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alc2008年9月号
マガジンアルク 2008/09

『山形浩生の:世界を見るレッスン』 連載 31 回

イギリスの中華料理屋

月刊『マガジン・アルク』 2008/09号

要約:イギリスには昔、中華料理屋は態度が悪いところほどおいしいという変な伝説があったのだ。


 いまいるガーナは、かつてイギリスの植民地だったこともあるし、またアフリカは全体になぜかまともな意味での料理が発達しなかったこともあって、食事は決してうまくない。アジアは(インドネシアとフィリピンの一部は例外として)おおむねどこへ行っても、普通にそこらで食べる地元飯が普通にうまいし、南米だってインドだって捨てたモンじゃないのだけれど、なぜアフリカはかくもダメなのかについては諸説あるが、それはまたいずれ。

 首都アクラのレストラン等もかなりレベルが低く、ぼくも含め日本人たちが普通に喰える場所は、首都全体で二十軒くらいしかない。そしてその半分が中華料理屋だ。いきおい、三日に一度は中華料理ということになる。そして中華料理屋に入ると、時々思い出すことがある。ぼくの最初の海外出張でのできごとだ。それはヨーロッパの片田舎にあるイギリスという国でのことだった。

 その国は当時(というのは1990年代初頭)、まだ味という概念がほとんどなく、人々はぬるくて泡のでない苦いだけのビールをありがたがって嗜み、地元の普通の食事はどんよりとした泥のような代物だった。だからまともなものを食うには、旧植民地からの移民であるインドと中国の料理を食うくらいしか選択肢がなかった。

 そして1990年代のロンドンには、変な伝説があった。中華料理屋は、態度が悪ければ悪いほど料理がうまい、というのだ。

 果たせるかな、ぼくが入ったチャイナタウンの店もひどいもんだった。まず席に案内してもらえず、店員を呼び止めて「三人だ」と言うと、頭のてっぺんからつま先までじろじろ見られて、舌打ちをしたあげくに相席。箸は投げつけられるように置かれ、出てきた湯飲みはあちこち欠けている。まわりを見ると、客の帰ったテーブルを片付けるとき、残飯の載った皿も何もかもまとめてテーブルクロスでガシャガシャとくるんで、床を引きずって洗い場に運んでいる。なるほど食器がかけるわけだ。だがそこに連れて行ってくれた知り合いは、その有様を見て「態度が悪くてすばらしい」と喜んでいたんだが……そんなにありがたがるほど美味しくはなかったんだよねー。そんなにひどくもなかったけれど。確かにそのサービスのひどさは笑えて、ショーとして見ればおもしろい面もあったんだけれど。

 五年くらいたってまたロンドンに出かけてみると、もうそんな話はきかなくなっていた。ロンドンの飯事情も急激に改善し、味のまともなレストランも増えていたし。今でも、あれは何だったんだろうと思う。思うに、まだ味のちがいがわからない(が、わかる顔がしたい)ロンドンっこたちが、何とか味の代替指標を探そうとした結果、だれかがどっかで言い始めた怪しげな噂がまことしやかに流されていたんじゃないか。日本でも、寿司屋は愛想のないほうが高級だとか、頑固オヤジの作るラーメンのほうがうまいとか、一見さんお断りで客に尊大な態度を取る店がすごいとか、その手のくだらない話がある。そしてもちろん、そんな噂が広まるにつれ、店のほうも態度の悪さを競うようになったんじゃないかな。その後イギリスも、まともな店が増えるにつれて人々の舌も肥え、変な代替指標に頼る必要もなくなって、そうしたバカな話も衰退したんだろう。

 ガーナも、この夏にきてみると急激にいろんなものができはじめた。突然新規のホテルが乱立し、大規模なショッピングモールができ、そしてそこそこまともなレストランもいくつか開店した。そしてそういうレストランにくるのも、白人や日本人ばかりでなく、現地の家族連れなんかも明らかに増えている。もうじきここでも味の基準が上がり始め、ロンドンと同じような変なかんちがいなんかも生じる一方で、まともな現地の飯もうまれてくるかもしれない。でも、ここの仕事も今回で終わりだ。次にそれを確認しにくるのは何年先になりますやら。



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YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>
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