Voice 2009/04号 連載 24 回

インチキな食糧危機論にだまされるな

(『Voice』2009 年 04 月 pp.124-5)

山形浩生

要約: 原油価格が下がったのはサブプライムで景気悪化のせいだといわれるけれど、それでは食料価格の低下のほうは説明がつかない。作柄のせいもあるんだし、安易に危機だの飢餓だのあおりなさんな。



 昨年の今頃、世間が何で騒いでいたかご記憶だろうか? 一つは石油価格の高騰だ。ちょうど二〇〇八年三月あたりに一バレル百ドルを超え、その後もとどまることを知らない上昇ぶりで、まもなく百五十ドルだとみんな大騒ぎ。先進国は真っ青だがアラブ諸国はもう金が余ってしょうがないような状態で、やたらに大盤振る舞いをはじめ、それに取り入ろうとする連中がイスラム金融こそこれからのトレンドとはやしたてていたっけ。一方では昔ながらのローマクラブ報告なんぞが蒸し返され、こんどこそ原油枯渇は目前、中国が世界の資源を漁っているので価格高騰しているのだ、こんどこそピークオイルだ文明の終わりだ、だからエコロなスローライフを、したり顔で大騒ぎが展開されていた。そして原油価格高騰とともに代替エネルギー開発も勢いづいていた。

 だが……原油は七月頃にバレル一四〇ドル強を頂点に、急降下。いまやバレル四〇ドルを割ってしまい、アラブ勢が今度は真っ青。ドバイもバブルがはじけ、脱石油依存と豪語していたのに実はしっかりオイルマネーのあだ花でしかないことを露呈。あれほど大騒ぎされてやたらにセミナーなどが開かれていたイスラム金融も、いまや見向きもされない状況だ。ピークオイルなどと口走る人も減り、原油枯渇を唱えていた人は価格が下がったからといって枯渇しないことにはならないと強弁するが、価格が上がったのがピークオイルの証拠とはしゃいでいた人々の台詞だから説得力皆無だ。

 なぜ原油価格はこんなに下がったのか? 通常の説明は、夏以降のサブプライム発不景気のせいだ、というもの。世界の景気がかげりはじめ、エネルギー需要が下がったから価格も下がったという。

 だがこれは本当か?

 というのも、もう一つ当時騒がれていたことがあったのだ。食料価格。小麦や米の値段が世界中で高騰し、途上国の一部では暴動まで起こっていたのをご記憶だろうか。多くの人は、それが中国やインドの発展による需要の急騰のせいだとか、バイオエタノール作りに耕作地が割かれたせいだとか、あるいは地球温暖化に伴う世界的な不作のせいだと主張していた。あれはどうしただろうか?

 市況を見ている人ならご承知の通り。実は食料価格もこの夏をピークにぐんぐん下がり、いまや二〇〇七年と同じ水準にまで戻している。たとえばタイ米は、二〇〇七年のほとんどを通じてトンあたり二五〇ドルかそこら。それが二〇〇八年に入って高騰し、同年五月にはトン八〇〇ドルというピークに達したが、いまやトン三〇〇ドルといったところ。完全に元の木阿弥だ。商品によっては、まだ一年前に比べて高値を保っているものもあるが、一時の高騰ぶりはもはや影も形もない。

 さて、なんだか変だと思わないだろうか。なぜ急に食料価格が下がったんだろうか? これもサブプライム発の不景気のせい? まさか。原油なら、確かに不景気で需要が下がったなんてこともあるかもしれない。工場が動かない、車に乗らない、おかげで石油をみんな使わないというのはもっともらしい。だが、食料は? 不景気でみんなが飯を食わなくなったなんてことがあるか?

 あるいは中国の需要にしても、インドの需要にしても、そんなに変動するわけがない。バイオエタノールは濡れ衣だったようだし、まして地球温暖化の影響が急に解消されるはずもない。ということは、そんな話は全部ヨタだったということだ。中国もインドも、地球温暖化もおそらくはまったく関係ない。どっかのだれかが、普通に投機をしていただけなのだ。そしてほとんど同じ値動きを見せていた原油も、おそらくはそうだったんじゃないか。

 ぼくとしてはそういうまとめを、原油枯渇をあおる記事をあれこれ書いた人やそれを掲載したメディアがきちんとやるべきだと思うんだが、もちろんそんな気配は見あたらない。需要はあるはずなのだ。結局、ピークオイル説は本当だったの? それともガセだったの? 原油の価格低下は景気後退による需要不足で完全に説明できるの? みんな知りたくはないだろうか?

 そして原油はまだ、ガソリン価格や航空機の燃料サーチャージ低下で価格低下が報道されることもあるし、一応下がったことくらいは多くの人が認識しているだろう。でも食料に関しては、そうした報道は一切ない。おかげで多くの人はいまだに食糧不足が続いていると思っていて、最近出張で乗ったJALの機内誌でも、養老孟司が食料危機を枕にした雑文を書いていた。そうやって誤解ばかりがいつまでも一人歩きしてしまう。きちんとそうした誤解をとくようなまとめをやるのが専門家の使命だと思うんだが。


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YAMAGATA Hiroo <hiyori13@alum.mit.edu>
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