山形道場

連載第26 回
words 山形浩生(hiyori13@mailhost.net

今月の喝!

「最語」



 バロウズが死んで、いくつもいくつも追悼文だの総括文だのを書くうちに、だんだん話が見えてきた、と思う。彼は一生をかけて、自由と実験の人だった。無責任と無関心に裏打ちされていたものではあるけれど(これまでの追悼文で、ぼくはそこんとこを強調しすぎたかもしれない)、でもそれが偉大な一生であったことは誰にも否定できやしない。

 こないだ「ケイヴ」【*註】とかいう代物を見物にいったが、いやひどいもんだった。音楽的には十年以上前のTehilim(だっけな? あのジャケットの青いヤツよ)から一歩も進歩してない。あきれたね。バロウズに十年やったら、その間に何度コロコロ変わることか。彼にはそういう自由さがあった。よかれ悪しかれ。ライヒにはない。しかもそこで展開されるのがユダヤ・キリスト教ドグマのくどい押し売り。宗教がときにもつ、現世を突き抜けるようなパワーは皆無。創世記のアブラハムの話が、嫌になるほど繰り返される。その音楽に並行して弛緩しきったテレビが、いちばんつまらないやり方で流される。音楽にビデオつけるんなら、MTV観て勉強すりゃいいのに。映像の反復でも、EBNの爪の垢でも飲めといふのだ。

 こういうののおもしろさというのは、ある映像(と音)の断片が、別の文脈の中で別の意味を背負って出てくるところにある。バロウズのカットアップはそのための技術だった。文脈の中で固定された言葉やフレーズの可能性を解き放つ技法だ。元の意味はあんまり関係ない。雰囲気だけが重要。それは保存される。『ノヴァ急報』をごらん。その後の『おぼえていないときもある』でもあんなに有効に使われていた。懐かしいだけの文。無意味に緊迫した文。ところが「ケイヴ」は、意味を重ね塗りして強調するつもりで反復を使う。バカだね。退屈なだけなのに。

 さらにアブラハムの墓である洞窟がヘブロンにあって云々というドキュメンタリーもどきを入れて時事的なつもりになってる情けなさ。NHKスペシャルの方がましだよぉ。ダサい表現を「問題意識」で粉飾して擬装しようという卑しさ。こんなもんにブーイングもせず、拍手して甘やかす観客どもも絶望的だし、足早に立ち去ろうとすると、出口んとこに浅田彰が立ってて、大げさに拍手してるんだ。なんだい、あんたまでいっしょになって。

 かっこ悪いものはどんなご立派な主張があったってダメなのだ。少なくともこの分野では。逆に、中身がなくても、主張がなくても、かっこいいものはかっこいい。それだけに頼るのは難しいけれど、でも時に不可能ではない。バロウズの場合、結果的にそうなってしまっただけかもしれない。彼は表現したいことはあんまりなかった。だからこそ技法がどうしたという話に深入りできたのだ。でも、彼はヒッピーどもの社会改良運動や「社会参加」には常に批判的で冷笑的だった。そしてテクノロジー。バロウズはテクノロジーを否定するようなボケ方は一度もしなかった。もっとそれを徹底的に推し進めなきゃ、と語り続けてきた。一方「ユリイカ」のインタビューで、ライヒは「テクノロジーは実りがない」だの「ぼくはコンピュータを持っていて、とても罪深い」だの(じゃ使うなっつーの)、今さら陳腐なことを得意げに口走って、それで先鋭的なつもりでいる。二十年前に片づけてるべき話じゃん。バロウズは、テレビもテープレコーダもドラッグも印刷物もはさみも銃も、テクノロジーは率先して使い続け、実験を繰り返してきた。もう少し若ければコンピュータだってあっただろう(その精神は驚異のソフト「ドクターバロウズ」に脈々と受け継がれている)。テクノロジーは止められない。それを愚痴ってどうなる。彼はそれを知っていた。九五年のナイキのコマーシャルでは、手前に液晶テレビがあって、そこにバロウズが例のスーツに帽子姿で映っている。奥をナイキのシューズを履いた連中がピンぼけで走っていく。そしてバロウズ曰く「The purpose of technology is not to confuse the people、but to serve the people」(テクノロジーと申しますものは、ひとさまを惑わすためのものではございません。ひとさまのお役に立つためのものですな)。んでもって、ニカッとしつつ帽子を脱ぐ。うん、何はなくともこういうときのキメだけは、この爺さん絶対にはずさなかった。えらいヤツだったよ、あんたは。

「Nothing is true. Everything is permitted」(真実などない。なにもかも許されている)――バロウズの座右の銘のひとつだ。そしてバロウズは、これを生き抜いた。家庭にも仕事にもドラッグにも捕まらず、無責任に自由に、やりたい放題に時代の先端と戯れ続けた。ポジショニングと知性とセンスに、ちょっとした運さえあれば、それはわれわれにだって開かれている道かもしれない(それがいいかは別として)。作品と、そして生きざまとで実証したこの自由さゆえに、かれは今世紀の文学史上に確固たる位置を占め続ける。そしてそれゆえに、われわれもウィリアム・バロウズを忘れることはない。「どこでもおれの最語を聞け。どの世でもおれの最語をきけ」(『ノヴァ急報』)。今なおバロウズは語り続けている。



【*編集部注】
スティーヴ・ライヒ+ベリル・コロット「The Cave」。97年9月18日〜20日。



山形浩生:1964年生まれ。本業は地域開発関連調査と評価。翻訳と雑文書きでも有名。小説、経済、建築、ネットと、何でもござれの広く深い視野で知られる。




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