Voice 2012/6号 連載 回

途上国発のイノベーションは道半ば

(『Voice』2012 年 6月 pp.38-9)

山形浩生

要約: 途上国発のイノベーションとして期待していたタタ自動車のナノは、イマイチ人気が出ていないそうな。やすさを前面に出しすぎて、かえって貧乏くさいと敬遠されたとか。まだまだ試行錯誤は必要らしい。



久しぶりにインドのチェンナイにやってきている。ごちゃごちゃしたあのインド特有の街の感じは相変わらずだし、経済発展にもかかわらず各種の規制もあってあまり高層ビルが乱立するような状態には残念ながらなっていない。それでも、急激に進むメトロ整備の工事などで街の景観にかなりの変化も見られているし、それもあって渋滞はかつてより結構ひどくなっている印象ではある。

 さて、このコラムでも数年前に、インドのタタ自動車が鳴り物入りで売り出した、ナノについて書いたことがある。発展途上国から出てくるイノベーションの一例として取り上げたものだ。十万ルピー、ざっと二十万円ほどで買える自動車ということで、かなり話題にはなったし、当初は注文が殺到して一般販売開始のときには抽選になったりもしていた。当初の期待は、インドの新興中所得層が一気にこれにとびついて、インドの自動車保有率は爆発的に上がる、というもので、それを肯定的にとらえる人も、また石油消費や環境負荷を懸念する人も各種登場した。

 が、その後数年たったいま、確かにあちこちでナノを見かけはするものの、決して極度に多いわけではない。むろん、まだ本格販売が始まってから一、二年だということはあるのだろうが、それでも発表当時に予想/懸念されていたような普及ぶりではない。

 なんでもナノは、一時思われたほど売れていないという。理由はいろいろあって、まず当初の生産に関わるトラブルのため、なかなか実物が出てこなかった。当初予定していた工場が、周辺住民の反対のために実現せず、結局工場の移転を余儀なくされた。それが大きな遅れとなった。

 さらにその後もたつくうちに、工場の移転費用や原材料費の上昇などの要因で、結局は十万ルピーではすまず、その倍くらいに値段が上がってしまった。当初の魅力は半減。

 そしてその間に、他社も小型低価格車をかなり投入してきた。十万ルピーとはいかないにしても、いまのナノの価格でならちょっと高いくらいだから、十分に選択肢に入ってくる。

 さらにもう一つ、何とも皮肉な話ではなるのだけれど、安い車というのを強調しすぎたせいで、ナノには貧乏人の車だというイメージがつきまとうようになり、かえって敬遠されているのだという。上昇志向のあるインド人としては、今の値段でナノを買うくらいなら、あと一踏ん張りして他社の安い自動車を買ったほうが、ご近所へにも多少の見栄を張れる。

 そんなわけで、幸か不幸か、ナノ自体はそんなに出ていない。正直いって、当初の計画どおりに製造販売が進んでいたら、話題性もあったしもっと地位を確立できていたと思うんだが……

 実は昔、そのナノを誉めた記事で、こうした途上国発のイノベーションとしてもう一つ挙げたのはネットブックだった。台湾を中心とした、性能は抑えつつもメールとウェブブラウジングは楽にこなせる、廉価版ラップトップだった。これは一時は話題になったし、安かったのでそこそこ売れた。

 が、これも似たような状況だ。生産の遅れこそないものの、だんだん性能と値段はじわじわ上がり、一方でラップトップの値段もどんどん下がってきて、だんだん製品カテゴリーが不明確になった。また安さで勝負したネットブックは、どうしても安っぽいイメージは振り払えなかった。

 そして同時に、下からはスマートフォンが追い上げてきた。ウェブブラジングにメールならそれで十分だし、それ以外の面でもスマートフォンのほうがはるかに便利だ。そんなわけで、いまやネットブックは話題にもならず、ジャンルとしてもほぼ死んだと思っていいだろう。

 結局、どちらの製品もぼくが期待したほどの伸びは見せていない。これは技術や製品の成功を見極めるのはむずかしいという話ではある。とはいえ、これは途上国発のイノベーションがダメということではない。いずれの製品も影響力はあったとは思う。ナノが刺激になって多くの自動車企業がずっと低価格の小型車に注目するようになったし、ネットブックもラップトップの低価格化をかなり後押しはした。その意味で、途上国発のイノベーションは徐々に影響力は持つようになっている。あとは決定的なシンボルとなるヒット商品が出てくれれば……


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YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>
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