Valid XHTML 1.0! リーマンの、リーマンによる、リーマン(あるいはその予備軍)のための教養講座 連載第 1 回

日本のリーマンと企業の特色なんていう話から。

(『Z-Kan』2000 年 夏 創刊号)Z-Kan創刊号

山形浩生



 きみたちかんちがいをしてはいけないのである。

 世の中いまだと、いろんな新聞雑誌がネットベンチャー云々とあおる。これまでの企業はもうおしまいで、変革しない企業はもう滅びの道を歩むしかなくてうんぬん。一方ではもう新しい世代の起業家たちが、ネットビジネスで起業して、大企業とも対等にわたりあって3 年後にはIPOだ! という具合。ところでみんな、IPOってなんだかご存知? なんだか知らないがお金がもうかること、と思ってる人とか、株式の新規公開だというのは知っているけれど、そもそも株式をなんで公開するのか、というあたりがどうもわかってない人たちが多すぎる。IPOを目指して起業するなんて、倒錯もいいとこ。ここらへんの話もいずれしないとね。

 で、まあ世の中これからはそうなるんだ、とついつい思っちゃう人なんかも、いるかもしれない。あなたはちがっても、そういう人は結構いるんだ。なんとかもおだてりゃ木に登ると言うではないか。

 でもそこで、ぼくみたいな年寄りは遠い目をしてしまう。むかし、マイクロコンピュータがはじめて出てきたりしたときにも、そういう話はあった。何度も何度も、寄せてはひいてゆくベンチャーブーム。残るのはいつもほんのわずかな企業だけ。

 そして、力のあるベンチャーは別にブームじゃなくったって登場する。さらに、ベンチャーはどれも、えらくたいへんだ。きみに簡単なことは、他の人にも簡単だもの。ベンチャーの基本は何らかの新しい発想や技術なんだけれど、思いつきだけじゃ会社はできない。それをきちんと使えるモノやサービスにしたてて、さらにはそれを売り込んで、となると、もう本当に面倒で地道な世界になってくる。そして、その部分をやるには、たぶん一人じゃできないだろう。人を雇って自分のかわりに働いてもらって……

 だからそんなみんながみんな起業できるわけがない。一人起業すれば、そこで働く人がそれなりに出てくる。数的にはその「それなり」のほうが圧倒的に多い。そしてベンチャー企業に就職したって大企業に就職したって、勤め人は勤め人なのである。というわけで、きみたちの多くは、しょせんリーマンになるしかないのだ。サラリーマン。月給とり。

 とはいってもリーマンになるのは、悪いことではない。結構いいぞ。なんといっても給料が出る。働きが悪いとか、もっと営業しろとか怒られるけど、とりあえず上司にヘェヘェと頭を下げていると、まあしばらくはやりすごせる(場合もある。これを実践してなにかあっても責任はとらないから注意してね。そういう実際的な処世術は本コラムでは扱わないぞ)。

 そして世の中のかなりの数の人が、大なり小なり雇われリーマンであるということは、リーマンとしての自分をきちんと考えておくことで、日本や世界のいろんな現象が多少はわかりやすくなる、ということでもあるのだ。というわけでこれからこの連載では、ちょっとヒネたリーマンになるための、いろんな雑知識を小出しにしていこうと思う。たぶん目先の仕事をこなすには役にたたないだろう。でも自分の立場をもうちょっと大きな図の中で位置づける役くらいにはたつかな? というわけで今回は、そもそもの会社ってものと、その中のサラリーマンの役割について。

会社ってのもよくわからないのだ。

 企業ってものをちょっと考えると、これはとっても不思議だ。実際に勤め人であるぼくでも、よく考えるとわかんないところがたくさんある。

 たとえば、専務と常務という重役がいたりするけれど、これはなんかちがうんだろうか。よくテレビドラマで、社内に派閥があって専務派と常務派が云々、なんてのが出てくる。でも、ありゃいったいなんだ? 専務というとなんか特殊な分野に特化した専門なのかな? 常務っていうと、なんか常時設置されているのかな?

 でも実は、大したちがいはない。どうしてぼくがこういうことを考えるようになったかというと、学生の頃、一度バイトでどっかの会社の常務さんの英文名刺を作ってくれといわれて、すごく悩んだからだ。「うーん、常務って何する人なんですか」とぼくがたずねて、すると担当の人が「そういえばそうですねえ、とりあえず威張ることかなぁ、はっはっは」とのたまって、ぼくは頭をかかえて、結局何にしたのかはよく覚えてないや。そうやって考えていくと、どうも会社というのは、なんだかよくわからないものがたくさんいるわけだ。

 考えてみれば、会社というのは本来であれば二種類の人がいればいいだけのはずだ。つくる人と、売る人だ。いやもう一段いれて、開発する人、作る人、売る人、というあたりかな。これはモノだろうとサービスだろうと同じだ。店や、商社なんてところは、自分ではモノはつくらない場合が多いけれど、でもその場合は、何かを仕入れて売るやり方に特徴というか売りがある。だから上の区分に対応するものとすれば、新しい売り方やサービスを考える人、それを実際にやる人、そしてそれを売り込む人。だいたいこれでいいはずだ。ああ、あとはその他雑用係というのも当然いるだろう。経理の人とか、庶務の人とか総務の人とか。ところで庶務と総務がどうちがうのか、みんな知ってるかな?

