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alc2009年1月号
マガジンアルク 2009/01

『山形浩生の:世界を見るレッスン』 連載 34 回

クルーグマンの経済地理 in ビエンチャン

月刊『マガジン・アルク』 2009/01号

要約:ノーベル経済学賞をとったクルーグマンの業績の一つは、最初のちょっとした偶然でいろんな集積が生じるということ。ここラオスでも、携帯電話屋やケーキ屋や自動車修理工場などで似たような様子が見られる。


 二〇〇八年のノーベル記念経済学賞を受賞したポール・クルーグマンの受賞理由の一つは、経済地理学への貢献だった。なぜ都市や経済のいろんな機能は集中するんだろう。たとえばなぜ秋葉原みたいな電気街ができるのか? 同じような電気街は、ソウルにも北京にも香港にも、どこにでもある。世界のTシャツ首都と呼ばれるインドのティルプールとか映画のハリウッドなんかもその例だし、同じ都市の中でも、たとえば本屋の固まっているところ、自動車関連の店がかたまっているところなど、それっぽい地区は何かしらある。それがアフリカだろうと南米だろうと。

 もともとの説明は、その場所の自然条件や適性で集積が起こる、というものだ。フィリピンにバナナ農園が集中しているのは、確かにそういう外的条件のおかげだ。あるいはハリウッドは雨が少なくて屋外撮影に向いていたから映画が集まった、ともいう。高速道路沿いにラブホテルが並ぶのも立地条件による。でも、それでは説明のつかないことも多い。クルーグマンの説明は、それが規模の経済によることもあるよんだ、ということ。集まることで相互のノウハウ共有、人材共有が可能になる。だからいろんな集積が起こるし、その集積はまったくの偶然――最初にたまたま何軒かがそこに並んで立っただけ――から生じることもあるのだ、というのがその発想だ。

 ぼくがいまいるラオスのビエンチャンにも、携帯電話街みたいなところがある。なぜかそこはケーキ屋街でもあって、一軒おきに携帯屋とケーキ屋が交互に並んでいるのだが、ビエンチャンにはそんなに大量のデコレーションケーキ需要があるんだろうか? 謎だ。そしてそこを少しいくと、自動車向けの板金加工や修理用のカスタムパーツを作っている店が集まっている場所に出る。といっても五、六軒あるだけだけれど、ビエンチャンは小さいので、これでも大した集積なのだ。

 もちろん、携帯電話屋に都合のいい立地条件などというものは特にない。ケーキ屋も、結婚式場が近くにあるわけでもないし、板金加工屋も近くに自動車工場があるといったこともない。そしてこの三つがほぼ同一地域に固まる必然性もまったくない。すべてクルーグマンの理論の通り、たまたま最初に何軒か固まったのが広がっていっただけなんだろう。というよりクルーグマンは、昔からあったそういう観察を単に経済モデルにしただけなんだけれど。そうした理論をふまえて改めて現象を見てみると、なかなか新鮮な感動がある。

 そしてかれの理論は、その地区内でも細かい差が生じることを予想している。確かに携帯電話屋はあまり差別化しようがないのだけれど、それでもやたらにケースに力を入れているところ、特定メーカーの端末に特化したところと、細かい差を出そうとがんばっている。ケーキ屋は……どこも原色アイシングのどぎつい青やピンクのケーキだが、その筋の人にはわかる差があるのかもしれない。そして、板金工場は、古い旋盤を並べた大きめのところから、手でたたいている小さいところまで、規模の分布がある。

 ただし……これは応用がむずかしい。この理論を真に受けて無理矢理いくつか似たものを並べたところで、そこに他の企業や店がきてくれるとは限らない。かれの理論は、後付の説明は得意だけれど、予測にはなかなか使いにくいのだ。

 ちなみにビエンチャンにはもう一つ集積がある。メコン川のほとり沿いには、京都の高床みたいに足場を組んで板を渡した簡易レストランが山ほど集積しているのだ。これはクルーグマンの理論が予測する集積じゃない。川沿いの景色と、そして地面が悪くて他のものは作れないという外的な条件が作り出した集積となっている。ここで夕日を見ながらするめをかじり、コオロギ炒めを食べつつ飲むビールは最高なんだが、この手の食い物ネタはまた別の機会に。



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YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>
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