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AERA 書評 2006 年 9-12月

 

AERA 2006/09/11号AERA 2006/9/11, 表紙は夏木マリ
AERA 2006/9/11,
表紙は夏木マリ

理屈とかけ声だけの MBA なんかいらない

ミンツバーグ『MBA が会社を滅ぼす』(日経BP)



 海外留学で MBA を、というと、いまでもキャリアアップのエリートコースだ。でも、本当に役にたつのか? まったく立たない、とアメリカ経営学の重鎮の一人ミンツバーグが叩きまくった、MBA タコ殴りの本が出た。

 MBA というのは、経営学修士の略だ。いわば社長さんに必要な技能集で、MBA の技能を身につければあなたも明日からカルロス・ゴーン、瀕死の企業もたちまちグローバル企業……なんてことあるわけないでしょ、とミンツバーグは指摘する。経営なんて人間相手の泥臭い仕事で、実際にやるしか学ぶ方法はない。教科書を読むだけで、何がわかるというのだ。組織も企業も、理屈やかけ声だけじゃ動かない。でもMBAなんて、理屈とかけ声しか教えられないんだよ、と。路上教習のない自動車教習所みたいなものだ。そんなやつにハンドルを握らせるか?

 いや、もっとひどい、と本書は述べる。いまの MBA 教育は、とにかくでしゃばりで攻撃的なヤツを優遇する。従来のプロセスが正しい場合ですら、目新しく派手な大改革を持ち出すほうが「革新的だ」と評価が高くなる。だからこそ、MBA が多い企業ほどダメになる。何が機能するかを知らず、機能しているものを壊して悦にいる。だから MBA なんかおよしなさい、もっと本当の経営者養成の手段を考えないと未来はないぞ、と本書は述べる。

 ここに書かれた MBA 批判は、連中と仕事をした人ならどれも激しくうなずくことばかり。でも当の経営学関係者もやっぱ感じていたのね。ミンツバーグはこれまでも徹底した現場主義を掲げ、無意味な「戦略」をはじめ、各種 MBA 的な手法を批判してきたが、ついに本丸に切り込んだ感がある。

 で、どうだろう。そこの MBA にあこがれている人、こんな肩書きが欲しい? そして安易に社費留学で MBA をとらせようとしているそこの人事担当者! 本書を読んだあとでもそいつを行かせますか? 直接 MBA と関係ない人も、一読して損はない。結局、経営って何だろう。そこに必要なものってなに? 本書はそれをきちんと見直すことで、ビジネス教育のあり方を考えるとともに、経営の本質をも(少し)伝えてくれるのだ。


AERA 2006/10/2号AERA 2006/10/2, 表紙は韓国の男優
AERA 2006/10/2,
表紙は韓国の男優

小説と抑圧の共犯関係

アザール『テヘランでロリータを読む』(白水社)



 本書の舞台は、豊かで安楽な先進国のぼくたちには想像もつかない抑圧と不自由に満ちた不幸の世界だ。

 その一方で、本書の描く小説との蜜月は、例えようもなく幸福で美しい。

 著者はイランの英米文学教師だ。ホメイニ革命に伴うイスラム原理主義の粛正と弾圧を受け、著者は女生徒たちを集めてナボコフ「ロリータ等の秘密輪講を行う。本書はその生徒たちと周辺人物、イラン社会の動きを地道にたどる。

 本書は欧米で予想外のベストセラーになった。それは本書にみなぎる幸せな小説との関係のためだ。登場人物たちは、単なる衒学的な「読み」や一時的なカタルシスに頼らず、本当に小説を自分にひきつけて己の問題意識を読み取り、その小説をまさに自ら生きる。

 それは今のぼくたちには不可能な幸福だ。ぼくたちの親の時代には、まだ小説との幸せな関係が可能だった。当時は文学全集なんてものが存在意義を持っていた。でもいまはない。村上龍も看破するように、小説は前近代から近代社会への移行期に意味を持つものだからだ。本書でも、前近代回帰のイラン革命の中で苦しむ近代化された女性たちに、小説はほぼ教科書通りの便益を与えている。抑圧されているからこそ、小説はかれらにとって力を持ち、幸福を与える。

 さて本書をほめる多くの「読書人」たちは、その幸せな関係を懐かしみ、それが失われたのは、最近のガキどもが本を読まないのが悪い、「文学の力」を信じないのが悪い、と言う。著者も、逆境にもかかわらず文学の力を信じて書き続けた作家たちを賞賛する。それが抑圧を打ち破る力になりうる、とでも言うように。

 だが、それはウソだ。実際には逆境だからこそその小説は力を持った。小説と抑圧は共犯関係にある。小説の力の復権を望むことは、実は抑圧と不自由と貧困――お望みなら軍靴の到来も――を待望する反動なのだ。その反動性は、一部の人が怖れる靖国神社なんかよりも、実はずっと危険で実害がある。

 本書は美しく幸せで感動的な本だ。是非とも読んで、その幸福にふれてほしい。でも一方で、その幸せがどこからくるのかは決して忘れないこと。だからこそ、本書は一方でかくも悲しいのだ。


AERA 2006/10/23号AERA 2006/10/2, 表紙は韓国の男優
AERA 2006/10/23,
表紙はなんかゴルフお姉さん

愛の不在か発見か?

