Voice 2011/5号 連載 回

地震、原発関連の報道とチェック体制

(『Voice』2011 年 5月 pp.46-7)

山形浩生

要約: 地震と原発関連の話は、日本の保安体勢や各種チェック体制のダメさ加減、マスコミの機能不全を見せつけた。だがそのチェック体制をどうすればいいのかはわからない。プロ市民のイヤイヤ園の揚げ足取りにはせず、知識をもった建設的な批判が可能な体制は日本の規模だと無理なのか。



 いまは地震発生から二週間。ようやく被災地の状況も多少は落ち着いてきた。福島原発の事故は未だ現在進行形だし、まだまだ何か待ち構えているかはまったくわからないとはいえ、少しずつ収まってきた。本稿が掲載される頃には、事態はずっとよくなっているだろうと信じたい。

 さて今回の特に原発事故であらわになったのは、政府および関係機関の危機対応や情報提供の信じがたいほどのまずさだった。これは、読者の多くが実感として感じていることだろう。

 特に事故が起こった当初、公式発表は「とにかく安全だから、でも近くの人は避難して」というだけのわけがわからないものだった。なぜ安全と判断できるのか、何が起きているのか、ほとんど説明はなく、当然多くの人は疑心暗鬼に陥った。その後も散発的にデータは出てもその意味はろくに説明されず、そしてだれもが絶望に陥った原子炉外構の水素爆発の際には、説明もないどころか政府首脳ですらろくに報告されていないこともあらわになった。

 その後事故が深刻化するに伴い、多くの人が何より知りたかったのは、もし最悪中の最悪の事態が起きた場合にはどこまで被害が及ぶのか、ということだった。そして事態はどう動いているのか、ある程度筋の通った状況説明と見通しだった。

 が、それがまったく提供されなかったのもご存じの通り。

 それを補ったのは、東大の早野龍五教授などのツイッター上での説明、そしてイギリス大使館が行った科学顧問による会見などだった。これを通じて人々は初めて状況が把握できて落ち着いたし、また想定被害の最大限やその根拠についてもまとまった説明が得られて大いに安心できた。

 こうした英大使館文書や早野教授のような情報提供は、本来政府や東電がきちんとやるべきだった。そう思う一方で、かれらの信頼性はそれが政府や東電でない第三者だからこそ担保されていた部分もある。

 こうしたネット上の有益な情報提供については、すでに多くの人が正しく指摘している。でもぼくがもう一つ気になったのは、この第三者的な情報の提供者だ。原発の場合、本来ならときどき会見に出てくる保安院だの、ほとんど見かけない安全委員会だのこそ、政府の関係機関とはいえ、ある程度の中立性と知見を持った第三者機関に準ずるもののはずだ。中立的な立場で、利潤を追求したがる電力会社の尻をたたいてコストのかかる安全対策を強制し、総合的な知見から政府の規制の恣意性を防ぐ、というのが本来の建前であるはずだ。

 が、今回の一件でかれらが政府や東電と別の独自データや分析を出すことはほとんどなかったように見える。ちなみに放射線の分布予測などを行う原子力安全技術センターのSPEEDIというシステムも、放射線拡散についての試算結果はほとんど公開されていない。

 むろんデータ自体の制約はある。だが非公開の弁明に使われたせりふも予想できる。数字が一人歩きする。足並みをそろえる必要がある、不確実なものは出せない――ぼくも多くの場面で何度このせりふを聞いたことか。基本は責任逃れだ。そして結果として情報が何も出ないことでかえって不安と不信は広がった。

 ちなみに、前出の英国大使館の科学顧問は東京でも安全だと述べ、その一方で英国外務省は避難勧告を出した。足並みは揃っていない。でも全員が同じ提言をする必要はない。同じ材料をもとにしても、立場がちがえば提言もちがうのは当然だ。いやむしろ、ばらつきがあることがそれぞれの独立性を示す安心材料だ。

 そうした有益なばらつきは、日本にはなかった。あくまで横並びの大本営公式発表。原子力関連の公的機関がちゃんと仕事をしていたと思う人も、今の日本にはいないだろう。業界のお手盛り機関として提灯持ちと化し、本来の機能は果たせていなかったのは明らかだ。

 本当は、こうした外部の監査が活躍すべき場面は多い。医薬品や環境問題など多くの規制で、そうした機関が機能してくれると助かる。そのためには、政府や業界とは独立だが実力の拮抗したグループがいる。でも往々にしてそんなものはない。形式だけ作った外部機関は業界と政府、そして時に学界のなれ合いですぐに機能を失う。

 でも完全に独立の第三者機関が日本でうまく機能するかといえば、これまた疑問だ。各地の行政オンブズマンなどの制度があるが、無知なキXXイ市民活動家のいやいや園と化しているケースも多い。建設的な批判という概念自体が、日本ではなかなか理解されなかったりする。

 実は日本の政党もそうだ。ぼくたちは、民主党が自民党にかわる政府担当能力を持つ集団になれると思っていたが、その見通しがいかに甘かったかは、今なお日々思い知らされ続けている。これは国民性のためなのか、あるいは日本の人口規模だと、重要な分野で実力の拮抗した相互チェックのできる組織を複数作るのは困難なのか。


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