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alc2007年4月号
マガジンアルク 2007/04

『山形浩生の:世界を見るレッスン』 連載 13 回

文明と戦争:ニワトリと卵?

月刊『マガジン・アルク』 2007/04号

要約:人間は文明を発達させたために暴力を抑えるようになったんじゃない。暴力を抑えるために文明を発達させたんだ、というのがニューギニアの話をきくと見えてくる。もともとジャングルの部族たちは戦争ばっかりしていたけれど、実際には槍や弓矢ではほとんど死傷者は出なかった。銃が入って人が本当に死ぬようになったので、みんな戦争をやめて交渉するようになって、やがてパプアニューギニアは国としてまとまったとのこと。人を結びつけるのは死なのかもしれない。


 パプア・ニューギニアはかなり変なところなんですよ、と仕事でいっしょになった人が話してくれた。パプア・ニューギニアといってピンとくる人はなかなか少ない。インドネシアとかボルネオとか、あんなあたりにあるそこそこ大きな国で、1970年代だか80年代だかにできた、ごく新しい国だ。

 そしてその独立以前に、何かパプア・ニューギニアとしてのまとまりがあったわけでもない。タイや日本、中国であれば、いまの近代国家になる以前にも何らかの王朝とか歴史的な社会的統合の背景を持っているのだけれど、パプア・ニューギニアにはそんなものはない。ジャングルの中の、石器時代からほとんど進歩していなかったような原住民部族が、突然現代に引きずり出されていつのまにか国になってしまったようなところ。

 もちろん、人間の心はそう急激には変われない。むかしの人は、いまのぼくたちとはまったくちがう。もっともっと感情的で、その感情表現も直接的で暴力を多用する。気にくわないやつは、物も言わずにぶんなぐる。一言半句をききとがめ、侮辱されたと言っては殴り合い。いきなりヤッパを抜いてブッスリ刺し殺したりもするし、もちろん親族が殺されれば一家総出で復讐合戦。日本や欧州ですら、十九世紀末くらいはそうだった。

 まして石器時代からいきなり現代に連れてこられた人々。仕事でかれの相手をしていたパプア・ニューギニアの官僚も、ほんの10年前まではジャングルの原住民生活で、しょっちゅう右や左や川向こうの部族と、つまらんことで槍と楯をもって戦争ばっかりしていたんだとか。

 でも、そこで変化が起きた。鉄砲が入ってきたんだって。そしてそれがかれらの生活を一変させた。

 「鉄砲だと人が本気で死ぬようになっちゃったんだよ。それまでは戦争ったって、大したことはなかったんだ。槍で人を殺すのはなかなか大変だし、怪我をしてもそんなに深刻じゃなかった。だからみんな気軽に戦争していたんだけど、バタバタ人が死ぬようになって、さすがにこれは大変だってことで、もう戦争もしなくなっちゃったんだよ。問題があっても話し合いで解決しなきゃならなくなったんだ」とそのパプア・ニューギニアの高級官僚は残念そうに語ったとか。

 そしてその後しばらくしてパプア・ニューギニアは独立を迎える。

 さて、ここで述べられている物事の順序は、一般に思われているのとはちがう。ふつうは、もともと野蛮で平気で殺し合いをする人たちが、だんだん文明化され、その結果として「戦争はいけない暴力反対」とかいうお題目に目覚め、けんかや戦争や暴力を否定するようになる、というのが発展の筋道だと思われている。でもニューギニアでは話がまったく逆だった。まず暴力がエスカレートして、それはやばいと野蛮な人々なりに考えて、結果押して文明的な交渉が不承不承生まれてきた、ということだ。

 これはひょっとしたら、世界のほかの部分にも当てはまるんじゃないか。高い文明を発達させたところは、たいがいが高い軍事力を持ったところだ。そしてみんな、文明が発達したのに暴力が続いているとか、文明が発達したのに戦争がなくならないどころかエスカレートするのはなぜ、という嘆き方をする。でも実際は逆なんじゃないか。戦争があるからこそ、そしてそれがエスカレートするからこそ、人々は文明を発達させるんじゃないか。ぼくはかつて、戦争が文明に従属するのではなく、文明のほうが戦争の副産物にすぎない、という冗談本を訳したことがあるんだけれど、このパプア・ニューギニアの話をきくと、それが冗談でもなんでもない、かなり核心をついた議論だったんじゃないか、と思うのだ。



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YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>
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