Voice 2009/10号 連載 回

ネット上の規制と検閲

(『Voice』2009 年 10 月 pp.132-3)

山形浩生

要約: キンドル版の一九八四年が勝手に削除されたり、初音ミクの開発元が、それを使った歌にまで文句をつけてそれが通ってしまったり、デジタルコンテンツは規制がないことが問題ではなく、恣意的な管理が自由にできてしまう、規制できすぎることが問題なのだというレッシグの主張を実証するような出来事が多い。



 インターネットの発達で、紙の本や雑誌は滅びる——そう言われてから何年たつだろう。そしてそろろろ事態が動き始めたかと思われるふしがある。まずグーグルが世界的にすさまじい量の書籍の電子化に乗り出した。コンテンツはこれでかなりの蓄積ができた。またリーダー機器の面では、日本では未発売だがアマゾン・コムがキンドルという電子ブックリーダーを発表し、一定の成功を収めている。流通も、アマゾンの電子ブック販売や、アップルのiTunesストアなどが手法をほぼ確立しつつある。

 だがその過程で、電子メディア特有の問題も次第にあらわになりつつあるようだ。それを示す事件が最近立て続けに起きている。

 アマゾン・コムのキンドル用に、オーウェル「一九八四年」「動物農場」の電子ブックを買った人は、六月に驚愕した。版元に問題があったから、としてこれらの本が手元のキンドルから勝手に消し去られていたのだった。いったん買った本や雑誌やソフトが、自分の本棚やパソコンから勝手に消し去られるなんて、これまでは物理的にもあり得ない! アマゾンは、この対応について平身低頭し、二度とやらないと宣言した。が、そもそもそんなことができるということ自体に多くの人が戦慄した。そしてその舞台がまさにそうした情報統制社会の恐怖を描いた「一九八四年」だったとは、なんたる運命の皮肉か。

 一方アップルは、オンラインのiTunesストアで販売されるiPhone/iPod用のソフトの健全性に、たいへん神経を使っている。わいせつ語が入っているソフトは、軒並みアダルト指定を受ける。先日、なんと普通の英語辞書がこれを理由に改変を要求され、ストアへの出店を拒否された。アップルは対応のまずさを認めたものの、方針には今のところ変化はない。

 我が国では、動画投稿サイトニコニコ動画が同様の問題を示した。酒井ノリピーの昨今の騒動を受けて、彼女の替え歌を歌唱ソフト『初音ミク』に歌わせた動画が投稿された。ところがなんとその歌唱ソフトのメーカーであるクリプトン・フューチャー・メディアが、そんなことに使われたら自社ソフトのイメージダウンだ、と称して削除を要求したのだ。

 当然ながらかれらはそのコンテンツについて何の権利も持っていない。が、信じられないことに、ニコニコ動画を運営しているニワンゴは、この無根拠な抗議にあっさり応じて、問題の動画を削除してしまった!

 ニワンゴの経営陣でもある西村博之がこの対応に疑問を述べ、その後同社は、問題の動画を復活させた——投稿者に対する自主検閲を促すコメントつきで。

 ネットは著作権無視の違法コピーが横行する面ばかり取りざたされることが多い。でも実はデジタルコンテンツの真の問題は、コントロールができすぎてしまうことなのだ。今回とりあげたケースが、すべて如実に示しているように。これはネット法学の第一人者ローレンス・レッシグの十年前からの主張だが、それが急激に現実味を持ち始めている。紙媒体では物理的にできなかったことが、デジタル媒体では平気でできてしまう。そのとき、いま当然と思われている権利や自由があっさり破壊されかねないのだ。

 いま多くの日本のコンテンツ運営業者は、抗議があればそれが正当なものだろうと不当なものだろうと、人に不快感を与えてはいけません、といった低級なお題目の下に問題のコンテンツをとりあえず消してほとぼりが冷めるのを待つ、というのがありがちな対応だ。ニワンゴの対応はその好例だろう。ブログの罵倒合戦くらいならそれでもいい。だがデジタルメディアが紙媒体を置き換えるなら、紙媒体で建前にしても重視されている規範をどう維持するのかも考えるべきだ。目先の個人的な快・不快なんかより重要なことが世の中にはあるんだから。デジタルコンテンツも、それを考えざるを得なくなりつつあるのではないか。そしてそれを私企業の倫理だけに任せられないとしたら、どんな規制があり得るだろうか?

 実は今年、そのヒントになりそうなできごとがもう一つあった。脳科学者の肩書きで各種メディアに頻出している茂木健一郎が、ネット上のボランティア執筆による百科事典ウィキペディアでの自分に関する記述に文句をつけ、それをかなり我田引水な形で大幅に書き直した。それに対して項目執筆者たちはひるむことなく、ウィキペディアの執筆ルールに基づいて茂木の苦情に形式的には対応しつつ、ほぼ従前の記述を復活させて、誠実な対応とメディアとしての中立性を見事に両立させたのだ。こうしたネット上の自主的な倫理や規範も多少の可能性があるのでは? むろん、それがどこまで公的な権利保護の規制を補完代替できるかとなると、まだまだ考える必要はあるのだが。


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YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>
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