと思って、半年後に戻ってきて見ると……全然できていない。週ごとの成果確認も話し合いも。

 なにやってんだよ、と怒ると、向こうは申し訳なさそうな顔をしつつ、こう答えた。「いや、でも配るためのコピー用紙を買う予算がないんだよ」。

 さて……そう言われてあなたはどう思うだろうか。

 コピー用紙調達くらいのハードルすら自分で克服できないってどういうこと? これだからXX人はダメだ、援助なんかしたって無駄だ、こいつらが自分からやる気を出して、少なくともこの程度の問題は自力で解決できないと意味ない、と思う立場もある。

 一方で、みんなやる気があるのにこんなことで見捨てるなんてもったいない、という立場もある。それにコピー用紙というのは、紙そのものというよりむしろ多数の細かい障害の代表例でしかない。もっと援助して方策実施に必要な機材くらいドーンと一式あげて、まずは仕組みをスムーズに機能させるべきでは? そういう考え方もある。

 どっちの発想にも一理ある。うまく行かないのは、援助自体が大きなお世話なのか、それともいまやっていることがケチだからなのか? 現場にいるぼくたちも、日々この発想の枠組みの中で議論をして、どういう援助をするのがいいか、あれこれ答を出そうとしている。

 さてこの本は、どっちの発想にも、一理はあるが一理しかない、と述べる。援助は白か黒かではない。なんでも自主性ではないが、何でもあげればいいわけでもない。援助の障害の多くは、人間が生得的に持つ弱さやちょっとしたかんちがい、過大な期待と現実とのギャップにある。それを見つけて取り除けば、結構うまく行くのだし、開発援助はそうしたボトルネックの地道な解消が重要なのだ、と。細かい議論は是非とも本を手にとっていただければ幸甚。

 が、実はこの議論、実際の援助のあり方をかなり肯定してくれるものでもあるのだ。現実の援助だって白か黒にはならない。援助をやめたら、援助機関は店をたたむハメになるではありませんか。一方で予算は限られているので、何でもかんでも援助とはいかない。すると結局はまた中途半端なことをダラダラ続けることになり、白と黒のどっちの意見の持ち主も現場でフラストレーションを抱えることになる。そして熱心な人ほど、白か黒かの強い意見を持っているのだ。

 しかし本書が正しければ、白黒はっきりさせず中途半端にやることにも一理ある。大した効果がなくても、モガモガとあがき続けることが重要なのかもしれない。その中で、本当に重要なポイントがいつかヒットすれば……

 そう思うと、これまでの幾多のフラストレーションも少しは報われるような気もするんだが、しかし一方でそれがあまり成果を生んでいないから白か黒かの極論をみんな採用したくもなるわけで、うーん。こうして援助の現場の悩みは続くんだが……でも結局はそれがよかったってことなんですか?



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YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>
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