ガルシア=マルケス『わが悲しき娼婦たちの思い出』(新潮社)



 「わが悲しき娼婦たちの思い出」。うん、あれは忘れもしない20年前――というぼくの身の上話はやめておこう。この本は、時期的にちょっとおもしろい立場にある。日本で外国小説読者が読む本はかなり重なっていて、その中には前回紹介した『テヘランでロリータを読む』も高い確率で含まれている。

 あの本のあとで本書を読む人は、何を思うだろうか。

 「満90歳の誕生日に、うら若い処女を狂ったように愛して、自分の誕生祝いにしようと考えた」とはじまる本書の愛を知らない主人公は、14歳の処女を調達し、薬漬けにして、一年がかりで(本番なしで)何度も慰みものにするうちに情がうつり、勝手な妄想をふくらませて、最後にやり手婆の「あの子はあなたに夢中だ」という一言で自分が少女の愛を手に入れたと思って悦に入る。うーん、ガルシア=マルケスは本気なんだろうか。『テヘラン~』の読者なら、ここにもまた他人の欲望をおしつけられ、自由も声も奪われた存在を確実に見て取る。表面的には愛の成就として描かれる本書は、実は愛を得られない男の話なのだ。

 さて愛の不在は代表作『百年の孤独』以来、ガルシア=マルケスの十八番のテーマだから、本書でもそれが展開されて不思議はない。が、本書の書きぶりが、そう断言させるのをためらわせる。少女に対する身勝手な「恋」のために、90歳で死を待つばかりだった男の人生はかつてなく華やぐ。その様子、そしてこのラストの描き方が妙に優しく幸せそうで、本気でこんなおたくの妄想じみた代物を愛の成就だと言いたい印象がぬぐえないのだ。どっちだろう。

 もし前者なら、これはものすごく意地の悪い話だ。一見した華やぎや幸福感は、すべて愛を知らない男に対する嫌味となる。が、そうでなければガルシア=マルケスもついにやきがまわり、お手軽なメロドラマにからめとられてしまったのか。読み返すたびに判断は揺れ動くのだが――それこそまさに、いまどき小説なんかを読む醍醐味であったりはするのだ。そして『テヘラン~』の後で本書の邦訳が出たことにより、その醍醐味を味わえる人がおそらくは五割増しくらいにはなったんじゃないかな。


AERA 2006/12/04号AERA 2006/10/2, 表紙は韓国の男優
AERA 2006/10/23,
表紙はビル・ヴィオラ

肉体の制約を超えろ!

ラメズ・ナム『超人類へ!』(インターシフト/河出)



 いま、ぼくたちは人間であることの制約――つまりこの肉体の制約――を超ようとしている。人が今の十倍の記憶力を持ったら、世界の仕組みはまったく変わる。相互の考えを直接脳の電極経由でやりとりできるようになったら、インターネットやケータイなんか比べものにならないコミュニケーションの革命だ。視力が倍に、寿命が倍に……だがこれは、人体の一部を機械化したり、遺伝子をいじったりすることで、いまや実現の一歩手前くらいにある。そしてその一歩も、着実に乗りこえられようとしている。

 本書は、その可能性と、そうした変化が社会にもたらす影響について、ちょっと楽観的ながらも包括的にまとめた本だ。

 一部の人は、そうした技術や変化を恐れており、神様とか「不自然」とか「人間の傲慢」と言った無内容な辻説法でこの動きをとめようとする。遺伝子をいじって人間の能力を高めるのは、神の摂理に反する等々。いまだに遺伝子組み換えのジャガイモさえあまり食えないのはそのせいだ。だが本書はそうした議論をくさす。だれが神の摂理を決める? 車だって電球だって電話だって、えらく不自然なものだ。どこに一線を引く? そしてそれは確実によいものをもたらすのだ、と。人類の未来は、何らかの形でそうした変化を受け入れることにしかないのだ、と。

 今から五〇年後。あなたはそのまま引退して高齢者年金をもらうか、あるいはサイボーグ手術をして自力で稼ぎ続けるかの選択を迫られるかもしれない。いまメガネか近視矯正手術か悩むのと同じように、目玉ごと機械に交換するべきかどうか悩むかもしれない。いやそれより、全世界的な意識のネットワークに組み込まれ、もはやあなたという個人は意味を失うかもしれないのだ。

 それをすばらしいと思うか、恐ろしいと思うか? どちらにしても、これはほぼ確実に(今後一世紀くらいで)やってくる世界だ。高度成長期が以来、ストレートな未来社会像がいささか古び、みんないまの世界が今後無限に続くつもりでいる。そんな現在だからこそ、本書の直球未来談義は、なかなかに力強く刺激的だ。本書で久々にいまとちがう未来世界に思いをはせてみてはいかが?



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YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>
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