Voice 2012/1号 連載 回

オウム真理教の「なぜ」を問うなかれ。

(『Voice』2012 年 1月 pp.42-3)

山形浩生

要約: オウムのサリン事件実行犯の刑事裁判が完了したが、「なぜ」が明らかにされなかったという。でもなぜを考えても仕方ないのではないか。確率的にあらわれる変な連中ということで、カルトだから特別扱いせず単なるテロと考えるべきじゃないか?



 サリン実行犯のオウム真理教がらみの刑事裁判が実質的に完了した。別にそれで何かが達成されたわけではない。報道を見ると、サリン事件の遺族たちもいま一つカタルシスを感じることができず、「『なぜ』が解明されなかった」と不満顔だった、とのこと。

 遺族たちが本当にそう語ったのか、ぼくは少し怪しいと思っているが、それは考えないことにしよう。でも、その人は「なぜ」という問いにどんな答を期待しているのだろうか。親玉の松本が異様な妄想を抱くようになったきっかけが知りたいのか、それともなぜその荒唐無稽な妄想に、頭のよいはずだった人々がとらわれてしまうのかを知りたいのか。

 むろん、ぼくにだってそうしたことを知りたい気持ちはある。ぼく個人にとっても、オウム真理教は衝撃だった。上祐史浩は大学時代に顔見知りだったし、それがこんな異様な事件を起こす教団に深入りしていたとは、とうてい信じがたかった。なぜ、と言いたい気持ちはわからないでもない。

 が、それがわかるわけもない、とも思うのだ。そもそも裁判というのは、テレビドラマや名探偵コナンのような謎解き大会ではないのだし、それ以前に、そもそもそこにこれという理由はないと思うからだ。

 まず、それは教義ではない。かつて宮崎哲弥は、オウムの教義を見れば、そこに後の危険な方向性が明らかに見て取れる、と述べていた。オウム真理教の教義がかれらを変な道に導いたのだ、というわけだ。でも、ぼくはそんなことはあり得ないと思う。アルカイダを筆頭に、テロに走る宗教組織はいくつかある。でもアルカイダの思想的支柱とされる「道しるべ」を読んでも、決して悪いことは書いていない。逆に明らかに変で過激な宗教書を見ても、その教団が口先以上の行動に出るとは限らない(出ない場合のほうがむろん圧倒的に多い)。

 オウム真理教に対しては、宗教学者の島田裕巳や中沢新一が肯定的な発言をして、その普及を許したという批判もある。むろん、それがかれらの宗教観の浅はかさを露呈したというそしりは免れ得ないだろう。そもそも教義や宗教性以前の問題として、水中クンバカだの空中浮遊だの、オウム真理教が信者集めに使っていたインチキ曲芸から、そのいかがわしさは認識できたはずだとは思う。

 でもそれを越えて、かれらがオウムの危険性を認識できなかったことを責めるのは間違っている。連中が自動小銃を集めたり毒ガスを作ったりしていたことまで、教義やサティアンの観光ツアーだけから見抜けというのは無理な話だ。宗教学者はテロ捜査官ではないんだから。

 さらにぼくはこのオウム事件でも、宗教は単なるきっかけにすぎないと思うし、それがオウムである必要はなかったはずだ。あらゆる宗教は、何らかのエリート意識を伴う。真の神様や救いへの道を知っているのは自分たちだけで、それ以外の人は苦しまざるを得ないというのがあらゆる宗教教団の基本なのだから。それがサティアンの共同生活で強化された面はあるのだろうけれど……

 そしてその背後には、名ルポ『倒壊する巨塔』に描かれたアルカイダ参加者たちのような、ゆがんだエリート意識とその裏返したる世間への不満と逆恨みがあったんだろう。それを活性化させるのに、たまたまオウム真理教とその教祖が高いシンクロ率を保っていただけなのかもしれない。いや、それが宗教である必然性ですらなかったのかもしれない。たまたま、暴走しやすい気質の人々が、そうした自分たちの優位性と特殊性を強調するオウムに集ってしまった――それだけの話なんじゃないだろうか。

 だとすると、残念ながら第二、第三のオウム事件を直接的に防ぐ方法はほとんどない、ということになる。どれだけ「なぜ」を解明しようとしても。そしていまオウムの残党教団に人が集まっていることを懸念し、オウム事件を風化させるな、と主張する人々も多い。それに異論はない一方で、おそらくそれはオウム的な事件の再発にはさして貢献しないだろう、ということだ。

 もちろん、あからさまに破壊活動を公言するような団体に注意することは必要ではある。が、むしろ「なぜ」と問うのをやめ、何か特別なものがあると考えるのをやめて、単に数あるテロ事件の一つとして扱うことこそが、いちばんの再発防止の手段なのではないか、とぼくは思うのだが。

付記:これを書いた直後、大田『オウム真理教の精神史』を読んで、完全とはいえないにしても、「なぜ」が曲がりなりにも説明されていることに驚愕した。その意味で、ここに書いたことは今では少し考えが変わっている。でも、その大田の知見をもってしても、事前にオウム事件を検知できたかというと話は別。その意味で、完全には否定されるものではないと思う。


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