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alc2009年10月号
マガジンアルク 2009/10

『山形浩生の:世界を見るレッスン』 連載 42 回

万博の現代的な意義ってなんだっけ?

月刊『マガジン・アルク』 2009/10号

要約:日食を見損ねた中国は上海、いまは万博の準備に余念がないところだが、万博っていまは意義があるのかな? 大阪万博とかは、まだ海外旅行のできない日本人には意味があったのかもしれないし、それなら今の中国人にも意味があるんだろう。


 日食を見に上海にいってきたら、狙い澄ましたような曇天に大雨で、しかたなくグルメ三昧をして帰ってきたのだった。その上海、いまは来年の上海万博に向けて準備まっさかり。南の川辺の会場地区は壮大なブルドーザー状態で、中国館が完成してあちこちで大自慢。そろそろチケットの発売も開始されるとか。

 でも、いっしょにいった甥っ子に「万博ってなーに?」と聞かれて、ぼくは返事に窮したのだった。そう、万博って何するところだっけ?

 昔は意味があった。万博とはつまり万国博覧会。かつては人はなかなか外国になんか観光旅行にはいけなかった。だからいろんな国から人や文物を集めて展示する万国博覧会は、お手軽な世界旅行の代用品として十分に意味があっただろう。十九世紀末のシカゴ万博なら、「おお、あれが日本人とゆーものか、あれがキモノでゲイシャでサムライか」というわけだ。ついでに、発明したばかりの電球を飾り付けにつかえば、自国のアピールもできる。

 一九七〇年の大阪万博だって、まあそれに近い意味はあっただろう。当時はまだ日本人の海外旅行も限られていたから。そしてアメリカからは、アポロ帰りの月の石! 科学少年だったぼくは見たくてたまらなかったんだが、三時間待ちの行列と言われて泣く泣くあきらめました。でも、アメリカとしては面目躍如だし、日本人は喜ぶし、まあ意味はあっただろう。

 ちなみにその直後にアメリカに行ったら、月の石はスミソニアン博物館でゴロンと普通に展示されていて、しかも普通の石。たぶんなんかの映画とごっちゃになっていたんだろう、ぼくは宇宙の石というのはもっとグネグネして、変な音をたてながら不思議な光を放ったりするにちがいないと思っていたのですっかり拍子抜けしてしまった。そしてこんなもんに行列していた日本人ってバカじゃねーの、と思ったのは懐かしい思い出だ(自分もそのバカの行列に加わりたがっていたことはすっかり忘れているわけだが)。

 が、つくば博とか沖縄博とかになると、えーと何のためにやったんだっけ? 他のところの万博も、いまやすでにまったく記憶にない。それでも科学博や海洋博はテーマで何となく保たせた感じだ。交通博とか環境博とかいうのもどこかでやったように記憶している。でも名古屋万博はテーマすら記憶にないや。上海万博は、なんかそういうテーマみたいなものってあったんだっけ?

 といった昔話を甥っ子にしつつ、「だから上海の万博も、海外旅行ができない中国の人が、いろんな外国のものを見られて嬉しいんだよ」という説明をしたんだが、どうなんだろう。甥っ子は上海の水族館で、ありとあらゆるものをデジカメで写真に収めずには気が済まない中国人の大群に度肝をぬかれていて、「ああいう人たちなら万博も楽しいはずだよ」というと納得はしてくれたんだが。それ以外の需要ってあるんだろうか。

 大阪万博は、外国人観光客を呼び込む手段としても位置づけられていた。外国からの観光客受け入れ体制も整え、日本観光をアピールするチャンスだとされていた。が、どうかねえ。上海くらいだと、逆になるんじゃないかな。上海にふつうに来ている人たちが、ついでに万博ものぞいてみる、というような。それでも上海の観光キャパシティを考えると結構な数になるとは思うけれど。

 が、結局のところ中国の人たちが楽しければ、それはそれでよいのかもしれない。名古屋博だって、ぼくはあんなもの誰もいかないだろうと思っていたら、暇な連中が大挙して押し寄せて、結果的に結構な人の入りになったし。上海の水族館にいったら、中国人はとにかく、何でもとりあえずデジカメで写真に撮れればうれしいらしいから、こういう人は万博でも大喜びだろう。不景気で出展しないかもと言われていたアメリカ館は、結局どうなったんだっけ。そして今なら、アメリカ館とか日本館って何を展示するのかな……と考えると、ちょっと気になり始めたりはするのだけれど。



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YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>
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