 でもサラリーマンの多くは、そのどれとも言えない。モワモワっとしたところをやっている。モワモワッというのはつまり、たとえばそういう実際に動いている人を管理するとか、そういう部分でたくさんの人がやとわれている。そしてなんか、開発だけ、とか営業だけ、とかバシッとした切り分けがなかったりして、なんとなく中途半端なことをいろんな人がやっている。

 これは日本のサラリーマンの特徴だ。いろんなプロジェクトに入札したりするときには、経歴書を出すんだけれど、欧米連中の経歴書を見ると、経歴のそれぞれの段階で「水力発電の施工監理」とか、実にはっきりと自分の仕事や技能がきちんと決まってるみたいで、歯切れがよくてかっこいい。日本の経歴書を見ると、ぼくのもふくめて、あれもやりこれもやり、という感じであんまり歯切れがよくない。結局こいつは何ができるんだ、という感じになってしまう。で、日本人はジェネラリストはいるけど専門性が低いとか、グローバル時代には専門能力のある人間が云々、というような話がもっともらしくきこえてくる。

日本のリーマンの特徴

 でも日本の産業の強みというのは、まさにそのあまり高度に専門特化せずに、いろんな仕事をいろんな人がやって、みんな一通りいろんな仕事ができる(あるいは少なくともわかっている)というところにあった。専門特化が進めば進むほど、その専門領域の隙間でとりこぼされる部分が増えて、それがトラブルの原因になるんだ、というのが1980年代初期のアメリカ(たとえば自動車業界ね)が思い知らされたことだった。

 さて、それを考えたとき、これからは専門性、というような議論はどこまで有効なんだろうか。たぶん、ジェネラリストが多くて本当のたこつぼ専門家が少ないのは事実かもしれない。専門性、というのがもうちょっとはっきり言えるようになったほうがいいのかもしれない。でもそれはどういう形でやるべきだろう。バカみたいに形ばかりの資格だけ数をそろえたがる人もいるけれど、それではダメなはずだ。

 あともう一つ、日本の産業の強みと働く人、という話にからんで言うと、日本の社長さんというのが、どういう経歴を経て社長になったか、という研究がある。さっきの企業の基本を考えると、開発畑の人、作る現場の人、あるいは営業の人がトップになればいいだろう、という気がする。でも実際には人事方面からくる人が多いんだって。ある意味で、これは日本の企業の大きな特徴を示すものだと言われる。日本の製品やサービスは優れていると言うでしょう。だから日本の産業は競争力が高い、と。それは事実なんだけれど、じゃあなぜ製品やサービスが高品質で優れているのか? 実は、別にいろんなことを能率よくやる方法を見つけだしたから、ではないし、革命的な生産技術を持っていたからでもない。労務管理で労働者をコキつかって、安月給で(あるいはそれだから)残業や過労死するほどのきつい労働をさせて、いっしょうけんめいほとんど盆栽的に製品やサービスを仕上げるように仕向けていったからこそ、あれだけの高い品質が可能になっていったわけ。さて、自分はその中でどうしていきたいだろうか。リーマンになるなら、そういう自分の産業の中での位置づけまで考えてみたほうがいい。

ホワイトカラーの仕事の中身

 そしてもう一つ、具体的な作業としてホワイトカラーの人たちが何をやっているのか、というイメージはたぶん、実際に努めた人間でもないとわからないだろう。みんな、資料を作っているのだ。ホワイトカラーはみんな、基本的には日々資料を作っている。それは報告書だったり、精算書だったり、企画書だったり、会議資料だったり、日誌だったり、人事評価書だったりする。でも、基本的には全員、何らかの紙を作ってそれをまわしあっている。

 そしてさらには、人の作った資料をもとに、だれか別の人が自分の資料をつくる。そうやって積み重なる資料のピラミッドのてっぺんで、だれかが「意志決定」というやつをするのだ。「よし、コンピュータを買い換えよう」とか、「このプロジェクトに投資しよう」とか。会社の中でのいろんなプロセスというのはだれかがこの、ほんの一行ほどの腹を固めるための、壮大な情報濃縮プロセスだと言ってもいいくらい。

 あるいはその逆もある。何か実際に起こったあとで(それは事故でもいいし、ぼくの出張でもいいや)、それについてどんどん細かく紙をつくっていく。後々のために記録をひたすら残す。そういう作業。これはいわば、情報の拡散過程みたいなものだと言っていいかな。リーマンは、日常的にはそういう巨大な情報の濃縮と拡散の一プロセスとして存在している。これと、さっき言った、開発・生産・営業・その他の機能との関連で、自分がどこに位置しているのか、というようなことは考えてみるとおもしろいんだ。が、この話はまたこんどにしよう。じゃあね。

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