Valid XHTML 1.0! リーマンの、リーマンによる、リーマン(あるいはその予備軍)のための教養講座 連載第 4 回(そして期せずして最終回)

会社ってなーんだ:その3――所有と経営の分離。

(『Z-Kan』2000 年 秋 2 号)Z-Kan 2号

山形浩生



 ういーっす。さて続きか。前回は、会社の所有ってなんだ、という話をした。といっても、季刊の雑誌だからもう前に何が書いてあったかなんて忘れてるだろうから(書いてる当人が忘れてるもん)、簡単におさらいしておこうか。

 会社というのは、まず事業をしたい人がいる。この人が、自分の手持ち資金でいろんな設備をそろえて事業をする。これが基本。で、本来であれば、儲けの中からまた設備を買ったりして投資をしていく。そうやって事業をだんだんでかくしていくことになる。

 でも、儲けが見えているのに、事業をでかくするお金がないときもある。そういうときは、利息つきで返すという約束でお金を借りるか、あるいは何も約束はできないけど儲かったら共同所有者としてそれを山分けしよう、といって出資者をつのるか、どっちかだ。そして、公式に会社を所有して、経営に口をはさめるのは、出資した人、つまり株式会社の場合は株主ってことになっているのだ、ということも見た。だけれど、実際には、お金を貸してくれた人たちも、自分の借金を取り戻すためにはいろいろ口をはさんでくるし、その意味で融資した人たちも、実は会社をある程度は所有してるみたいなもんだ、という話をした。

 ただし、融資した人たちが所有者づらして口をはさんでくるのは、お金が返済スケジュール通りに返せなくなってきたときだけだ。だからここでは、まず正式なオーナーである出資者、または株主たちのことだけを考えることにする。

 さて、日本の企業の一つの特徴として、所有と経営がきちんとわかれていないという点がよくあげられる。これはふつう、欠点としてあげられる。はやくアメリカ型の、所有と経営が明確に分離したコーポレート・ガバナンスの仕組みを確立して云々、てな話をよくきく。

 所有と経営の分離ってどういうことだろう。それはつまり、会社の所有者である出資者や株主たちは、直接会社の切り回しにはタッチしない、ということだ。だれかをやとってきて、その人たちに会社を経営させる。いわゆる「雇われ社長」というのはそういうことだ。そして日本では、確かにこの「雇われ社長」というのが多少侮蔑的な意味で使われる。これはたいがい、創業者・オーナーの精神を理解していない、オーナー一族と無関係で、したがって会社に対してあまり深くコミットしていないしょせんはつなぎの存在、というようなニュアンスをただよわせて使われる。実際の数字は知らないけれど、確かに規範としては、なんか所有と経営の分離をいまいち快く思わない雰囲気ってのは日本にある。困ったものだ、と欧米かぶれのコンサルどもがくびをふったりする。

 じゃあなぜ、所有と経営の分離ってのが必要になってくるのか?

 実は別に必要なんかじゃない。欧米にだって、所有と経営が分離していない会社もいっぱいある。ほとんどの中小企業では、みんなオーナー社長だ。共同出資者をつのらなければ、自分の才覚と融資限度額の範囲内で経営を拡大すれば、ずっと自分がオーナー社長であり続けることになる。

 中小だけじゃない。かなりでかいところだって、株式会社化はしても、身内だけで株を持って実質的にオーナー社長形態を維持しているところもある。でかいところでは、日本の森ビルなんかがそうだ。さらにソフトやハイテク会社なんかでは、必要ないから共同所有者(株主)を外につくらないどころか、株を公開しない、オーナー社長体勢を維持する、と断言するところもある。株主に対しては、いろいろ情報を公開しなきゃいけないし、経営方針上も言うことをきかなきゃいけない。それがいやだからだ。

 そして、そのオーナー社長が優秀ならば、別に文句を言う必要もない。

 ただし。人はたぶん、いつまでも優秀ではあり続けられないだろう。まちがいだってするだろう。ビル・ゲイツが倒れたらマイクロソフトの株価は暴落するだろう、という冗談があるけど、これはあながち冗談じゃない。ダイエーのいまの惨状は、中内功の経営感覚が時代にあわなくなったからだ、とよく言われる。この成否はさておき、そうなってきたときに自浄作用が働くか? 所有と経営が分離していると、それが働きそうだ。いっしょくただと、いつまでも問題は残りそうだ。所有と経営が分離していないのが日本のビジネスの問題だ、というようなことを人が言うとき、それはたぶん、こういうようなことが頭にあるはずだ。日本はかなりの大企業でも、オーナー一族の勢力が強かったりとかするわけだ。オーナー一族が社長や経営トップをおさえていたりする。それが日本企業の経営体質の改善を遅らせてる、というわけね。まずいところが生じても、それを指摘して改善させるような力が働かないじゃないか、ということだ。

 つまり所有と経営の分離は経営の実行と評価の分離でもある。経営者が何かまちがったことをしたときに、オーナー社長にだれかが「おそれながら」と進言するのはむずかしい。でも、株主なら、雇われ社長に対して言いたいことがいえる。必要なら、雇われ社長や重役どもをすげかえられる。長期的には、いろんなまちがいが発見されやすくなるし、それが是正される機会も増えるだろう、というわけ。

