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alc2010年11月号
マガジンアルク 2010/11

『山形浩生の:世界を見るレッスン』 連載 52 回

レレレおじさんのご近所プロトコル

月刊『アルコムワールド』 2010/11号

要約:近所の人に「どちらまで」と聞かれるのが詮索されてるようでいやだという若者がいるんだが、そういうときには「ちょっとそこまで」と言えばいいというご近所プロトコルがあって、それでコミュニティが形成されるんだよー。


 ネットではよくいろんなケンカが起きていて、端で見ている分には楽しいんだけれど、当事者たちは顔を真っ赤にして(たぶん)あれこれ言い合っている。そしてなんだか疲れてそのままフェードアウトしてしまったりするのは、ずいぶんもったいない話ではある。真っ正面からやりあうから疲れるのであって、適度なところで受け流せばいいのに。

 でもこれは必ずしもネットだけの話ではない。実は最近、会社の後輩がなにやらちょっと古い住宅街に引っ越して、ご近所にいろいろ詮索されるので嫌だ、というような話をしていたのだ。ちょっと道で会っただけで、ちょっと顔見知り程度の人出もどこに行くんだとか、何しにいくんだとか尋ねられるとのこと。「そんなこと、なんであんたに説明しなきゃならないの! って思いますよねえ」と彼女は愚痴っていた。

 いやいや。それはそういうことじゃないのだ。近頃の若い子はそんなことも知らないのか、とぼくはめっきり年寄り気分になってしまったことでありますよ。

 「天才バカボン」という赤塚不二夫の古典マンガがあるのは、ある程度の年配の方ならご存じだろう。その中にレレレのおじさんというのが出てくる。その人はいつもそこらで道をほうきで掃いていて、バカボンたちが通りかかると「お出かけですか」とか「今日はどちらへ」とか「お急ぎですね」とか言うのだ。

 さて、レレレのおじさんは、別に本気でバカボンたちの行動を監視しようとなんて思ってない(はず。そこはそれ、架空のマンガのキャラですから)。別にかれらがどこへ行って何をしようと全然気にもしていない。かれがそこで「今日はどちらへ」というのは、単に「何かあったら言ってくださいね」というだけのメッセージにすぎないのだ。相互に認知しあうための通信プロトコル、ですな。

 そして、当然ながらそれは古いコミュニティの持つ結束と安全性にも寄与する。特に用がなくても相手とコミュニケーションができれば、何かあったときの協力もお互い得やすくなる。先日ぼくが訳したジェイコブズ『アメリカ大都市の死と生』でも、これはよい都市コミュニティの成立条件の一つとされていた。

 そしてお決まりの通信プロトコルである以上、こういう質問にはお決まりの答えがある。「お出かけですか」「今日はどちらへ」ときかれたら、「あそこのスーパーでセールやってるもんで」とか「子供の迎えで」とホントのことを言ってもいい。でもそうでない場合や面倒な場合にだって、別にバカ正直に本当のことなんか言う必要はなくて「はい、ちょっとそこまで」と言えばいいの! これは「あんたには関係ない話だからこれ以上詮索無用よ」という意味……とまで言うと言い過ぎで、「特にご心配いただくほどのことではないのでお気遣いなく」という受け流しだ。  用件だってそうだ。「お急ぎですね」と言われたら、「はい、ちょっと野暮用で」とでも答えておけばいいの! 別に向こうだって本気でこっちの用事が知りたいわけじゃない。その場で面倒な人生相談始められたらかえって迷惑だ。怪しいことはしてませんよ、というのの確認がとれればいいだけなのだ。

 むろん、それでも突っ込んでくる詮索好きな人はいるけれど、そういう人に対しては、「はい、ちょっとそこまで。でもよいお天気ですねえ」と天気の話に振る。そういうちょっとしたコツを覚えて慣れれば、そんな面倒な話でもないのに。

 という話をしてあげたら、後輩はずいぶん感心してくれたんだが、そんなの常識じゃないのかぁ、うーむ。でも、そういう適度な受け流しや、型やプロトコルの概念をもうちょっとみんな身につければ、いろいろ丸くおさまるのにねえ。むろんそればかりにたけて、変な政治家みたいになるのは、それはそれでまた問題ではあるのだけれど……



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YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>
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