Voice 2011/12号 連載 回

型やマニュアル対応の限界と日本の問題

(『Voice』2011 年 12月 pp.40-1)

山形浩生

要約: 形だけ覚えるとかマニュアルだけで対応とかいうのは、ざっと広めるにはいいが、それ以外の部分についての対応力を大きく引き下げる。背景をきちんと説明できないと。これは日本のノウハウが広まりにくい理由だし、震災原発対応での問題点でもあった。



 仕事柄(というのはこの文筆業ではなく、本業の途上国開発援助)、途上国に進出した日本企業の人々と話をする機会が多い。日本はもはや市場としての魅力を失っており(それが日銀と政府の金融財政政策のせいだ、という話はここでは繰り返さない)、日本企業としても外国に出るしか生き残りの道はない。途上国側としても、自国の技術基盤拡充のために日本企業にはきてほしいし、また日本の技術者たちによる技術指導も熱望している。

 というわけで魚心あれば水心、ニーズとシーズが見事にマッチして大成功……となるはずが、なかなかそうはいかない。なかなかきちんと技術が伝わらず、けんかわかれしてしまうこともある。理由はいろいろあって、技術の種類が微妙に不一致とか報酬の問題とかあれやこれや。でも、それ以上に大きな問題がよく持ち上がる。

 日本の技術者は、しばしば自分の技術を説明できないのだ。

 といっても、言語の問題じゃない。いやもちろん、日本の古参技術者の多くは英語すらろくにしゃべれないので、それが障害となるケースもある。でも言葉は何とかなる。塗装はこんな具合にやるんだ、というのは説明できるし、ここの切削はこんな具合に、なんてのもやってみせればわかる。でも、「なぜそうするんですか」と聞かれると、とにかくそういうもんなんだとか、理屈じゃないから体で覚えろとか、先代からそう教わったんだとか、四の五の言うなとか。すると多くの場合に相手は、鈴木さんはきちんと教える気がない、こっちをバカにしている、と思って関係は修復不可能になる。

 別に、そのやり方がまちがっているわけじゃない。それどころか、いろいろやってみるうちに、「ああ鈴木さんのあのやり方のほうが確かにいいんだね」となることはしばしばある。そして時には、敢えて説明せずに生徒に自分で考えさせるというやり方はあるだろう。でもそうじゃない場合のほうがずっと多い。当人自身、知らないのだ。技術者自身も、なぜそれがいいのかわかっていない。だれかの作ったマニュアル通り、習った通りのことを繰り返していただけ。他のやり方を試したこともなかったりする。

 さらに困ったことに、日本はそういうのを頑固な職人気質とか言って、かえってありがたがったりする。昔ながらのやり方を守っています、なんてのが売りになる。その昔ながらのやり方のどこがいいのか説明できなくても。それが「伝統」だとか言って。無駄な時間をかけることを「心をこめた」と弁解したりして。そしてそれを疑問視すると「わかる人だけわかればいい」とうそぶく。

 これは日本の習い事の多くにもいえる。とにかく型を覚えればいい。なんかわかんなくても、それを黙ってまねすればいい。なぜ左手を上にするんですか、なんてことを聞いちゃいけない。だれかが作ったマニュアルをとにかく形だけ習得すればいい。伝統を大事にする、といえば聞こえはいい。でも実はそれは、あの忌み嫌われる「先例主義」の言い換えでもあるのだ。

 そのやり方には、確かにメリットはある。ある水準を急速に広めるには有効だ。バカでもできるし、質もそろう。でも当然ながら、発展もないし、また環境変化への対応もない。そしてもちろん、そういうスタイルの学習を盲目的に受け入れない人――それはむしろ、ものをきちんと考えようとする、意欲と能力のある人だったりする――は排除されかねない。

 そういうのを見るたび、ぼくは大変残念に思う。技術や手法が伝達されないだけじゃない。その伝統や昔ながらのやり方の中にある本質や重要な部分が磨かれることもなく、クソもミソもいっしょの温存で他のどうでもいいものとごっちゃになり、いっしょに腐っていくのだもの。

 蛇足だが、ぼくはこれがかつて世界を驚愕させた日本の多くの長所が機能しなくなった一つの背景だと思っている。震災後に露呈した日本のいろんな仕組みの機能不全もそうだ。当初は、その時代環境ではそこそこうまく動くマニュアルをだれかが作った。でもそれだけを何も考えず形だけ守っていればいいという人々にそれが引き継がれ、そして環境が変わったり非常時が起こったりしたときに、まったく対応ができなくなってしまうのだ。

 なのい、そうした不手際の調査としてしばしば行われるのは、そういう事態を想定したマニュアルがあったかどうか、という話だ。ないと、なんで想定してなかたと叩かれる。そして出てくる対策も、非常時に備えてまたもやマニュアルを作れ、という話になる。でもぼくはちがうんじゃないかと思っているのだ。それができるなら結構。すべての事態ごとにマニュアルを用意するわけにはいかない。マニュアルなしでの対応をどう担保するか、それこそがいろんな面で重要になるんじゃないか。


前号へ 次号へ  『Voice』インデックス YAMAGATA Hirooトップに戻る


YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>
Valid XHTML 1.1!クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
このworkは、クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
の下でライセンスされています。