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alc2008年12月号
マガジンアルク 2008/12

『山形浩生の:世界を見るレッスン』 連載 33 回

植民地主義と地名の変更

月刊『マガジン・アルク』 2008/12号

要約:なにやら地名をもとの現地名に戻す運動が世界中で起こっていて、インドでも混乱を招いている。南アでも似たような運動が起きているんだが、南アの場合にはいまの都市を一から造ったのは植民者たちなんだから、旧地名に戻すってのは変だなあ。部外者にはわかりにくいことこのうえない。


 ある程度以上の年の人であれば、突然地名や人名の表記が変わって面食らう場面には何度かお目にかかっているだろう。かつてアメリカのリーガン大統領がいきなり一斉にレーガン大統領に代わったのは、新聞メディアの談合があったはず。またビルマがミャンマーになったのはだれが言い出したんだっけ? 揚子江を長江と呼びなさい、朝鮮人の名前は朝鮮語読みにしなさい、というような話はどんなプロセスで決まったんだっけ? いずれにしても、当人たちは非常に深刻なつもりでやっているけれど、でも実際には何が変わるわけではなく、単に部外者がいろいろ混乱するだけ、という場合がやたらに多いような気がする。

 この手のことをたくさんやっているのは、ここ十年くらいのインドで、いろんなところの名称が変わっている。カルカッタがコルカタになったとか、ボンベイがムンバイになったとか、多少は見当がつくものも多いけれど、マドラスパイプで有名なマドラスは、いまやチェンナイだ。ついでに市内の通りや街区の名前も山ほど変えられてしまったんだが、現地の人ですら昔の名前で覚えている場合が多く、新しい地図を見て行き先を言っても輪タクなどでなかなか認識してもらえずに途方にくれる場合がままある。ちなみに、ソフト産業で有名なバンガロールもナントカいう名前に改名しているので、IT関係者の人はご注意を。インドのこれはおおむね、イギリスが植民地時代に普及させたのをもとに戻す、という民族主義的な動きだけれど、チェンナイ近くのマハバリプーラムがマーマラプーラムになった(逆だっけな?)は、インド内の小競り合いの結果だ。これまた地元の人ですら、変わったことを知らない人も多いが、もとの名前で呼ぶと妙にいきりたつ人もいるので、正直言ってどっちでもかまわない外国人としては、歴史は歴史として定着したものは動かさないでくれないかなー、と思ってしまう。

 さていまいるレソトで知ったのだけれど、この動きがいまや南アフリカにも広がっているんだとか。南アフリカの首都プレトリアは、数年前にツィワネと改名されてしまったのを、みなさんご存じだったろうか? ぼくはまったく知らなかった。もちろんこれも民族主義的な動きの反映で、ズールー族時代の呼び名、ということになる。

 そして南アにはダーバンというなかなか気持ちのいい都市があって、いろんな国際会議で有名なんだが、これまた最近改名したとのこと。で、その名前が、イテケレニだかエテケレニというのだ。教えてくれた人も自信なさげだったので、まちがっていたらお許しを。いやはや、こちらも改名してから数年になるというんだが、まったく知らなかった! しかもこれにはもう一つアレがある。これはETEKELENIと表記されるそうなんだが、ズールー語の表記の慣習により、固有名詞だけど先頭のeは小文字でなくてはならない。うーん!

 このダーバンの改名については、現地でも議論があるのだとか。別にダーバンは、ズールー族のおかげで存在しているわけじゃない。確かにそこにはかつてそんな名前の村があったかもしれないんだけど、でもダーバンを今の大都市にしたのは、イギリスやオランダの植民者たちであり、その後の経済発展だ。カルカッタやボンベイのように、もともとあった都市を白人たちが勝手に改名したのとは訳がちがう。

 とはいえ、名前は(いろいろ思い入れはあっても)結局はラベルにすぎない。規定がなんといおうと、法律でどう決めようと、人々が(現地の人も外部の人も)それを受け入れなければ定着せずに終わる。山手線がe電と改名されたけれど、だれも使わずにいつの間にかなかったことにされてしまったかのように(そういえばこれも小文字のeで始まる名前だなあ)。さて数年後、ぼくたちはこの都市を何と呼んでいるだろうか?



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YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>
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