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alc2011年10月号
マガジンアルク 2011/11

『山形浩生の:世界を見るレッスン』 連載 71 回

インターネットの共有文化:マイケル・ハート追悼

月刊『アルコムワールド』 2011/11号

要約:ジョブスの他界が話題だが、同時に他界したマイケル・ハートのプロジェクトグーテンベルグのほうがぼくにとっては重要だし、またインターネットの共有文化にとっても意味のあることだと思う。


 執筆時点の10月半ば、各種ビジネス雑誌はスティーブ・ジョブスの追悼でえらく浮かれている。日頃は職場の円滑な人間関係だの、KYと言われないための掟だのを特集しているようなビジネス誌が、KYの鬼で絶対にいっしょに仕事したくないタイプのジョブスをほめそやすというのが失笑なんだが、流されやすい世間もそれにうまうま乗せられて、アップルストアに花だのリンゴを献呈する連中が大量発生。別に店はジョブスの葬儀場でもお墓でもありませんから。

 アップルII 時代からアップルの軌跡を見てきた身としては、ジョブスの死に感慨はある。が、それはかなりアンビバレントな気持ちだ。ハッカーのなり損ないとしては、常にクローズドで非公開と完全な中央集権支配を目指してきたジョブスに対する感情は愛憎半ばするもので、憎のほうが多いかもしれないとさえ思う。とはいえ、晩年の iPod 以後の商品の連続ホームランには脱帽せざるを得ないのだけれど。

 ぼくがむしろ悼みたいのは、ジョブズの少し前に他界したある人物だ。その人は、ビジネス的にはどうという人物じゃない。それでもいまのネット文化に大きな足跡を残し、そしておそらく間接的には最近のビジネスにも多様な影響を与えている。その人物は、マイケル・ハート。といっても、本書の読者でご存じの方が何人いることか。かのプロジェクト・グーテンベルグ創始者だと言えば、ご存じだろうか。おそらくネットで最初期の、ある程度まとまったフリー電子図書館だ。

 この人は、1971 年のアメリカ独立記念日に大学のコンピュータをいじっているうちに、たまたまかばんの中に入っていたアメリカ独立宣言をテレタイプ端末でうちこもうと思ったのだそうな。ダウンロードした人はたった 6 人。その後、リンカーンのゲチスバーグ演説やアメリカ憲法、聖書などが続いた。そしてやがて、スキャナーと OCR の発達、さらには共感したボランティアがだんだん参加してきたことで、テキストの量は飛躍的に増える。

 これがプロジェクト・グーテンベルグだった。

 マイケル・ハートの人生には、これ以上のできごとはあまりない。彼の狙いは、テキストをひたすらフリーで提供することだった。だれでも簡単に制約なしにテキストが読めるように、プロジェクト・グーテンベルグの本は基本はすべて、平文テキストになっている。

 日本のフリー電子図書館である青空文庫も、そして不肖このぼくがやっているフリー翻訳プロジェクトのプロジェクト杉田玄白も、このプロジェクト・グーテンベルグに触発されている。単に文を公開するだけじゃない。それに対して余計な権利主張を一切しないというその潔いライセンスも重要だった。このプロジェクトの完全ボランティアによる無私無欲な姿勢、人が自分の好きな文書を分かちあおうとして自分で入力公開するという、共有の基本ともいうべき思想は、多くの人の共感を呼んだ。それがこのプロジェクトの成功の源泉だ。

 電子テキストというと、最近は電子書籍元年とか騒がれ、電子フォーマットの整備だのその際の課金だの著作権だの、読者囲い込みだの電子リーダー覇権だのといったくだらない話が散々ビジネス雑誌などの誌面をにぎわせていた。そのすべては、マイケル・ハートの目指した物と正反対のことを狙っている。お金か、ある専用のシステムや機械を持っていないと読めず、他の人と限られた形しか共有できない電子文書。商売のネタでしかない電子文書。でも、過去にもそういう動きはあり、そしてそのほとんどは失敗してきた。一方、ハートがお金など関係なしに(かれはプロジェクトからの給料もあまり受け取ろうとしなかったという)続けて来たプロジェクト・グーテンベルグは、数十年にわたり続き、かれの死後も確実に続く。長期的には、ぼくはジョブスよりもこの人のほうが、世界の文化に大きな影響を与えると思っているんだが。



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YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>
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