Voice 2009/02号 連載 24 回

喫煙したいなら優雅なタバコ文化の復活を

(『Voice』2009 年 02 月 pp.124-5)

山形浩生

要約: 喫煙者へのしめつけが厳しいけれど、いまの喫煙はニコチン中毒の見苦しくせわしない覚醒剤的な利用。本来の喫煙文化はもっと少量ゆっくりの優雅なもの。それはたとえばアラブ圏に多いシーシャなど。チェーンスモーキングをやめてシーシャ文化でも広めてみてはいかが?



 本誌が出る頃はようやくおとそ気分が抜けた頃だろうか。正月早々きつい話をするのも何なので、呑気な話から入ろう。喫煙の話だ。

 いま、喫煙者はとても肩身の狭い思いをさせられているのはご存じの通り。本誌の読者層は喫煙率が高い年齢層だと思われるので、おそらく苦労なさっている方も多いだろう。そして何とか圧力をはねのけるべく、「喫煙は文化だ」なんてことを強弁してみたりする。

 この議論には一理ある。ぼくは喫煙者ではないが、多少まわりで吸われてもまったく気にならないし、知り合いの愛煙家たちの窮状を見ると気の毒に思うことも多いから、少し擁護してあげたいという気持ちもある。そして確かに喫煙には文化的な要素もあるんだが……残念ながら、日本の喫煙者が言ってもなかなか説得力がない。なぜかというと、いまの紙タバコ喫煙はとうてい文化の名前に値するものじゃないからだ。多くの喫煙者は、ただのストレス解消のためにタバコを吸い、それどころかニコチン中毒を抑えるためだけに、一日何箱もチェーンスモーキング。数少ない喫煙所は、吸いだめせんとする愛煙家諸子により煙の充満する燻製室さながら。場所も時間もおかまいなしで、指も歯も黄ばんで臭くなってスタイル性もファッション性も皆無。それを文化だと言われましても。

 もともとタバコは、南米で宗教儀式のときに吸ってヘロヘロになったりするためのものだった。そこには確かに精神性と文化性があった。限られた場所と設備環境で、ある種のスタイルを持って少し吸うところに文化性がある。日本のキセルだって、そんな闇雲に吸いまくるものじゃない。ちょっとふかしたらすぐに煙草が切れる。そのせっかちな感じが、日本のちょっとせわしない感じにも呼応していたけれど、その道具だてなどには明らかな特色があった。だがいまの紙巻きタバコ全盛の世界にあっては、それが完全に失われている……アラブ圏以外では。

 アラブ圏では、喫煙がまだそうした文化性を維持している。ドバイでもマレーシアでも、そしてぼくが先日までいたエジプトでも、街角のあちこちに水パイプ(シーシャ)を出すカフェがあるのだ。高さ一メートルくらいのでかいやつを、ぶくぶく言わせながら吸っている様子をテレビなどで見た記憶のある方も多い。

 これはなかなか楽しいものだ。アルコール禁止のイスラム圏で、これはお酒のかわりの嗜好品として機能していて、実際にこれで酔っぱらう人もいるけれど、でも見苦しいく泥酔するようなことはほとんどない。タバコとしてはきわめて弱い。このぼくですら何の抵抗もなく吸えるほどだ。こうした店は夕方から晩にかけて賑わい、みんな一服を三十分、一時間かけて、おしゃべりしたり道行く人を眺めたりしつつ味わっている。細く長く、限られた場所でゆったり吸う優雅なもので、その様子もなかなかスタイリッシュだ。水パイプのデザインもいろいろあっておもしろい。そこには喫煙が文化として成立している様子が確実にうかがえるのだ。

 それもあってか、水タバコバーは、実はヨーロッパで増え始めている(そして禁煙ヒステリーと激戦をくりひろげている)。もちろん、それはトルコ系移民の増加とも関係しているのだけれど。そしてそれとは別に、禁煙の締め付けの中でも、本当に文化の名前にあたいする喫煙はもともと何とか逃げ道が用意されているのだ。

 欧米では、それは葉巻だった。ニューヨークでは当初、飲食店での禁煙条例に葉巻は含まれていなかった。またイギリスでは葉巻も含めて商店などの中では喫煙禁止となっているのだが、葉巻に関しては「葉巻は吸ってはいけないが、選ぶために味見をするのはおとがめなし」というとんでもない抜け道が用意されている。イギリスらしい嫌みな抜け道ではあるけれど、でも葉巻には、吸うための作法があり、スタイルがある。だからこそこうした抜け道も見逃してもらえる。

 で、どうだろう。たぶん紙巻きタバコは、今後も(いまの締め付けに多少の反動はあるかもしれないが)大幅な復活は望めないだろう。しめつけはさらに強まるだろうし、喫煙人口も減少するので勢力も弱まる。だったらここらで、文化性のあるタバコの吸い方を考え直して見ちゃいかがか、とぼくは思うのだ。出張でドバイに行く機会でもあったら、水パイプを試してみて、是非そこらへんを考えてほしいな、と思う。そして喫煙は文化だと強弁しているニコチン中毒のチェーンスモーカー諸子は、キセルバーでも始めて見てはいかがだろうか? カンカンと灰を落とすのがいささかうるさいかもしれないが、案外うけるんじゃないか。そしてそれは、文化なるものがいったい何で成立しているのかを考えるための、なかなかよい機会になるんじゃないかとも思うんだが。


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