『山形浩生の:世界を見るレッスン』 連載 1 回
月刊『マガジン・アルク』 2006/04号
要約:映画『ホテル・ルワンダ』には、虐殺用の山刀を中国から輸入する場面がある。なぜ労働の安いアフリカで、その程度のものを自前で作れないのか? なぜ輸送費分のハンデがあっても中国に負けてしまうのか? それがかれらの課題だ。かれらは搾取されているから貧困なのではなく、搾取される程度の技術水準もないために貧困なのだ。
いま「ホテル・ルワンダ」という映画が公開されている。数年前にあった、ルワンダの大虐殺をテーマにした映画だ。虐殺が進む中で、あるホテルの一支配人が難民たちをホテルにかくまい、最後まで守り抜いたお話だ。地味な映画で、最初は公開が見送られようとしていたのを、ネット上の署名運動によって一転して公開が決まり、単館とはいえロードショーで、しかも連日立ち見の満員御礼が続いているという。よいことです。芸術映画ではないから、別に無理して映画館で見る必要もない。レンタルでも DVD でもいいから、是非見て欲しいなと思う。
この映画には見所はたくさんあって、旧植民地と旧宗主国の関係、国連軍の意義、世界のルワンダに対するあまりの無関心など、考えさせられることは多い。あえてケチをつけるなら、そもそもなぜ虐殺が起きたのか、というあたりは今ひとつわかりにくいのだけれど、それが一方で、何の理由もなく虐殺の波が全国を襲うという恐怖を際だたせている。
さてその虐殺の少し前の時点で、ホテルの支配人は食料や賄賂物資を仕入れにお兄さんの商店に出向く。するとそこで、箱に詰まった山刀を目にするのだ。そこでその兄さんは「いいだろうこれ、中国では一本たった 10 セントで作ってくれるんだぜ」とニンマリしつつ説明する。
もちろんその山刀は、その後の虐殺で使われる山刀だ。
さてこれもなかなか含蓄に富んだシーンだ。武器輸出国としての中国の役割はいますでにかなり問題になってきているし、その一端がここにも出ている。だがそれ以前の問題として、なぜルワンダ人たちはそんなものを中国から輸入しなきゃいけなかったんだろう。単に鉄板を打ち抜いて、木の柄をつけてグラインダーで刃を研げばいいだけの代物だ。そしてルワンダは貧乏な国だから労働力は中国よりさらに安い。でもこの場面からわかるのは、そんな程度の低レベルな産物ですら、ルワンダは自国では作れない、ということだ。いや作れるにしても、中国からアフリカまでの輸送コスト分を上乗せしてもなお、山刀程度のものすら中国に勝てないような高いコストでしか作れないのだ、ということだ。
これはあくまで映画だけれど、実態にかなり近い話だ。そしてある意味で、アフリカの貧困の一つの原因をうまくあらわしている。途上国がなぜ貧しいか、といわれて、先進国の多国籍企業が低賃金労働で酷使して搾取するからだ、というようなことを言う人はたくさんいる。でもそうじゃない。ルワンダのような国は、低賃金での労働力搾取すらしてもらえない状況なのだ。
いったい何が足りないのか? 教育、というのが一般的な回答だけれど、別に足し算ができなくても、読み書きができなくても、いま言った山刀くらいはつくれるはずだろう。それはむしろ、労働の規律みたいなものだ。さてそれをどういうふうに身につけさせることができるだろうか。これは重要なことだ。ルワンダの人たちが自分の殺し合い用山刀程度のものをちゃんと作れるだけのものを持っていたら――ちゃんと搾取してもらえるだけのものを持っていたら――おそらくは、あんな殺し合いは起きなかったはずなのだもの。
もちろん、いまの場面は「ホテル・ルワンダ」のほんの一部だし、ぼくが自分の勝手な関心で深読みしすぎてはいるのだけれど、でも「人々の心から虐殺の芽を摘みましょう」なんていうお題目を唱えるより、ひょっとしたら本当に虐殺を減らすのに貢献するのは、意外とこっちの発想かもしれないな、とぼくは思っているのだ。