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各論賛成、総論反対:宮崎哲弥「正義の見方」の反動的立脚点

『ワイアード』1997年

山形浩生



 宮崎哲弥が本書で扱う夫婦別姓やオウムなんて、実はどうでもいい話だ。今のところは。夫婦別姓? すればぁ? オウムなんて、踊ったヤツがバカなんだから、皆殺しにすればいい。いい見せしめと余興になるだろう。そんだけの話。オウムの教義云々って、いちいち泡沫新興宗教の教義なんかチェックしてられますか、あほくさい。

 今の日本社会は豊かで退屈しているので、そういうものをさも大事っぽく取りざたするけれど、今のところ社会は大して揺らいじゃいない。こういう例外的な事象を退屈しのぎに、結構強固に存続している。今のところは。アメリカ社会すら、実はそんな壊れちゃいない。テレビ報道がマジョリティなんかではない。O. J. シンプソンの裏には、普通にパクられて普通に受刑する無数の黒人がいる。

 今のところは。

 にも関わらず、本書が重要かつ危険なのは、その基本的な立場のためである。この先27年くらいかけて生じる社会の変化について、かれはきわめて反動的かつ説得力のある立場をとっている。こうした論陣に対し、われわれは今から備える必用がある。

 宮崎は言う。「人間の実質倫理の基礎となるのは、家屋や近隣関係、地域コミュニティ、ギルドのような職能集団などの自然発生的な共同体であると確信している」と。

 そんなこと確信したくもない。どこが「自然発生的」なんだか。ぼくは基本的に、人間のものをつくる能力だけを信じている。家族もギルドも、都市や電車やサンマ定食をつくる手段でしかない。機能しなければ、さっさと解散すればいい。現に解散しつつある。今はそういう時代だ。

 たとえば Linux GNU やシェアウェアなど、血縁や地縁ぬきで金も労働も提供される。そういうものづくりの新システムがもっと真剣にテストされなくては。スターリングが『ネットの中の島々』で描いたライゾーム社のような社会経済システムをマジに考えなくては。今はそういう時期なのだ。

 それが今さら家族やコミュニティ? 倫理やアイデンティティのねつ造用にそんなものを人工的に維持したって、無理がかさんでつらいだけ。だいたいそれが維持できりゃ苦労しない。家族とか地縁・血縁共同体がうっとうしくて嫌だから、みんな都市に移住する。だから都市人口比率が上がり続けてるのだ。かつては農村部で、家族や地縁による労働力の確保が必用だったが、農業の生産力が上昇し、そんなものの維持存在理由はもはやない。そこへ家族やコミュニティ重視? これが反動的でなくて何か。

 にもかかわらず本書の正統的で骨太な論理展開はうなずけるし、結論も常識のおさえがきき、冷静で一般性がある。その反動性ゆえに、支持層(ex. 西部邁)は確実に増加する。だから危険だ。共通点や学ぶべきことも多い。次のステップまでは協力体制もとれよう(だからすぐに潰してはダメ)。だが、そのさらにもう一つ先に進む段階で、かれは倒さなくてはならない。手強い相手となる。その日にそなえ、今から本書を読み込むべし。10年先のための課題図書である。

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