 さらに、所有者(つまり株主)が増えてくると、また別の意味が出てくる。そもそも会社っていうのは、分業によって効率をあげるための仕組みだ、という話は第二回あたりにしたよね。これはその一環だと思えばいい。会社でいちばんえらいのが株主だっていうのは、とりあえず事実だ。株主は経営に口出しできるのも事実。でも株主が何百人もいたら、いちいち経営方針を株主総会で多数決してられますかいな。会社の経営ってのは、毎日決めなきゃいけないことが山ほどある。所有者が増えれば増えるほど、そういう意志決定を所有者が直接やるのはむずかしくなってくる。つまり所有と経営が分離するのは、所有者である株主が、会社経営の細かい話をいちいち決めてらんないという現実的な利用のためだ。信用できるやつに、経営のすべてを任せよう。細かいことをごちゃごちゃ言わず、とりあえず任せてみよう。そしてそのできについては株価が評価指標になって、それが低迷するようなら、株主総会でその雇われ社長をクビにしよう。

 さらに、所有者がいっぱいいたとき、そこには利害の対立がある。ある株主だけが経営したら、その経営者はほかの株主を犠牲にして、自分のイキのかかった会社と取引をさせたりして、自分の利益だけのために会社をゆがめるかもしれない。そうならないために、株主全体に対して責任を持つ経営陣を雇おうじゃないか。つまり、社長や経営陣は、所有者・株主の代理人、エージェントとなってる。

 ただし。ここで問題が出てくる。社長は、経営をしてるから、会社のことはすみずみまで知っている(はず)。株主はそんなに細かくはわからない。株主は、ホントなら社長のやってることを日々チェックして、やべぇぞと思えば株を売る。どうしようもないと思えば、株主総会を招集する。でも、そのチェックのための情報は、かなり社長のさじ加減しだいで決まっちゃう。社長はうまくやれば、株主を犠牲にして自分の私腹をこやすようなまねが結構できちゃうのだ。

 するとわかるのは、所有と経営の分離といったとき、そのバランスが大事だ、ということだ。ある程度は信頼してまかせないと、そもそも分離した意味がない。でも、ある程度はチェックをかけてしばらないと、雇われ社長が何をするかわからない。どのくらいのバランスがいいのか? これについては、実はきちんとしたことは何も言えない。あるいはときどきやるのが、雇われ社長に、ある程度その会社の株を持てと命令することだ。そうすりゃその社長も株主で、自分の利益に反するようなまねはするまい、という発想だ。でも、これもやっぱり所有と経営を完全には分離しない方向性だよね。さっきいった、特定株主に組みしない公平なエージェント、という考え方とは向きがちがってくる。さて困った、どうしたもんか。でも、所有と経営の分離っていうのは、まあだいたいこんな話なんだ。

 じゃあちょっと応用だ。オンライン本屋のアマゾン・コムは知ってるだろう。株式は公開されていて、だからアマゾン・コムの社長ジェフ・ベゾスは創業者でもあるけれど、一種の雇われ社長でもある。さらにベゾスは会社の創業のお金を、自分のポケットマネーから出しているんだけれど、全部を出資にはしていない。かなりの部分を、自分からアマゾン・コムへの融資、という形で出している。つまりベゾスは、もちろん自社の株を持ってるオーナーだけれど、雇われ社長でもあり、そのうえ、自分の会社の債権者でもあるわけだ。いったい、ベゾスは何を考えているんだろうか。どうしてそんなことをするんだろう。

 本人にきいたわけじゃないけど、それはたぶんこういうことだろう。ベンチャー企業は、多くがつぶれる。もしアマゾン・コムがつぶれたら、どうなるだろう。もし全額出資にしていたら、ベゾスは自分の出した分をすべて取り戻せないだろう。でも、融資にしてあれば、ほかの債権者と同列に、アマゾンの資産を差し押さえられる。そのときに残ってるアマゾンの資産というと、いくつかの流通設備とソフトウェア特許か。それでも、ないよりはましだ。

 さて、こうしてつらつら見るに、なんかリーマンの話から離れちゃったな。でも、会社ってもんに勤めるなら、一応自分がどんな仕組みの中で動いているかを理解するのは大事だ。それともう一つ、会社は一応は株主(つまりオーナー)の利益のために動いているはずなんだけれど、でも雇われ社長にさらに雇われてるあなたが忠誠を尽くすべきは、その社長になる。会社の方針を見て「こんな株主の利益に反するようなことをやってけしからん」と社員として思う場合もあるだろう。でも、それは基本はあなたの知ったこっちゃない。リーマンであるあなたはあくまで、経営陣の手下だ。株主のエージェントである経営陣は、必ずしも株主の利益をきちんと代弁してはいない場合もある。でも、それを判断するのは株主たち自身だ。きみたちは社長の命じるままにこきつかわれればよろしい。そういうことになる。

 ただし。社員に株を持たせる話がある。ストック・オプションっていうのの名前くらいはきいたことがあるでしょう。あの手のやつだ。あれ以外にも、社員持ち株制とか、いろいろある。さらに、それ以外に働き手に働かせるための仕組みがある。そしてその中で、会社と雇い人(つまりリーマンたるきみね)の関係も実は一筋縄じゃいかない部分が多々あるのだ。特に日本の企業ではね。日本の企業は、実は株主優先じゃない、というような話をよく言う。そこでの労働者も会社を所有しているんだ、と。次回のお話は、たぶんそんなところかな。じゃね。

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