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alc2006年5月号
マガジンアルク 2006/05

『山形浩生の:世界を見るレッスン』 連載 2 回

個体と文化:アリの巣の教え

月刊『マガジン・アルク』 2006/05号

要約:途上国は社会全体で見ると明らかにダメなところが多いのに、個人はみんなそれなりに頭がよく、日本人と大差ない。アリの巣でも似たような現象があって、個体のアリはずっと変わらないのに、巣全体でみると年を経るごとにその行動パターンは変化する。そのシステムにカギがあるというのは簡単だが、個体なら教育とかいろいろなおしようもあるけれど、システムは若者が急に年をとれないように(その逆も無理なように)なおしようがない。どうしよう。


 途上国に援助をしに出かけていくと、毎回首をかしげることがある。もちろん相手は援助される側だから、貧しい。貧しいというのは、単にお金がないというだけの話じゃない。日本ではあたりまえの各種サービス――電気や通信から銀行や食事まで――がないということだ。あってもレベルが低い。発電所はすぐ止まり、送電線はたこ足配線の化け物となり、ちょっとしたサービスでもすぐ行列、企業も役所も効率最低。これをいったいどうしろというのだ、と頭をかかえるような状況が平然と展開されている。

 そういう状況を前にすると、ついつい人種差別的なことや、国粋的なことを考えてしまうのが人情というもの。日本人ならこういうとき、もっとピシッとやるのに、やっぱXX人はだめだ、目先のことばかりにかまけて、長期的な計算をするだけの頭がない等々、日本には国家の品格があるとかないとか云々。

 ところが……やがて現地の人と個人レベルでのやりとりが増えてくると、どうも勝手がちがうので悩んでしまうのだ。個人でみると、この人たちはちゃんと長期的な計算もできる。目先の利害だけで動かないだけの知恵もある。そして低いサービスも、それなりの合理性を持っていたりする。一方で状況次第では、驚くほど効率の高い作業だって日常的にしている。もちろん逆も真なり。日本人だって浜の真砂はなんとやらなのは、皆様ご承知の通りだ。

 そしてこれが援助という世界の悩みの種でもある。個人でみれば、途上国の人は先進国とまったく遜色はない。ところが全体としては明らかに改善の余地がある。これはどういうことだろう?

 これについて、ぼくが最近興味を持っている研究がある。アリの巣についての研究だ。アリはご存じの通り、女王アリを中心に巣で暮らしている。そして個々のアリは短命で、毎日のように生まれては死ぬ。さてこの研究はアリの巣を一つの生命体として観察してみた。すると、巣にもちゃんと一生があるのだそうな。そして若い頃の巣は構造が単純で、けんかっ早い。そういう巣に属するアリたちは、エサなどをめぐってほかの巣のアリたちとすぐに争う。でも年を追うにつれて巣は複雑になり、それにつれて落ち着きを増し、他の巣のアリに挑発されても黙殺できるようになる。が、やがて機能不全も増し、やがて死を迎えることになる。死というのは、女王アリが死んだり、分封したりという状態だ。

 当然ながら、このそれぞれの段階で、アリたちは終始入れ替わっている。そして個々のアリは、巣が若いときも高齢なときにも何のちがいもない。でも、アリの巣全体としての行動は大きく変わる。そしてそれが、逆に個々のアリたちの行動を大きく左右する。老いた巣のアリが、エサをめぐってすぐにけんかしないのは、別にそのアリに品格があるからでもなければ、長期的な計算能力が優れているからでもない。ちなみにこれは脳なんかの研究でも指摘されている。脳をつくる神経細胞はあまり変わらないのに、高齢化すると脳の動きは明らかに変わる(というのは厄年を迎えて痛感することである)。

 途上国/先進国との対比は明らかだろう。問題は個人にあるのではない。その個人たちが作る、何らのシステムにあるのだ! 人々の作る社会や文化が、あたかも一つの生命体のような自律性を持っているのだ!

 が……それならどうしようか。個人が問題なら、もっと教育するとか手のうちようはある。でもそうでないならどこから手をつければいい? 文化や社会が独自の生命体なら、それを急に発展させようとするのは、猫に向かって犬になれと要求するような無理難題だったりするのか? いま開発援助が直面している大きな課題の一つがここにある。



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YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>
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