Voice 2012/5号 連載 回

ジャスミン動乱の一年後

(『Voice』2012 年 5月 pp.42-3)

山形浩生

要約: ジャスミン動乱から一年後、矢崎総業がチュニジアから撤退。雇用も経済もそんなぜいたくを言える状況ではないはずだが? 一年経ってそろそろおちついてその後を考えるようになったかと思ったがそうでもないようだ。結局、あの動乱は地域のためになったといえるんだろうか。



 いささか旧聞になるけれど、この一月に矢崎総業がチュニジアの工場を閉めるたというニュースが入ってきた。

 日本ではその後、地震が起こったためにそれ以前の話はずいぶん昔のように思えるけれど、世界がジャスミン動乱に揺れたのはわずか一年ちょっと前、ごく最近のことだ。

 でもその後、どの国も落ち着かない。エジプトは選挙は行われたものの、軍の動きもよくわからないし、どういうまとまり方をするのか未だに不明だ。シリアは流血沙汰が続いていて、じわじわと事態が悪化しつつあり、このまま内戦状態で膠着しそうな感じだ。リビアはカダフィが更迭・殺害されてから、何が起きているのか見るのも恐ろしいほどだが、どのみちあまりニュースも流れてこない。でもきれいに国としてまとまるとは、とても思えない。

 その中で、チュニジアは比較的落ち着いている印象だった。最初の頃はあれこれもめたけれど、一応政府らしきものはできたし、選挙もやったし、はやめの時期に動乱以前の経済的な水準に戻ってくれるんじゃないかという期待もあった。動乱以前は外国からの投資もそれなりに増えていたし、あとは状況さえ安定すれば回復のめどもついて、民主化後のアラブ圏の方向性を示してくれるような期待もあったんだが……

 さて、この矢崎総業というのは自動車のワイアーハーネスの大手メーカーだ。いまや自動車の中には、無数の電線が走っている。実際の組み立て時に、それらを一本一本配線するなんてあり得ない。あらかじめ、適切な長さの電線をすべてコネクタつきでまとめて束ねておくのだ。

 これを作るのは、規格の違う電線をぐねぐね並べて束ねる作業で、機械化にも限度があるので人海戦術がものを言うし、人件費がきわめて重要だ。同時にあまり丸めたりもできないので、そこそこかさばるからあまり輸送費もかけたくない。だから欧州向けの車用は、これまで東欧などで生産する例が多かったのだけれど、東欧も(リーマンショックで後退したが)賃金は急上昇。そこでワイアーハーネス関連の各社は、アフリカ北部に進出を進めていたのだ。矢崎はその筆頭だった。

 さらに、矢崎総業はチュニジアの中でも、ちょっと変わったところに工場を出していた。中国と同じで、チュニジアも沿岸部と内陸部の格差に悩んでいて、内陸部に雇用を創出してくれる企業に対してはいろんな優遇策を約束していたのだ。ぼくがチュニジアを最後に訪れたのは二〇〇八年頃で、ちょうと矢崎が進出した直後。投資誘致の担当者は、いかにそれをありがたく思っているか力説していた。ぼくも、内陸部に大量の雇用機会を作った矢崎は、かなり地元に感謝されているはずだと思っていたんだが……

 かれらが撤退したのは、ストが多発しすぎて仕事にならないからだ、とのこと。うーん。

 むろん、ストをするのは労働者の権利ではある。ジャスミン動乱をきっかけとして、国民がもっと声高に各種の要求を打ち出していこうと思っただろうということもわからなくはない。でも一方で、デモして要求すればなんでも得られるわけではないのは当然のこと。さらにそれで企業が撤退してしまえば、元も子もない。職は激減する。そもそもジャスミン動乱のきっかけは、若者の職がないことだったはず。そして、内陸部はそんなにぜいたくが言えるような労働市場の状況ではないはずなんだが。

 動乱がピークを迎え、チュニジアとエジプトの長期独裁政権が倒れたときにも、こういう状況になるんじゃないかという不安はあった。でも当時、それを指摘したら、崇高なる民主化と蜂起する人民の意志にケチをつけるとは何事であるか、と石を投げられたし、また民主化の理念の前にあっては経済の後退や貧困や失業など問題ではなく、人民たちは喜んでそれを受け容れるであろう、などというコメントももらった。でも、こうして実際に工場が撤退しはじめると、そうそう悠長なことも言っていられないだろうと思うんだが。

 もちろんこれが単なる個別事例なのか、一般性を持つ事例かは統計が出るまで待つしかない。でもそろそろジャスミン動乱が結果的によかったのか、きちんと評価すべき頃にきているんじゃないか。


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YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>
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