Voice 2011/4号 連載 回

北アフリカ動乱:自由なき繁栄か自由な貧困か

(『Voice』2011 年 4月 pp.46-7)

山形浩生

要約: チュニジア、エジプトの動乱は、自由を求めてとか反米とか汚職に怒ってとかいろいろあとづけの理由はあるが、そうした問題がいま噴出した理由はまったくわからない。そして「繁栄より自由を!」というスローガンは、本当に貧しくなりはじめたら有効なのかは疑問。



 前回とりあげたチュニジアの動乱は、その後すぐにエジプトに飛び火して、ムバラク大統領の国外脱出と辞職につながったことは、読者諸賢はすでにご承知だろう。そしてこちらも、チュニジアの場合と同様に、なぜ人々がいきなり動乱を起こしたのかについては原因がはっきりしない。ムバラク大統領の圧政に人々がうんざりした、というのが通例の説明だが、チュニジアの場合と同様 別にそれがいま起きるべき理由はなさそうだ。

 前回も書いたが、ツイッターやフェイスブックのおかげ、という説もある。でもこれらは単に伝達のツールで、人々がそれを使ってあれこれ画策する原因とはいえない。ウィキリークスが大統領たちの汚職や蓄財の実態を報道したからだという説明もあったが、その程度のことを現地の人々が知らなかったとは思えない。またネット上のブログでは、チュニジアもエジプトも国民が親米的な政権に嫌気がさしたなどという説明もあったけれど、でもその後、民主化デモは反米的なスーダンやリビアでも起きたし、それ以前も反米の頂点みたいなイランで起きていることを考えると、説得力のある説明とは思えない。

 結局、六〇年代に学生運動が世界中に広がり、七〇年代に南米諸国でデモが相次いだように、何か社会変革運動が同時多発的に起こる時期があるとしか言いようがないのかもしれない。

 が、個人的には大学生が増えたのにそれに対応する職がないことからくる不満と、そして経済成長の恩恵をすぐに享受できない貧困層の不満との合わせ技ではないかと思っている。そしてもしそうなら、こうしたデモによる社会的な不安は、かえって社会を貧しくしてかれらの不満を増大させる可能性さえあると思っている。

 ……というような話をツイッターでしていたところ、「人々は経済成長よりも自由を重視するのだ、お金で幸せは買えない」といった主張がきかれた。それで興味をもって少し調べて見た、というのが今回の本題なのだ。

 お金で幸せは買えない、人の所得が上がっても幸せは上がらないという主張はよくきかれる。そして、それを裏付ける調査結果もあると言われる。所得が上がってくれば、幸福度を増やすために必要な金額も増え、どこかでそれは横ばいになると言われる。また豊かな国が幸せとは限らないとも言われる。

 だが、そういうことを口走る人の多くは、実はすでに生活の苦労のない十分に豊かな人だったりする。あるいは、自分が金持ちになれないやっかみで言っているだけに見える場合もある。この手の話ではよくブータンが引き合いに出される。王さまが、「うちは国民総生産ではなく国民総幸福を目指す」と宣言し、伝統的な生活が強制されて貧困で医療も劣悪だが人々は幸せ、というお話だ。

 でも、そのブータンでも特に若者は、豊かさを夢見ているそうだ。そして実際にいろいろな調査を見てみると、同じ国の中では豊かな人々のほうが幸福度が高いことは昔から知られている。さらに国同士を比べても、所得の高い国のほうが平均的な幸福度は高いことがハーバード大学の経済学者たちによって統計的に示されているのだ。幸福だけじゃない。この論文を見ると、所得が高い方が怒りや不安や絶望や暴力なども低くなる。生活のよい面は改善し、悪い面は下がる。

 さて、ぼくは仕事で途上国にいくことが多い。そしてそこの人々を見ると、所得と幸福は関係ないという説にもよろめきたくなる。かれらが特にぼくたちより不幸には思えない。そして生活に悪い部分があればこそ、よい面をもっと深く享受しているようにも思えることもある。でも実際はどうなんだろう。そして日本での所得低下に伴う弊害を見ると、ぼくはこの研究に説得力を感じるのだ。

 これはもちろん、人々にお金をあげれば自動的に幸せになる、ということではない。所得の高い仕事は満足度や達成感の高いものが多く、人々は幸せに感じやすいというだけなのかもしれない。国としての所得が上がるような施策は、税収を上げて、人の幸福度に貢献するような公共サービスを提供しやすくするということなのかもしれない。

 また、「幸福」というものの中身もはっきりしない。「幸福」というのと「人生の満足度」というのと「厚生」「福祉」というのとでは(そしてその計測方法次第で)結果は全然ちがってくる。人生に満足しているのに幸せではない状態ってなんだろう、と考えるのは、ずいぶん楽しい哲学談義だ。

 が、こんなことを始めるきっかけになったアラブ諸国はどうなるだろうか。これを書いている時点では、エジプトも諸国も大統領が消えただけで、その後の方向はまったく見えない。来年の今頃、どの国もいまより自由かつ豊かになっていてくれれば何よりではあるのだが……


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YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>
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