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alc2009年3月号
マガジンアルク 2009/03

『山形浩生の:世界を見るレッスン』 連載 36 回

カレンダーは月次計画の夢を見るか?

月刊『マガジン・アルク』 2009/03号

要約:月ごとのカレンダーがないから月単位の時間が意識されず、予定をたてられないのだ、と友人は言う。そこらへん、ニワトリと卵の関係かとは思うが、外部の環境が人の意識にどう影響するか、時間管理ツールが人をどう変えるか、おもしろい問題ではある。


 みなさんは、どうやってスケジュール管理などをしているだろうか。秘書が全部やってくれる、というような人は別格、また人生常に行き当たりばったり出たとこ勝負という人は論外としても、昔ながらの手帳や懐かしきファイロファックスを愛用する人、携帯電話ですませる人、目新しいものが大好きで PDA なんかを使う人、さらにはハイテク頼みでそれをパソコンのアウトルックやネット上のカレンダーと同期させて管理する人など、やり方は様々だろう。

 「でもね、おれは基本は一ヶ月単位のカレンダーが壁にあるべきだと思うんだ。それがスケジュール管理の基本だし、そもそも予定という概念は、あれで根付いてると思うんだよ。日本だとみんなそうじゃないか」と友人は語るのだった。

 その日、ぼくたちはある途上国でお役人に(一週間前に)アポをとって面会に出かけたのだった。ところが、行ってみるといない。携帯電話にかけてみると、「今日はもうダメだから明日にしてくれ」と平然とのたまう。友人は激怒、ひとしきり悪態をついてから、飯を食っているときに出てきたのがさっきの発言だった。

 「でも、あいつのオフィスの壁にあったカレンダーを見たか? あれがダメだと思うね」と友人。そのお役人の壁にあったのは、華僑系が結構好んで使う、日めくり式のカレンダーだったのだ。

 「あれではスケジュール管理なんかできないだろう。当日にならないとその日が意識されなくて、明日は何がある、来週は何があるというのを無意識のうちにでも頭に入れることができないじゃないか。

 そういうアポだけじゃない。壁に一ヶ月の予定が丸ごとあることで、人は一ヶ月先のことまで考えると思うんだ。再来週には電気代を払わないと、とか。明日の予定とか、週末の予定という感覚も自然に出てくる。日めくりだと、明日のことは明日になってはじめて意識される。予定という概念がそもそも生まれない原因は、そういうところにあるんじゃないの? 今日あいつがすっぽかしたのだって、昨日の時点で今日の予定を認識していなかったからだろう! たぶん社会がうまくまわらずに発展が遅れるのは、そんなところに根本的な原因があるはずだ!」

 話しているうちに友人はどんどん興奮してきたのだった。「だからおれは前から思ってるんだ。ここらのカレンダーを全部一ヶ月ごとのやつ、それも一年の小さな表示がついたやつに換えて、ついでにここらの止まってる時計全部の電池を入れ替えることで、人々の時間認識を一変させることができるはずだ。それにより、約束とか時間の感覚、将来の計画作り、その他あらゆるものについて人々の意識を一変させられるはずだ! 一億円もあればそれが実現できる!」

 さてみなさん、どう思うだろうか。ぼくはかれの言うことにも一理あるとは思うのだ。ニワトリか卵かという問題はある。人々が一ヶ月単位の活動を気にするからこそ、みんな一ヶ月ごとのカレンダーを使うのかもしれないけれど、逆に月単位のカレンダーをいつも見ているからこそ、そういう単位で予定を考えるんじゃないか?

 もちろん、カレンダーだけでできることには限界があるだろう。ぼくたちは三十年の住宅ローンが組める。ということは三十年先の予定がある程度たてられるということだ。それはカレンダーじゃ無理だろう。一方で、記憶だけでどのくらいの予定をたてられるのだろうか。マイクロファイナンス会社は、週ごとの取り立てを行う。そんなものなのかもしれない。ぼくも、今週の予定ならだいたい頭に入っているけれど、来週の予定となるとアウトルック様にきかないとはっきりしない。でも、ツールがあればそれを一ヶ月にのばすことはできる。そしてそれを各種の道具立てで三十年にのばすことに、ある意味で文明とか発展とかの本質があるのではないか? もちろん一方で、それは人を時間に隷属させることなのかもしれないが……



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YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>
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