『山形浩生の:世界を見るレッスン』 連載 28 回
月刊『マガジン・アルク』 2008/07号
要約:ある国はものすごい電力不足に見舞われているのに、温暖化を口実にした環境団体の反対で、火力発電所が作れずに困っていた。温暖化を口実にいまここで現実に苦しんでいる人を放置しろという議論は本当に正しいのか? 人々のことを心配しているふりをして、実はまったく人々なんかどうでもいいというのを如実にあらわしてはいないか?
解決策は一つで、みんな知っている。大きめの石炭火力発電所を作ればいい。電力供給は一気に回復し、停電もなくなる。発電コストも下がって電力会社も黒字になり、電気料金も引き下げられる。産業もきて、雇用も促進され、人々の所得は上がって生活も向上する。ちなみに、用地選定も設計も環境アセスメントも住民交渉もすんでいる。
が、建設はいつまでたっても始まらない。なぜか?
一つには、利権をもった政治家が妨害工作をするというのもある。だが……もう一つ理由があった。環境団体が反対していたのだ。西側先進国の環境NGOと、それにそそのかされた地元の(金持ちインテリ大学生の)NGOと。そして反対の理由は? 石炭火力は二酸化炭素排出が多いから、地球温暖化を悪化させる、というわけ。
さて、あなたはどう思うだろう。地元の人にきけば、地球温暖化クソ食らえ、いまここにある電力危機をなんとかしてくれ、と言う。地球温暖化で本格的な影響が出てくるのは、今世紀も末になってからだ。それを避けるために、いま人々が停電に苦しみ、いま人々が雇用のないまま苦しみ、いまその国の人が低い生活水準を強いられ――教育も保健もその他すべての点で満足なものを得られず――環境団体は、それでもかまわないと言うんだろうか? いったい何のための温暖化防止なのか?
温暖化を防止しないと、あれこれ天変地異が起こるというのはウソだ。台風がでかくなるとか、アル・ゴアの悪質なプロパガンダ映画に出てきたような何メートルもの海面上昇とか、メキシコ湾流が停止してヨーロッパが氷河期に逆戻り、なんてことが起きないことはIPCCの報告書にも明記されている。台風や海面上昇だって、なぜいけないかといえばそれで家がつぶれたり土地が沈んだりして、人々が困るからだ。炭素削減は、そういう人の(将来の)苦しみを防ぐための手段であるはずだ。
が、この国で起こっていたことを見てみよう。この先進国の環境団体――もちろん余所の国までやってきて説教するだけの金持ちで、電力は使い放題――の活動おかげで、被害をこうむっているのはいまここにいる人々だ。しかも二酸化炭素を減らしたところで、温暖化は当分は続く。実は炭素削減は、温暖化に対して短期的な効果は一切持たない。結局ここでの運動は、いまの人々を苦しめる結果にしかならない。それでいいのか? いつの間にか炭素削減が自己目的化していないだろうか?
今度の洞爺湖サミットでも、炭素削減が議論になるという。日本は開催国として、2050年までに6割とかすさまじい削減案を予定しているとか。でも考えてみた方がいいんじゃないかな。その炭素削減って、何の役にたつの? そしてそれは結局、助けるつもりの人たちにかえって被害をおよぼしていないかな、と。